守護聖補佐日記


8月1日(月)


 女王補佐官様から呼び出された。名指しで呼び出されるのは初めてだ。何事かと訝りながら訪ねると、補佐官様は何の前置きもなく、笑顔で「光の守護聖が見つかったんだよ」とおっしゃった。
 これは大変な朗報だ。すでに就任しておられる地の守護聖ヴィクトール様に続いて、ようやく2人目。陛下にかかる負担も少しは軽くなるだろう。
 しかしなぜ僕にそれを、と疑問に思っていると、補佐官様は言葉を続けた。
「でね、彼の補佐をアナタにお願いしたいんだけど。いいかな」
 唖然とした。僕が守護聖補佐? 神鳥と聖獣、2つの聖地で働いてそれなりに月日は経っているが、そんな重要な役目を仰せつかるとは思ってもみなかった。
「今エンジュが説得中なんだけどねー、話聞く限りちょっとヤッカイそうなんだよ、色々と。補佐は多分苦労すると思う」
 補佐官様は話しながら1枚の写真を取り出し、「これがその人。名前はレオナード」と言って机の上に置いた。
 一体どのような状況なのか、写真の中の守護聖様は鋭い目でどこかを睨んでおられた。なんだか迫力のある方だ。
「納得して聖地に来てくれるといいんだけど……。納得してくれなかったら結局ムリヤリ連れてくることになっちゃうし、そうなった時は補佐はいよいよキツイだろうから覚悟しといてね」
 脅すような言葉がどんどん出てくる。僕はとりあえず笑ったが、多分苦笑いになっていたと思う。それにしても、納得しなくても結局は聖地に来ざるをえないとは、やはり宇宙に一人しかいない方は大変だ。
「どう? やってくれる?」
「はい。お引き受けします」
 あまり考えずにそう答えた。考えてもしかたない。やれるだけやればなんとかなるだろう。
 補佐官様は僕の顔をじっと見てから笑った。
「うんうん、その調子。これからもそんな感じで、気負わないでやってよね。アナタみたいな人じゃないと、この人のことでいちいち胃を痛めちゃいそうだからさ」
 どうやら補佐官様は、新しい光の守護聖様にあまり期待しておられないようだ。


8月4日(木)


 光の守護聖執務室はすでに用意され、書類などもどんどん運び込まれている。僕もそこで仕事をすることが多くなった。部屋の主のための大きな執務机から少し離れたところにある、補佐用の机に向かって書類を片づける。それにしても、主のいない執務室はむやみに広く感じる。
 今日仕事をしていたら、エンジュさんが朗報を持って訪ねてこられた。
「レオナードさんが守護聖就任を承知してくださいました」
 ほっとした。補佐官様に脅かされていたのもあるが、やはり納得して就任していただくのがご本人のためでもある。
「お疲れ様です。サクリアの流現だけでもお忙しいのに……」
 そう言うと、エンジュさんはあわてたように手を振った。
「いえ! 自分からお願いしてやらせていただいてることですから」
 そうだったのか、と驚いた。守護聖となる方の説得は、エンジュさんご自身が希望して行うことになったらしい。彼女は本当にすごい人だ。宇宙育成のバランスを考えながらサクリアの拝受と流現、サクリアの精霊が現れればそちらに赴き、さらにそれに加えて守護聖に選ばれた人物の説得。あれでは体がいくつあっても足りないと思うが、一つの体でどれも立派にやり遂げている。彼女を見ていると、僕もがんばろうという気になる。新しい光の守護聖様も、そういう気持ちで就任を承知したのかもしれない。
 そんな感慨にふけっていたら、少し複雑そうな顔をしたエンジュさんに「あの……大変だと思いますけど、がんばってください」と突然励まされた。さらに「本当は優しい方なんです」とか「執務を置いてどこかに行ってしまったら一緒に探しましょう」とか、なんとなく気になる言葉が続き、少し不安になった。まあ、本当は優しい方というなら大丈夫かなとも思う。明日になったらお会いできるのだし、そう構えていても意味はないだろう。


8月5日(金)


