00. エンジュ



「レオナード様。お仕事中ですか?」

 半端に開いた扉から、エンジュが頭だけをのぞかせてこちらを見ていた。
「終わった終わった。こっち来いよ」
 補佐は先に帰り、広い執務室に一人きり。退屈なのでうっかり翌日の仕事に手を付けていたところだった。入ってきたエンジュがレオナードの手元にある書類に気づく。
「あ、やっぱりお仕事……」
「これは明日の分だ」
「…………」
「コラ、露骨に疑うんじゃねェよ」
「いえ、疑ったわけじゃ……でも明日の分でも、きりのいいところまでやらないといけないですよね」
「いいの。半端に手ェ付けてた方が明日取りかかりやすい」
 立ち上がり、エンジュの襟元をつかんでひきずるように私室に連れて行く。
「わ、変なところ持たないでくださいよー」
「お前がぐだぐだ言うからだろ。誕生日祝ってくれんじゃねェのかよ」
「ええ、それはもちろん……。あ、そうだ。今日お会いした方々も、レオナード様のお誕生日だって言ったら」
「エンジュ」
「はいっ?」
 突然の不機嫌な声に、エンジュの背筋が伸びる。
「誕生日を宣伝しろってのはなァ。あれはただの冗談だ! 本気にすんじゃねェよ」
「え……ええっ。そうだったんですか?」
「ったり前だろうがァ……。クソッ。おかげで俺ァ今日一日……」
 ふてくされた口調でそこまで言いかけ、レオナードは思わず吹き出した。
「レオナード様?」
「何でもねェ」
 そう言ったものの、今日の応対が脳裏にいっぺんに蘇り、なかなか笑いが止まらない。
 エンジュはそんなレオナードをきょとんとして見ていたが、そのうちに安心したように微笑んだ。
(よかった。きっといいお誕生日だったんだ)
「あーバカバカしい。おいエンジュ、コーヒー入れてくれ。あんなことになったのもお前のせいだからなァ。シメぐらいもてなされる方に回らせてもらうぜ」
「あ、はい」
 言葉の意味は分からないが、コーヒーを入れることに異存はない。いそいそとキッチンに向かった。
 レオナードが冷蔵庫からケーキの箱を出し、エンジュに声をかける。
「おい、そこのナイフ取ってくれや」
「はい」
 ナイフを受け取るレオナードの表情は、なんだかやけに明るかった。それを見るエンジュの心もあたたかくなり、思わず弾んだ声が出た。
「何があったんですか? 私のせいにするなら、ちゃんと話してくださいね」
「ああ、話す話す。くだらねェ話だけどよ……」



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おわり