竜の横顔


 この世には「夢見の塔」と呼ばれる塔が5本あり、そこで暮らす塔の主は、「どこかで、誰かに、何かを」渡す夢を見る。その夢を実現させることで、人の世は滅びへの道を歩むことを免れる。だから塔の主は、その夢を実現させることに、その身の全てを捧げるのだという。
 
 アリアハンにあるナジミの塔。塔の主のナジミが見たのは、自分がいつもいるその塔の中で、顔見知りの若者に、奇妙な形の鍵を渡す夢だった。
 場所も渡す相手も分かっているのに鍵だけが見つからず、歯がゆい思いで探し回るうちに時は過ぎた。そのうちにナジミの耳に届いたのは、その若者の死の知らせだった。ナジミは呆然としたが、死の知らせの後も同じ夢を見続けたから、本当は若者が生きているのかもしれないと考えて鍵を探し続けた。ようやくそれを手に入れた時には、若者の死の知らせからさらに月日が流れていて、もはや誰も若者の死を疑ってはいなかった。それでもナジミは同じ夢を見続けた。それからさらに時は過ぎた。あの若者がたとえ生きていたとしても、もう若者とはいえない年齢のはずだった。それでもナジミは同じ夢を見続けた。
 その夢を初めて見てから25年後。ナジミはあの若者の息子に鍵を渡した。彼はまるで生き写しのように、父親の若い頃によく似ていた。
 
 スー大陸にあるアープの塔。塔の主のアープが見たのは、どこなのか分からない場所で、見覚えのない若者に、見たことのない何かを渡す夢だった。

*                             *

「おい、アープ!」
 こちらに気づいていないらしい老人に、カンダタは大声で呼びかけた。二度と会うことはないかもしれないと思っていた相手だった。アープは顔を上げ、吹き抜けの穴から上の階のカンダタを見上げた。
「…カンダタか」
「おう。お前、生きてやがったんだな」
「なぜ、いる」
「ご挨拶じゃねえか」
 カンダタは苦笑した。アープはその場で立ち止まっていて、上がってくる気はないようだった。やれやれと思いながらカンダタは階下へと降りた。
「俺に留守番を頼んだのはお前だろう」
「暇な時、寄れ、言っただけ。それもずっと昔。お前、ずっと暇か」
「ずっとここにいたわけじゃねえよ」
 アジトにしていたシャンパーニの塔を追い出され、バハラタにもいられなくなった。盗賊団も解散した。懸念もなくなったが、やることも何もなくなった。カンダタはその時にふと、アープに昔頼まれたことを思い出したのだ。

「わし、あの町、探す」
 カンダタが初めてこの塔を訪れたのは、18年前のことだ。塔の主は、自分が見た夢を実現させようとしていたが、その内容はあまりにも漠然としすぎていた。どこかで、誰かに、何かを渡す夢。アープはまず、その場所を探すことから始めた。
「町だ。大きい町。世界中、探す。どこかにある」
 カンダタがアープの塔に立ち寄ったのは偶然ではなかった。アリアハンにあるナジミの塔にオルテガとともに立ち寄った時、塔の主はオルテガに渡す物があると言った。だが、その渡す物をまだ手に入れていない。手に入れたらすぐ知らせる、その時はすぐに来てくれと、彼は悔しそうに繰り返した。
 オルテガはそれをどうでもいいことだと思っているようだったが、カンダタはそうは思わなかった。夢見の塔の主の夢に出てくるということは、世界の命運の鍵を握っているということだ。わかってはいたが、とんでもない奴に連れ回されているものだと思った。そして、他の夢見の塔のことが気になった。オルテガが世界の行く末を決める男ならば、他の塔の主の夢にも出ているかもしれない。アープの塔に来たのは、それを確かめるためでもあった。
「夢の中であんたが何か渡した相手ってのは、逆立った黒い髪の男じゃなかったか?」
 カンダタの問いに、アープはあっさりと首を横に振った。
「違う。茶色い髪の、若い男。背、少し高い。服、あれ、多分商人」
「ふうん…」
 どこにでもいそうな、しかしカンダタの心当たりにはない人物だった。
「あまり、特徴ない顔。探す、難しい。だから最初、あの場所探す。この塔、誰もいなくなる。だからお前、ここ頼む」
「ああ?」
 唐突すぎて、何を言われたのかわからなかった。アープは当たり前のような顔でカンダタを見ていた。
「わし、ここの主。主いないと塔荒れる。困る」
「…いや、俺関係ねえ」
「暇な時、寄れ。お前強そう。ここ、魔物の巣になる、わし入れない。困る」
 年齢は一回り以上上だろうに、まるで子供のような物言いだった。見た夢を実現させる、ただそれだけのために生きていると、こんなふうになってしまうものなのだろうか。
 暇な時などあまりなかったが、カンダタはその後もアープの塔に時折立ち寄っては魔物を追い払った。主が行方不明になってしまったシャンパーニの塔に立ち寄ったのも、魔物の巣になっていたその塔を結果的に自分のアジトにしてしまったのも、心のどこかにアープの言葉があったからだ。
 