 朝、執務室に入ると、守護聖用の執務机の前に人が立っていた。僕に背を向けていたその人が振り向き、補佐官様に見せていただいた写真と同じ顔がこちらを見た。
 新守護聖、レオナード様だった。就任式の前に執務室にいらっしゃるとは予想外だ。僕はあわてて頭を下げた。
「レオナード様ですか。初めてお目にかかります。私は補佐を務めさせていただく……」
「ああ、レイチェルから聞いた。お前か」
 まだがらんとしている執務室によく響く、かなり大きな声だった。眼光鋭い目は写真で見るよりも迫力がある。
「チッ。ったくよォ…野郎なんざ補佐にしてどうすんだ? 慣れねェおシゴトで疲れた俺様を心身ともに慰めるようなキレイどころをキッチリ用意しとくべきなんじゃねェの? え?」
「はあ。申し訳ありません」
 言われてみればそんな気がしたのでそう答えると、レオナード様は嫌な顔をした。その時気づいたのだが、レオナード様の後ろにある執務机に大きめの箱が載っていた。
「そちらはご持参のものですか」
「あん? ああ、これか。違うよ、さっきレイチェルが置いてった。宮殿内はコレ着て歩けとよ」
 どうやら執務服らしい。レオナード様が箱の中身を取り出しこちらに見せてくださって、僕は思わず無言になった。襟と肩部分に金色のファーがついた真っ黒な服で、金色のボタンがずらりと並んでいる。むやみに攻撃的な印象を受ける。
「ベルトの数がやたら多いんだよな……どうなってんだか」
 そんなつぶやきとともにさらに箱から取り出されたものが、ジャラッと音をたてた。大きなメダルのようなものや、金属の突起が並んだ幅の広いベルト。レオナード様のお言葉通り、さらに数本のベルト。
 やはり守護聖様は大変だなとあまり脈絡なく思った。
「ジュリアスの野郎の格好見た時も驚いたがよォ、コイツはまた別の方向にすげェな。こういうデザインにしようとか誰が決めてんの?」
 ジュリアスの野郎、という言葉が、神鳥の宇宙の守護聖首座様を指すことに気づくまでに、少し時間がかかった。
「それは、女王陛下と補佐官様ではないかと」
「へェ…女王陛下ってこういうシュミなのかよ? 俺お仕えすんのためらっちゃうぜ」
「ご趣味のことは存じませんが……サクリアは守護聖様の精神状態に依るところが大きいため、服装や執務室の内装等も非常に重要だと聞いたことがあります。レオナード様のサクリアの形にふさわしいものをご用意されたということではないでしょうか」
 僕がそう答えると、レオナード様はまじまじと執務服を見た。
「俺にふさわしい? コレが?」
「とてもお似合いになると思います」
 それは本心だった。レオナード様は肩をすくめた。
「そりゃどーも。しっかしなァ……オイ、コレ見ろよ」
 箱の中をあごで指しながらおっしゃったので、執務机に近づいて見てみたら、箱の底に紙が入っていた。一番上に「執務服着用手順図解」と書いてあって、僕は吹き出しそうになったがなんとかこらえた。
「とんでもねェトコに来ちまった」
 冗談なのか本気なのかわからないぼやきをレオナード様が口にされた。きっと冗談なのだろうが、言葉の内容は真実のような気もする。


8月12日(金)


