「へー。じゃあまだバイオリン作ってるんだ」
「まだなんて言うなよ。一生続けるつもりなんだから」
「もうかる?」
「だめだね。食ってくだけでやっとだ」
「バイオリンかー。うちの子がやりたいって言ってたなあ、そういえば」
「へえ。一つ作って進呈しようか」
「え? 待ってよ、高いんでしょ? 家が買える値段とか聞いたことある」
「馬鹿。誰が作ったバイオリンの話だよ。俺のなんか……。子供、いくつ?」
「今度7歳」
「ふーん。じゃあ誕生日プレゼントにするか。子供用の作るよ」
「ほんとにくれるの? じゃあ大人になっても使えるのがいいな」
「でかいぞ、けっこう」
「買い換えると高くなるでしょ?」
「そりゃまあ、そうだけど」


誕生

「いいのができた」
 父は私を手に取り、複雑な表情でながめた。
「タダでやるのはもったいないなあ」
 私は誰かへの贈り物になるらしい。
「ま、しょうがないか。あいつのためにと思って作ったから、うまくできたんだもんな。なあ」
 父は苦笑して私に語りかけた。なんのことだか私にはわからなかった。

 ケースが開いた。私を見下ろしていたのは、小さな男の子の本当に嬉しそうな顔だった。
「うわー。バイオリンだー! 本物だ!」
 頭を動かして私を色々な角度からながめる。しかしケースから出そうとはしなかった。さわっていいのだろうかと心配そうな顔をして、手を出したりひっこめたりしている。かわいいなあ、と思った。
「お母さん、どこ持てばいいの」
「その細いところじゃないの」
 きれいな女の人が私をのぞきこんだ。あ、と思った。もしかしたら父は、この人のために私を作ったのではないか。
「きれいねえ」
 女の人は私を見てうっとりした顔をした。
「ほんとだなあ」
 今度は男の人が現れて、私を見て言った。女の人の旦那さんで、男の子のお父さんだろう、と思った。

 雑音、騒音としかいいようのないひどい音が私から出た。男の子はバイオリンの基礎の本の、正しい弓の持ち方が書いてあるページを必死になって見ている。
「ねえ、松ヤニをぬるといい音になるって書いてあるわよ」
 お母さんがそんなことを言っていた。
 私は思わず笑った。これが松ヤニだけでいい音になったら面白い。松ヤニが弓にたっぷりぬられ、またひどい音が出た。私はおかしくてならなかった。
 美しい音色を奏でたいと思っていた。楽器として生まれたら当然のことだろう。下手な人間に弾かれたら腹が立つものだと思っていた。
 けれど私は、自分から出る騒音を楽しんでいた。ほらほら、がんばれがんばれ、と思う。お母さんも楽しそうに見ている。お父さんは少しバイオリンのことを知っているらしく、音を合わせたのもお父さんだったのだが、やはり楽しそうに見ている。男の子は一生懸命ソラシドレミファソを繰り返していた。一瞬、騒音がバイオリンの音色になった。どきっとしたが、すぐまた騒音に戻った。もしかしたらこの子は、うまくなるかもしれない。私は男の子の顔を見た。必死になるあまりあごを押しつけすぎて、顔が歪んでいた。私はまた笑った。
「不思議だなあ」
 お父さんが笑いながら言っていた。
「初心者のバイオリンて、普通近くで聴くのは拷問みたいなもんなのになあ。なんだか楽しいよ」


二章

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