 それから18年。苦労したせいか、アープは見た目も老けて、いくらか小さくなったようだった。
「…で、見つかったのか?」
「見つけた。渡した」
 聞いてはみたものの、カンダタにとってアープの返事は予想外だった。
「あったのか、イエローオーブが」

 アープに二度目に会ったのは、最初に会ってから4年後のことだった。カンダタが偶然塔にいた時に、アープが偶然帰ってきたのだ。アープは夢の町を探して世界を回りながらも、たびたび塔には戻っているようだった。
「見つからない…」
 アープは肩を落として言った。
「大きい町だ。なぜ、ない? 海のそば。建物の形、あれきっとポルトガ…」
 そこまでわかっていても見つからないものなのか、とカンダタは少し奇妙に思った。これだけ必死に探しているこの男が、その場所を見落として通り過ぎるとも思えなかった。
「何か特徴はねえのか? 他の場所にはないような」
「…木がある。丘の上、目立つ場所。幹、枝、変な形。あんな木、他にない。見ればわかる。でも、あの木ある町、どこにもない」
「木、ねえ…」
「竜に似ている。竜の横顔の形」
 カンダタは首をひねって自分が立ち寄った町をいくつか思い浮かべた。しかし、そんな木に心当たりはなかった。
「木。そうか…。町、変わる。木、同じ。町より木、探した方がいい…」
 アープがふと思いついたように言い、少し元気づいたように続けた。
「渡す物も、探している。見つからない。だがわかった。あれ、オーブという物」
「オーブだと?」
 思わず声をあげたカンダタを、アープは目を丸くして見た。
「カンダタ、オーブ知ってるか」
「オーブなら俺も探してる」
 同じ目的を持つ者にそのことを明かすなど、愚かなことだった。だがカンダタは、アープにそれを隠す気にはならなかった。
「お前、オーブ持ってるか。丸い玉に、竜の台座のものか」
「ああ、それだ。どこまで本当か知らねえが、6つ集めると空が飛べるらしいな。オルテガの野郎がそいつで魔王の城に乗り込もうと…」
「どうでもいい」
 アープがカンダタの言葉を遮ってわめいた。
「くれ。わしに」
「無茶言うな」
「オーブ、あの男に渡す。夢の男。どうしても渡す」
「魔王倒したら用済みになる。そしたらやるよ」
「いつだ」
「知るか。大体、全部そろってるわけじゃねえ。お前が探しているのは何色だ?」
「色? オーブは他の色もあるか」
「知らねえのかよ」
 伝説も知らずに、それがオーブという物だということだけ知っている。一体どんな探し方をしているのか。カンダタは器用には見えないこの男に、同情に近い気持ちを抱いた。
「黄色だ」
「…黄色。じゃあ、俺たちも持ってない」
 イエローオーブは最後の1つだった。その他の5つのオーブは全て手に入れたのに、その色だけがいまだに見つかっていない。それを聞いてがっかりした表情になったアープを見て、カンダタはふと違和感を覚えた。
 少し前にナジミの塔を訪れた時、塔の主は「渡す物がまだ手に入らない」と残念そうに言った。ナジミがオルテガに渡したい物は鍵だという。何の鍵かは知らないが、あの塔の主が渡す夢を見たのならば、さぞかし重要な物なのだろう。もっとも、オルテガは相変わらずそれには興味を持っていない。オルテガが欲しがっているのはオーブだった。あと1つですべてが揃う。
 だが、アープの塔の主は、そのオーブを別の誰かに渡す夢を見たという。
(オルテガは本当に、魔王を倒すことができるのだろうか)
 ふとカンダタの頭をよぎったのはそんな思いだった。オルテガは強い。人間とは思えないほどだ。たとえ相手が魔王であっても、オルテガが負けるところなどカンダタには想像もできなかった。だからオルテガがいつか魔王を倒すということを疑う機会もそれまでなかった。
 よぎった疑念は、オルテガの強さとは関係のないところにあった。何か大きな流れが、オルテガを避けて通っているように思えた。「運命」とか「そういう星の下」とか、あまり好きではない言葉が頭に浮かんだ。
(馬鹿馬鹿しい)
 一つ息を吐いてアープを見た。疲れたようにうつむいていた。
 その翌年、イエローオーブが見つからないことにしびれを切らしたオルテガは、自分の足で魔王の城に踏み込もうとして命を落とした。