 レオナード様ご就任から1週間。ここのところ、僕は毎日怒鳴られている。たいてい融通がきかないという理由だが、休みたいと言われて「どうぞ」と答えられるような状況ではない。それに、レオナード様は本当に休みたい時は黙って姿を消してしまわれる。1週間目にしてすでに、外で寝ているレオナード様の目撃談が宮殿関係者内で増え続けている。探して連れ戻すべきなのかもしれないが、キリがないような気もするので、今のところは何もしていない。
 迫力がある方なので怒鳴られると怖いことは怖いが、別に後を引くわけではないのでそれほど気にはならない。ただ、声が執務室の外にまで漏れているようで、廊下を歩いていると同情の視線を浴びたり、「大変ですね」「がんばれ」などと言われたりする。聖地ではあまり見ないタイプの方なので、かなり悪目立ちしているようだ。困ったものだと思う。
 目下、レオナード様のご機嫌は最悪の状態が続いている。今現在は執務内容や処理方法を学んでいただく段階で、教育係のヴィクトール様の研修を受けておられる最中だ。ヴィクトール様も就任されてからまだ間もないが、守護聖様にしかわからない感覚的なものも執務に関係するため、守護聖様以外の人間が教育係を担当することはできないのだ。
 ヴィクトール様もかなり迫力のある叱咤をされる方だ。今日も「何だこのいいかげんな書き方は!」と叱っておられたが、執務室の空気がびりびりと震えるような声だった。「イイじゃねェかよコレで!」と言い返すレオナード様もそれに負けない声量で、執務室の中だけ聖地の穏やかさとは別の空間になってしまっていた。学生時代に見かけた熱血教師と不良少年を彷彿とさせる。少し迫力がありすぎるが。
 ヴィクトール様によるこの研修も、レオナード様の不機嫌の一因なのかもしれないが、最大の原因は他にある。レオナード様は光の守護聖、ヴィクトール様は地の守護聖。やはり執務内容には異なる点もあるということで、ジュリアス様のところにも学びに行くようにということになったのだ。
「ヤダ! ぜってェヤダ! お前が教えろよ!」
 レオナード様はかんしゃくを起こした子供のようだった。ヴィクトール様もいささかあきれておられたようだ。
 くわしいことは知らないが、守護聖就任前、ジュリアス様もレオナード様の説得に赴かれたらしい。そこでいさかいがあったのだろう。
「あんなヤツに教わるコトなんかねェよ!」
「山のようにある!」
 駄々をこねるレオナード様を、ヴィクトール様がそんなふうに叱っていた。見ているとちょっと面白い光景だ。


8月15日(月)


 今日はレオナード様のお供(兼監視役)としてジュリアス様の執務室に伺う予定だったが、その前にレオナード様が姿を消してしまわれた。あわてて探し回ったが見つからない。約束の時間に間に合いそうもないので、とりあえず1人でジュリアス様の執務室に行き、急を要する執務が入ってしまったためレオナード様は遅れると申しあげた。
 するとジュリアス様は、「隠さずともよい。行きたくないと申しているのか、逃げ出したのか、どちらなのだ?」とおっしゃった。お見通しだったようだ。姿が見えないことを白状すると、ジュリアス様は苦々しい表情で「まったくあの者は…」とつぶやいておられた。身が縮む思いだ。見つけたらすぐに連れてくるようにとのお言葉をいただき、急いで聖獣の聖地に戻った。
 あちこち走りまわって探したが、なかなか見つからない。息を切らしていたら、「どうしたんですか」と声をかけられ、振り返るとエンジュさんがいた。そのとたん、以前に彼女が「どこかに行ってしまったら一緒に探しましょう」と言っていたことを思い出し、こんな時だというのに思わず笑ってしまった。息を切らしながら突然吹き出した僕を見て、エンジュさんは驚いたようだったが、レオナード様が見当たらないと話すと、あの時の言葉通り一緒に探すと言ってくれた。申し訳ないとは思ったが、ありがたくその申し出を受けさせてもらった。
 2人でさんざん探し回り、ようやく見つけたレオナード様は、宮殿の階段裏で寝ておられた。なぜこんなところでと疑問に思うより早く、エンジュさんはつかつかと歩み寄って「レオナード様!」と耳元で叫んだ。レオナード様は飛び起き、寝ぼけているのかあたりをきょろきょろ見回した。
「何やってるんですかこんなところで! お約束があるんでしょう!?」
「あぁ? 約束?」
 エンジュさんに怒られて、レオナード様は顔をしかめた。そしてエンジュさんの後ろにいる僕に気づき、眉間のしわがますます深くなった。
「ンだよ、わざわざエトワール様まで駆り出して捜索かァ? ハッ、ご苦労なこったな」
「レオナード様!」
 エンジュさんが気色ばんだが、レオナード様は無視してあくびをし、僕に言った。
「言いてェコトがあんならハッキリ言ったらどうだ? こんなガキに言わせねェでよ?」
 僕はなんだか悲しくなってしまった。
「ジュリアス様がお待ちくださっています。行きましょう」
「嫌だ」
 そう言ってレオナード様はそっぽを向いた。
「ジュリアス様にもご自身の執務があるのです。そのお時間を割いてくださっているのですから……」
「俺が頼んだワケじゃねェよ」
 返ってきた言葉が、なんだか胸に刺さるように痛かった。僕は思わず言葉を止めたが、やっと言った。
「その通りです。それに、ジュリアス様は神鳥の宇宙の守護聖様で、こちらの宇宙のために協力する義務もありません」
 レオナード様はちらりと僕を見た。多分僕の顔は、少なからず歪んでいたと思う。
「レオナード様があちらに伺うのを嫌がっていることを、ジュリアス様はご存知です。ですが、ならば来なくていいとはおっしゃいませんでした。そう言ってしまえば、ジュリアス様ご自身も楽なはずなのに」
 ジュリアス様は厳しい方だ。でもジュリアス様が厳しいのは、本当は優しいからだ。聖獣の宇宙のことも、きっとレオナード様のことも考えて、義務でもない負担を当たり前のように背負ってくださっている。なぜレオナード様はそのことをわかってくださらないのかと思うと、僕はもうそれ以上言うべき言葉が見つからなかった。
 むっとした顔で黙っているレオナード様に、エンジュさんがさっきよりも明るい声で「さあ、行きましょうレオナード様」と言った。
「わぁったよ。何も2人がかりで来るこたねェのによ」
 ぶつぶつ言いながらもレオナード様は立ち上がり、次元回廊へと歩き出した。エンジュさんはそこで立ち去られた。別れ際にお礼を言うと、「いいえ、こちらこそ」と不思議な答えが返ってきた。
 ジュリアス様はレオナード様の大幅な遅刻に対して「今後このようなことのないように」と注意しておられたが、レオナード様は恐縮とはほど遠い態度で「へいへい」と聞き流しておられた。しかし、研修そのものは比較的真面目に受けておられたと思う。かなり長時間の講義になったが、そのことに対しての不満も漏らされなかった。
 終わった時にはもうとっくに日が落ちていて、レオナード様はやれやれと言って聖獣の聖地へと歩き出した。僕はその後ろを歩きながら、ため息が出そうになるのを飲み込んだ。
 今日は疲れた。走りまわったせいもあるが、それ以上に精神面で疲れた。レオナード様を探していた時と見つけた時の妙に悲しい気分が後を引いてしまったのか、今後この方の下でうまくやっていけるだろうかという不安が頭から離れなかった。そんなことを考えていると、レオナード様が立ち止まって振り返った。僕はあわててうつむきがちになっていた顔を上げたが、レオナード様は僕をじろりと見て何も言わずにまた歩き出した。怒っておられるのかもしれない。


