06-10


 
07. 犬


 リルムは時々シャドウの部屋を訪れる。シャドウに用があるのではなく、インターセプターに会いに来るのだ。連れて出ていくこともあれば、部屋にとどまってじゃれていることもあった。
「昔ね、リルムのうちにも犬がいたんだよ。インターセプターと同じくらい……ううん、もっと大きかったかな」
 その犬のことはシャドウも知っている。だが、その犬はインターセプターより少し小さい犬だった。犬がいた頃のリルムがまだ小さかったために、大きさを錯覚しているのだろう。
 もちろんそんな訂正などせず、シャドウは各地の街で買った新聞を広げながら黙っていた。寝そべったインターセプターによりかかったリルムがまた口を開く。
「ねえ、インターセプターってすごい名前だよね。シャドウがつけたんでしょ?」
「いや、俺じゃない」
 答えた声に思わず苦笑が混ざった。その名前をつけたのは、当時病床にいたリルムの母親だ。
 その頃飼っていた犬はよく畑の番をしていたが、妊娠してからはそれができなくなって寝てばかりいた。そのため、この機を逃すなとばかりにやってくる鳥たちに、畑がだいぶ荒らされた。
「困ったわねー」
「ま、今だけだからな」
 そう、そんな流れからあの話になったのだ。
「子犬が生まれたら、その子たちも番をしてくれるかしら」
「そうだな。あいつの子供なら頼まれなくてもやりそうだ」
「やってくる鳥を迎え撃って……ねえ。子犬の名前、いいの思いついちゃった」
「ん?」
「インターセプター(迎撃機)! どう、最高でしょ」
「お前はもう寝ろ」
 起きあがれなくなってもくだらないことを言って笑っていた彼女は、それからまもなくいなくなった。シャドウが村を出たのはその一ヶ月後の夜のことだ。そっと出てきたというのに、何を感づいたのか子犬のうち一匹が後を追ってきた。追い返そうとすると大声でキャンキャン吠えるので、しかたなしにそのままついてこさせた。
(そういえば、まだ名前をつけてなかったな)
 ふと思い出したのは、一匹分だけ挙がっていたあの名前。
「行くぞ、インターセプター」
 子犬は心得たようにワンと返事をした。
 振り返ると、静まったサマサの村が月明かりに浮かんでいた。5年あまり住んでいた村だった。すべてを捨て去ることなどできないのかもしれない。足元でしっぽを振っている犬に名前をつけたその時、そんなことを考えた。
 そこまで思い出して、シャドウは我に返った。ふと見ると、リルムがインターセプターに寄りかかったまま眠っていた。思わずため息が出た。今よりもずっと小さかったリルムが、インターセプターの親に同じように寄りかかって眠っていたのを思い出したからだ。
(捨てても捨てきれないのは、俺の弱さか)
 そんなことを思いながら、ただぼんやりとそれを見つめた。


 
08. ゆで卵


 ファルコンの食事当番は一応公平に回っている。人数が多いのと料理が苦手なメンバーもいるため、当番は2人一組、ということになっていた。中には明らかに料理に向いていない者もいるが、長い目で見ようではないか、ということでとりあえず今は全員参加だった。
(今日はシャドウとだ、よしよし)
 リルムはキッチンで調理器具を出しながら鼻歌を歌っていた。その後ろでシャドウが無言でリルムが指示した通りに野菜を刻んでいる。覆面はしたままだが手袋は外して、袖も肘まで上げていた。シャドウはたいてい自分の部屋にこもっているので、当番の時は呼びに行かなければならない。しかしキッチンに現れる時には、なぜかいつも手袋を外した状態だった。来てから外せばいいような気がするが、やる気のあらわれなのだろうか。
 メンバーなのだから当然義務は果たさなければならない、と食事当番のことを言い渡された時、シャドウは「ああ」と嫌そうに答えただけだったらしい。しかし実は料理はうまかった。料理ができる人間と組んだ時には手伝うだけだが、できない人間と組んだ時には黙っておいしいものを作ってくれる。「修羅の道をきわめる」と言っていたそうだが、別の道をきわめた方がいいのではないか。リルムはひそかにそんなことを思っていた。
「一品足りないかなあ」
 鍋を置いてキッチンを見回し、リルムは首をひねった。シャドウは何も言わない。意見を求められたわけではないと判断したのだろう。
「ねえシャドウ、これで足りると思う?」
「ああ」
「じゃあ、いいか。あ、そっち終わったらこの鶏もお願い」
 野菜の方はもう終わりそうだった。シャドウと組むと食事のしたくは楽だ。メンバーの中には組んでも何の役にも立たない者や、組むと悲惨なことになる者が数名含まれているので、彼に当たるのはラッキーだった。
(でも、あたしとだと手伝ってくれるだけなんだよね……)
 リルムはシャドウの作る料理が好きだった。彼の料理は彼のイメージと全く違って、素朴でどこか懐かしい味がする。もっと食べたいのだが、彼は料理がまったくできない者と組んだ時にしかそれを作ることはなかった。
「シャドウって、料理うまいよね」
「そうでもないだろう」
「うまいよ。やっぱり一人暮らし長いから?」
「……まあ、そうかもしれん」
 シャドウとの会話はいつも弾まない。返事しかしてくれないし、その返事もそっけないからだが、一緒にキッチンにいて手を動かしながらだと、そのこともあまり気にならない。
「今度教えて、料理」
「……自分で作れるだろう」
「ああいうのは作れないよ。こないだのもおいしかった。あの豚肉の味付けと、かかってたソースの作り方、教えてよ」
「特別な作り方はしていない」
「けちー」
 イーだ、と顔をしかめて睨む。普段はこんなことはしない。というより、話題がないので会話する機会自体が少ないのだが。
 弾まない会話を時々交わしながら、料理はできあがってくる。シャドウはいつも、できあがる前にキッチンから姿を消す。リルムはできあがりの色彩や形にこだわる方なので盛りつけはすべて自分で行うが、その作業が始まる頃にはいつもいなくなっている。今日もそろそろいなくなる頃だ。
「そういえば、シャドウは何が好きなの、食べる方は」
「特にない」
「何もなしってことはないでしょ」
「……ゆで卵」
「は!?」
 冗談を言っているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「ゆで卵? ゆで卵が好きなの?」
「ああ」
「へー……ゆで卵、ね……じゃあ今日のメニューに入れるよ」
「入れなくていい」
「入れる。サラダに入れよう。作ってよ、ゆで卵。それでチューリップ型にカットしてね」
 シャドウはやれやれと言わんばかりの態度で鍋に火をかけた。その背中に声をかける。
「あたしが当番の時は毎回ゆで卵入れるからさ、今度料理教えてよ」
「入れなくていい」
「教えてってばー。この旅終わったら食べられなくなるの、いやだもん。それとも、サマサに作りに来てくれる?」
 あきれたように肩をすくめ、シャドウは何も答えない。
「絶対教えてもらうからね」
 盛りつけを始めながら、リルムはもう一度言った。