「わしとお前、長い間会わなかった」
 アープが少し懐かしそうに言った。
「ああ、そうだな。10年…いや13…4年くらいか」
「塔には来ていたか。わし、お前に前会ってから、ずっと帰らなかった」
「…そうだったのか」
 オルテガの死をようやく信じた頃に、カンダタは一度この塔に来た。アープに山彦の笛をやろうと思ったのだ。もうオーブを探すのはやめた。集めたオーブはオルテガの仲間たちがそれぞれ預かっていたが、シルバーオーブだけはどこにもなかった。どうやらオルテガが持っていたらしい。だとすると今頃はオルテガが命を落としたネクロゴンドの山中だろう。一緒に火口に落ちたかもしれない。たとえイエローオーブを見つけても、もうオーブを6つそろえることは不可能だった。
 だから、それでもイエローオーブを探し続けているに違いないアープに、オーブ探しに役立つ笛をやる。カンダタはそう理由をつけたが、自分の本心がそれだけではないことも分かっていた。シルバーオーブがあったとしても、イエローオーブを自分が探し続けたとは思えなかった。オーブが6つそろったところで、オルテガがいなくて誰が魔王を倒すのか。自分が、などと思えるはずもない。カンダタはオルテガが戦う姿を何度も間近で見ていた。一匹で一つの町を簡単に滅ぼすような魔物を、オルテガは笑いながら切り刻んだ。強いという言葉で言い表すことはできなかった。あんな男はどこにもいない。
 オルテガが死んだと聞いた時、あの男を知っている人間は全員あきらめたのだとカンダタは思う。オルテガが果たせなかったことを、誰が果たせるというのか。だがそう思う自分が情けなくもあった。塔にアープがいなかったため山彦の笛は渡せなかったが、捨てることもできず、そのくせ見るのは嫌だった。
「…で、結局町はどこにあったんだ?」
「スーだ。同じ大陸。ここからずっと東、海のそば」
「ポルトガだって言ってなかったか?」
「町作ったの、ポルトガ商人。だから建物、ポルトガに似ていた。あの時、町はまだなかった。だから作った」
「…ああ?」
 何を言っているのかさっぱりわからない。あきれ顔になったカンダタに、アープは少し笑った。
「木の話、したか。夢の町。変な形の木、あった」
「ああ、聞いたな。竜の横顔に似てるとか」
「そう、それ。わし、前、大きな町探してた。それやめた。小さな町も、大きくなる。だから、木、探した。あんな木、他にない。だから探した。海のそば、それも変わらない。海のそば、探した」
「ふうん…」
「ずっと探した。塔、帰らなかった。見つけた。木、あった。町なかった。人いない。何もないところ」
 カンダタは黙ってアープを見た。その時アープがどう思ったのか、表情からうかがい知ることはできなかった。
「わし、そこに町作る、決めた。家作った。畑作った。でも1人、無理。村行って、手伝い頼んだ。誰も来なかった。でも、村の者に聞いて、ポルトガの商人、来た。わし、町作る、頼んだ。ポルトガからたくさん商人来た。商人すごい。すぐ町大きくなる。夢の町、できた」
「…………」
「商人たち、あの町からスーの村行った。たくさんの村、行った。商売する。交換する。みんな喜ぶ。村からも町に人来る。村にある物、他の国の物、交換する。話聞いて、他の村からも人来る。わし、分かった。あの夢のこと。オーブ、あれ、あの場所に町作らないと、手に入らない」
「…イエローオーブは、スーにあったのか」
「そう。山の中、小さい村。そこから来た。村にある物、交換しに町に来た。オーブ、その中にあった。わし、それ取った。泥棒した」
 アープは真顔で言った。切羽詰まっていたのかもしれない。オーブのことを知る者に買われるより早く、手に入れなければならなかったのだろう。
「渡す相手も見つけたんだな?」
「見つけた。オーブより先。町作りに来た商人。ポルトガから来た」
「そうか」
 茶色い髪の若い男。以前に聞いたことを思い出しながら、カンダタはなんとなくうなずいた。特徴のない顔をしているというその男は、この老人にいきなりオーブを渡されてどう思っただろう。オーブのことを知っていただろうか。だがたとえ知っていたとしても、老人が自分にオーブを渡すために、何もないところに町を作ったことまでは知らないままに違いない。
「そうか、イエローオーブはポルトガの商人が手に入れたのか」
 カンダタは小さくため息をついた。自分が山彦の笛を渡した相手のことを思い出したのだ。彼らもオーブを探している。しかし見つかったオーブは、彼らの手には渡らなかった。
(まあ世に出たことだし、いつかはあいつらのところに行くかもしれねえが)
「カンダタ。お前、町に来い」
 アープが唐突に言った。