8月16日(火)


 昨夜は珍しく落ちこんでいたが、今朝目が覚めたら、それほど考えこむようなことではないような気がしてきた。やはり疲れていたのだろう。
 午後、地の執務室に行った。レオナード様が仕上げた書類をヴィクトール様に渡すためだ。「おう、ご苦労さん」と受け取ったヴィクトール様は、書類を見て「相変わらず雑な字だ」と苦笑した。
「レオナードは他にも仕事を抱えているだろう? ちゃんと取りかかっているか?」
 そう聞かれて少し詰まった。当然のようにそちらはまだだ。この書類を書き終えたレオナード様は、「ああ眠い眠い」と言って私室に直行してしまったのだ。どうやらレオナード様は夜の方が目がさえるらしく、太陽と仲の良い聖地の暮らしには体が反乱を起こしてしまうようだ。
 まだできあがってませんと答えると、ヴィクトール様は「始めてもいないんじゃないのか? まったくしょうがない奴だ」とぼやいておられた。
「せめてもっと丁寧に書くように伝えておいてくれ……と、そうだ」
 ヴィクトール様は思い出したように言った。
「一度聞こうと思っていたんだった。忌憚のないところを聞かせてくれ。お前から見てレオナードはどうだ?」
「は?」
 何が「どうだ」なのかと戸惑う僕に、ヴィクトール様は重ねて問いかけられた。
「レオナードに一番接しているのはお前だろう。あいつをどういう男だと思う? 守護聖としてはまったく型破りな男だからな、身近な人間の評価も聞いておきたいんだ」
「そう……ですね……」
 改めて問われると、自分がそういうことをあまり考えていなかったことに気づかされる。レオナード様はどういう方なのだろうか。
「正直な気持ちを申しあげれば……レオナード様は、よくわからない方です」
「ははは、そうか」
 ヴィクトール様はそれ以上は何も聞かれなかった。僕は昨日のことをちらっと思い出した。