「何を言ってやがる」
「お前、塔にいないと思った。でも、いた。いたらいいと思った、だからわし来た。それなければ、わし、もう塔に用ない。夢の通りになった。もう終わり。塔の主、また別の者、選ばれる」
 暇なのかなどと言ったくせに、実は自分に用があったらしい。カンダタはまたあきれ顔になった。初対面でも留守番を頼まれたが、この男は遠慮というものを知らないのだろうか。
 しかし、何か頼まれるのが嫌なわけでもなかった。なにしろ今は本当に暇だ。そして自分に用があるというのは、長い苦労の末にようやく目的を達した老人だ。
「何の用だ、俺に」
「お前、強い。キリエを牢から出せ」
「キリエ?」
 聞き覚えのある名だった。オルテガの息子の仲間の名前だ。魔法使い……いや、たしか賢者になっていたはずだ。
「ポルトガの商人。女だ。最初に来て、ポルトガからたくさん商人連れてきた。町できたのキリエのおかげ。でもクーデター起きた。キリエ牢の中」
 別人か、とカンダタが思った時、アープはあっさりそれを覆した。
「キリエ、勇者の仲間」
「…勇者」
「そう。本当は勇者と旅したい。わし、知ってた。でも、キリエいないと町大きくならない。夢で見た町、大きい。だから行くなと言った。キリエずっと町にいた。今牢の中。何も悪くない。助けろ、カンダタ」
 塔の主としての役目を終えたアープは、夢のことしか考えない男ではなくなったようだった。
「わかった。行こう」
「本当か。カンダタ、お前いいやつ」
 嬉しそうなアープとともに塔の出口に向かいながら、カンダタは言った。
「ま、多分俺の知り合いでもあるからな」
「キリエを知ってるのか」
「多分だ。俺が知ってるそいつは、商人じゃなくて魔法使いだった」
「それ、キリエだ。魔法使える。父親、ポルトガの商人だから、商売もできる」
「へえ、そりゃ初耳だ」
「父親、ポルトガで一番の商人。だからあんなに商人来た」
 ポルトガ一の商人。カンダタは、その肩書きが指す人物を知っていた。
(あいつの、娘だと?)
 あなたのように金の匂いがする人を見たことがない、と初対面のオルテガに心底嬉しそうな顔で言った男だ。金の匂いを察知する能力は、異能と言っていいものだった。世界通貨と、世界通貨がよどみなく流れる道を何よりも愛するその男に、カンダタは不思議と縁があった。解散した盗賊団の手下の一人を、あの男のところに商人修行に出したのも、そんな縁の一つだと思っている。
(…まさか)
 そこまで考え、カンダタは商人修行に出したその手下の顔を思い浮かべた。
 茶色い髪の、少し背の高い若者。あまり特徴のない顔。そんなやつは世界中どこにでもいる。しかし…。
「どうした、カンダタ」
 黙りこんだカンダタに、アープがいぶかしげに聞いた。
「何でもねえよ」
 その町に行けば、いやポルトガに行けば、きっと分かる。アープがオーブを渡した相手も、オーブの行方も。だが行って確かめるまでもなく、オーブの向かう先はあの勇者の手の中という気がした。オルテガにそっくりな顔をしているが、オルテガのように強くはない、あの息子の。
(親分、アリアハンにはすごい鍵があったよ)
 手下の一人の言葉を思い出した。
(ナジミの塔っていう塔があってね。そこのじいちゃんがライオットにくれたんだ。鍵穴に近づけると開いちまうんだぜ。すごいだろ?)
 その鍵は、あの塔の主がオルテガに渡そうとしていた物に違いない。あの頃には手に入れることができなかったその鍵を、ナジミはオルテガの死後にやっと手に入れて、そしてそっくりな顔をしたあの息子に渡したのだ。
 オルテガのように強くないあの息子は、オルテガが持っていない何かを持っている。それはもしかすると、オルテガの強さ以上の力なのかもしれなかった。
「カンダタ、早い」
 アープが息を切らせて後ろから文句を言った。無意識に進む足が速くなっていたらしい。カンダタは一つ舌打ちをして、アープの軽い体を荷物のように背中に担いだ。
「何だ、何する」
「助け出すなら早いほうがいいだろう」
 そう答えるとアープは黙った。どっちだ、と聞くと向かう方向を指し示す。カンダタはひたすらその方向へ進んだ。
(仲間が牢に入れられたと聞いて、放っておくような奴じゃねえだろう)
 その知らせを聞いた時、オルテガそっくりなあの顔がどんな表情を浮かべたのか、と思った。きっとオルテガの顔には一度も現れなかった表情だろう。見るのが嫌だったあの勇者の顔を、今は見てみたいと思っていることに気づき、カンダタは険しい道を行きながら口元に苦笑を浮かべた。


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