8月18日(木)


 今日もジュリアス様による研修にお供した。レオナード様は、今度は逃亡せず時間通りだった。
 ジュリアス様はヴィクトール様とはまた違う形で厳しいことをおっしゃっていて、レオナード様はそれに言い返したりもしているが、それほど険悪な雰囲気ではない。レオナード様もこれがためになることは重々承知なのだろう。
 レオナード様の研修の間、僕はジュリアス様補佐のブラストさんに補佐の仕事について教えていただいている。ジュリアス様とレオナード様はあまりにもかけ離れているので補佐のやり方もかなり異なるのだろうが、やはりためになる。色々質問していたら、こちらを見たジュリアス様がレオナード様に「あれほどの意欲を見せてほしいものだな」とおっしゃって、レオナード様が僕を思いきり睨んだ。ジュリアス様…。


8月19日(金)


 エンジュさんが水の試練の地に旅立たれた。精霊に打ち勝てば、この宇宙に3人目の守護聖様が誕生する(はずだ)
 旅立つ前にエンジュさんはレオナード様に挨拶に来られたのだが、レオナード様はご不在……というかまたどこかにさぼりに行ってしまっていた。エンジュさんが「またですか」とがっかりした様子だったので申し訳なく思った。
「そういえば、あの後はレオナード様、ちゃんとジュリアス様のところに行ってるんですか?」
 あの時のことを気にかけていたらしく、エンジュさんに聞かれた。
「ええ、遅刻もせずに通われていますよ。あと何度か伺う予定ですので、最後まで続くようにと願っています」
「大丈夫ですよ」
 エンジュさんが笑って請け合ってくれたが、なにぶんちょうど今さぼって部屋にいない方の話なので説得力がない。
「だってあの時、ずいぶん反省してらしたみたいですし」
 いつ誰が、と思って聞き返そうとしたが、そこにちょうどレオナード様がお戻りになったので話が途切れた。
 エンジュさんはレオナード様にこれから試練の地に向かうという話をして、レオナード様は試練て何をするんだと聞いていた。
「えっと……ロマンティック・ウェイブとか……」
 何だろう、それは。


8月22日(月)


 水の守護聖となるべき人物が見つかったという。まだ戻られていないが、エンジュさんが水の試練を乗り越えたということだろう。まったく彼女の活躍には凄みのようなものを感じる。
 水の守護聖執務室には早くも人が慌ただしく出入りして内装を整えている。部屋の内装も、執務服も、つけられる補佐も、すべてサクリアの高まりを感知してからそのサクリアの質に合わせて決められることになっているようだ。今までもそうだったが、毎回実に慌ただしい。執務室の中を工事しているらしく、光の守護聖執務室にもガガガガという音が響いてきていた。レオナード様はうるさくて眠れないと不機嫌だ。
 エンジュさんが戻ったら、またすぐに守護聖となる方を説得に出かけるのだろう。今の時点では、守護聖になる方はまだご自分の身に起こったことをご存じないのだなと思うと、響いてくる工事音が奇妙なものにも思えた。
「俺ん時もあんなふうに、見つかったら即ドカドカやってたの?」
 レオナード様に問いかけられ、正直にはいと答えた。
「へェ……俺が守護聖になんかならねェって言ってた時には、もう準備できてたんだなァ」
 レオナード様はそう言って、少し苦く笑った。


8月23日(火)


 エンジュさんと廊下でお会いした。昨日遅くに戻られたそうで、今日さっそくサクリアが宿った方にそれを知らせに行くと話しておられた。相変わらず目を見張るバイタリティだ。
 新しい水の守護聖となる方は、以前品位の教官をされていたティムカ様だそうだ。ヴィクトール様の時にも驚いたが、この宇宙の意志は、宇宙誕生に深く関わった人物を守護聖に選んでいるのだろうか。
 どんなヤツだ、とレオナード様に聞かれたので、今は神鳥の宇宙の惑星で国王になっておられるはずですと答えたら、少し驚いておられた。
「王様連れてくるのかよ? ムチャさせやがんなァ」
 レオナード様のおっしゃる通り、確かに無茶だ。あの星の人々は一体どう思うのか。
 とはいえ、今までの環境のすべてから離れて聖地に来たという点ではどの守護聖様も同じだろう。そう言うと、レオナード様は首をかしげた。
「同じかァ? 俺は自分の星に何の未練もなかったぜェ?」
 国王の立場を離れなければならないのも大変だが、何の未練もないというのもなんだか穏やかではない気がする。そういえぱ僕は、守護聖就任前のレオナード様のことはほとんど知らない。ご家族はおられなかったのだろうか。
 昼頃、同僚のバードが執務室に来て、水の守護聖補佐を務めることになったと挨拶していった。なんとなく、なるほどと思った。彼はきっとティムカ様とは合うだろう。ふと、僕も端から見ればレオナード様の補佐にふさわしい人物と思われているのかもしれない、と思いかけ、いまだにあちこちで浴びる同情の視線を思い出して否定した。


8月25日(木)


 今日はジュリアス様による光の守護聖集中講座の最終日だった。最初はどうなることかと思ったが、とても有意義な研修になったように見受けられる。僕にとっても実りの多い期間だった。
 レオナード様はもう、ジュリアス様をそれほど嫌っているようには見えない。「危惧していたより飲み込みが早くて安心した」と微妙なほめ方をしたジュリアス様に、レオナード様は「俺様の天賦の才に圧倒されたって素直に言えよ」と答え、笑いながらジュリアス様の肩をばんばん叩いていた。ひやひやする光景だったが、ジュリアス様は「あまり調子に乗るでないぞ」とおっしゃったものの、特に気を悪くされた様子はなかった。
 つまり、至極円満に終了した。ジュリアス様の執務室を出て扉を閉めた時、まるで奇跡が起きたような気分になった。
「何ニヤニヤしてんだ?」
 顔に出ていたらしく、宮殿の廊下を歩きながらレオナード様が僕に言った。
「いえ、円満に終わってよかったと思いまして」
 そう答えると、レオナード様はフンと鼻を鳴らした。
「ま、あの野郎もちっと堅すぎるが、思ってたほどヤなヤツじゃなかったからなァ。どっか面白ェトコに連れだして、あの石頭を柔らかくしてさしあげてェもんだぜ」
「一大事業になりそうですね」
 浮かれて思わず口が滑った。レオナード様は「いや、ああいうヤツほど早くハマるんだ」と笑って、そして少し黙ってから改まったように言った。
「言い訳になるけどよ。コッチの聖地だのアッチの聖地だの、宇宙2つがどういう関係だの、よく知らなかったんだ。まァ今でもわかっちゃいねェがな」
 何の話なのかよくわからず、言葉の続きを待っていると、レオナード様は大股でどんどん先に歩きながらふてくされたように言った。
「この前……悪かったな、手間かけさせて」
 ようやく何の話か思いあたり、僕はぽかんと口を開けた。レオナード様は、先週姿を隠した時のことをおっしゃっているのだ。レオナード様が執務をさぼって姿を消してしまうのはすでに珍しくなくなっていたし、まさか気にしておられたとは思わなかった。
 あの時僕は、ジュリアス様は神鳥の宇宙の守護聖で、こちらの宇宙に協力する義務はないのだと言った。そのジュリアス様が時間を割いてくださっていることの意味を、レオナード様はなぜわかってくださらないのかと勝手に悲しくなった。急に、自分の考えの足りなさが恥ずかしくなる。レオナード様は聖獣の宇宙で生まれ育ち、聖地に来られたのはごく最近だ。それなのになぜ僕は、レオナード様が2つの宇宙のことを当然知っているように思っていたのだろう。
「私こそ失礼なことを申しあげました」
 そう言ったら、レオナード様は「心にもねェコト言いやがって」とおっしゃった。本心だったのだが……。
 ジュリアス様の研修も終わり、明日から執務は本格的になる。さて、どうなることか。


8月26日(金)


 回ってくる執務の量が増えた。それと関係あるかどうかはわからないが、レオナード様がまたさぼってどこかに行ってしまわれた。
 ああいう方の補佐を務めるならば、いいタイミングで逃亡を阻止したり、策を練って執務に向かわせたりといったりといった活動も必要なのではないかと思うが、僕はほとんど何もしていない。「ちょっと出てくる」と言われれば「はい」と言って見送ってしまうし、我ながら全然だめだ。


8月28日(日)


 セレスティアのカンセールで、偶然エンジュさんに会った。同年代の女の子2人と一緒で、ネネとエイミーですと紹介してくれた。ちゃんと友達もいるのかとなぜか安心してしまった。エイミーという子は、名前は知らなかったが王立研究院で何度か見たことがある。エンジュさんが僕をレオナード様の補佐だと紹介すると、「それはそれは」と気の毒そうな顔をしていた。レオナード様は研究院でも評判が悪いらしい。
 これからアウローラ号でそれぞれの得意料理を披露するとかで、3人とも材料を選びながらはしゃいでいた。エトワールになる前のエンジュさんは、自分の星で友達とあんなふうに笑っていたのだろうかとふと思った。


8月29日(月)


 レオナード様は仕事をやる時にはいっぺんに片づけてしまう方だが、今日そのスイッチが入ったらしい。「よォし、片づけるか!」と執務机に向かわれた。
 たまった仕事をいっぺんにやってしまうのは前にも見たが、そういう時のレオナード様の集中力は凄まじい。今までのスローペースはなんだったのかと思うほどだ。きっとだらだらと執務をしている時にも、たまっている仕事の内容は頭に入れておられるのだろう。書類を一瞥しただけで、別の仕事と組み合わせて一括で処理してしまったり、とにかく信じられない早さで机の上のものが消えてゆく。
 そしてレオナード様の机から消えた仕事は、僕の机の上に来る。別計算、チェック、関連業務についての書類作り。僕の仕事の大部分は、レオナード様の仕事の前処理と後処理なので、レオナード様が何もしていない時には僕もあまりすることがない。そしてこんなふうに一気に片づけてくださると、机の上が大変な状態になる。集中している時のレオナード様のスピードにはとてもついていけない。目の前の山盛りの書類に圧倒されて思わず手が止まり、昨日までの退屈な自分にこれを分けてやりに行きたいなどと遠い目になる。
 結局、レオナード様の机の上にあれだけあった仕事は、夕刻までにあらかた片づいてしまった。つまり一日で僕のところにすごい量の仕事がたまったということでもある。残業しようと思っていたら、レオナード様に「期限ギリギリなのはねェだろ」と言われた。たしかにそれはそうなのだが、できれば早く片づけたい。「机の上の状態にこれほど差があると落ちつかないものですから」と言い訳した。本音はレオナード様が仕事を片づけてるのに自分がためているというこの状態が、見るからに補佐失格という感じで情けないからだが、さすがにそれは言えない。するとレオナード様は自信満々といった態度でご自分の机をバーンと叩いた。
「心配すんな! 俺の仕事はまたすぐたまるから」
 そんなことをいい笑顔で言われても困る。力が抜けたので残業はせずに帰った。


8月30日(火)


 執務室に補佐官様がいらっしゃった。今説得中だというティムカ様の話をして、
「彼が守護聖になったらアナタ教育係お願いね」
「あぁ!? やなこった、冗談じゃねェ」
「ちょっと! 首座のくせに何そのやる気なさ!」
「ンなめんどくせェコトできるかよ! ヴィクトールにやらせりゃいいだろうが!」
「ヴィクトールにもやってもらうけど! 彼だけに負担かけるわけにはいかないでしょ!? ちょっとは協力しなさいよ!」
「人数増やしたってしょうがねェだろ!? アイツ1人にやらせた方がぜってェ手っ取り早ェって!」
「あーもーホント自分勝手! むしろティムカにアナタの品位の教育係を頼みたいよ!」
 僕は昨日一気にたまった仕事に取り組みながらお2人の声を聞いていた。レオナード様がいらしてからこの宮殿はにぎやかになったなどと場違いなことを思う。
 さんざん言い争ったあげく、「頼んだからね」「嫌だ」の状態のまま、補佐官様はレオナード様に背を向け扉に向かった。僕が扉を開けると、補佐官様は涙を拭う真似をしながら言った。
「アナタにはいつも悪い悪いと思ってるんだよ。ひどいの押しつけちゃってさ」
「オイ、そりゃ誰の話だ!」
 執務机からレオナード様の怒鳴り声が飛び、補佐官様はそちらを一瞥して続けた。
「誰の話だなんてわかりきったこと言うし……ホントどうしようもないヤツだよ。苦労させてるよね、たった3週間でこんなに痩せて……」
 別に痩せてない。僕はとりあえず悲痛な顔と声を作り、「いえ…苦労というほどのことは…」と言って弱々しく咳き込むフリをした。レオナード様が後ろから「てめェ!」と怒声をあげ、補佐官様は笑いながら出て行かれた。
 仕事が一区切りついた後、処理の終わった書類を持って補佐官様のところに行った。
「ずいぶん持ってきたね」
 書類を両手で抱えて部屋に入ると、補佐官様は笑った。
「レオナード様が昨日まとめて処理してくださいましたので」
「そっか……うーん、やらないよりはいいけど、気分屋だよねえ……。冗談抜きで苦労してるでしょ?」
 書類を受け取り、補佐官様はふと真剣な目で僕を見た。本当に周りからはそう見えているのだなと思っておかしくなったが、なんだかレオナード様が気の毒な気もした。
「冗談抜きでしたら、まったく苦労はしていません」
「ウソばっかり」
「まったくではないかもしれませんが……ほとんどないですよ」
 というより、苦労をしていると思ったことがないように思う。レオナード様がさぼるたびに探し回って執務に向かわせるような立派な補佐だったら、今頃苦労のあまり倒れていたかもしれないが、あいにく僕はそんなに働き者ではない。
「それに、あの方の下で働くのは楽しいです」
 あまり考えずにそんな言葉が出てきて、自分ではっとした。そうだったのだ、と思う。言われたから引き受けただけだった補佐の仕事だが、多分僕は最初から楽しんでいた。あの方の言動、あの方が変えてしまう空気。周りの人たちも、仕事も、これまでとは違って見えた。
「ただ……」
「ただ?」
「私は、あまりレオナード様のお役に立っていません」
 楽しんでいることを自覚すると、よけいにそう思う。僕はレオナード様を乗せて執務に向かわせることもできず、ご本人のやる気が出るのを待っているだけの補佐だ。そして集中した時のレオナード様の仕事のスピードにちっともついていけない補佐だ。いてもいなくても変わらない。それに、レオナード様のお気持ちも、まったく分かっていなかった。
「そんなことないでしょ?」
「いえ、残念ながら。努力はしますが、今のところ私は、レオナード様の補佐という立場を楽しんでいるだけです」
 そう言うと、補佐官様は目を丸くして、それから吹き出すように笑った。
「そのままで充分だよ」
「え?」
「そのまま楽しんでいられるんなら、アナタよりあの男の補佐にふさわしい人なんかいると思えない」
 補佐官様は嬉しそうに片目をつぶった。
「これからもよろしくね。今までが楽しかったんなら、これからはもっと面白くなるからさ」


8月31日(水)


 ティムカ様が守護聖就任を承諾されたそうだ。執務室に来たエンジュさんにそれを聞いて、レオナード様はちょっと複雑な顔をした。ご自身の時のことを思い出しておられたのかもしれない。何はともあれ、この宇宙にとっては朗報だ。
「これでレオナード様も先輩守護聖ですよ」
「何よ、ソイツをアゴで使えってコト?」
「優しい先輩になってください!」
 レオナード様とエンジュさんのやりとりを聞きながら仕事をした。僕の机の上はだいぶ片づき、レオナード様の机の上は、ご本人の予告通りまた仕事がたまり始めている。
 就任式は明日。これでこの宇宙の守護聖様は3人になる。守護聖様が増えればレオナード様は首座として他の方々をまとめなくてはならない。サクリアの届く範囲も増えて、ここでの仕事の幅も広がる。
『これからはもっと面白くなる』
 多分その通りだろう。わくわくしている自分に気づき、少し気がとがめる。何も考えずに補佐を引き受けた1ヶ月前よりずっと、僕はこの宇宙のこれからに期待している。