01.アリアハン


 ……あなたの涙を誰も見ることはありません。
 なぜならあなたは根っこからの一匹狼だからです……

*                   *

「起きなさい。起きなさい、私のかわいいセンドや」
 明け方、嫌な夢を見たような気がした。中途半端に寝直したせいか、今日も朝から気分が悪い。
「今日はとても大切な日。あなたが王様に旅立ちのお許しをいただく日だったでしょ」
 ベッドから少し離れたところで、母さんは淡々とした調子で言った。口元にかすかに笑みを浮かべ、それでもいつもと同じように悲しそうだった。俺は黙ってごそごそと起き出して、適当に身支度をととのえた。
「じゃ……行ってきます」
「王様にきちんと挨拶するのですよ」
「うん」
 ふと顔を上げると、先に起きていたじいちゃんがこっちを見ていた。「行ってきます」と言うと、「しっかりな」とあまり力の入らない声で返された。軽くうなずいて家を出る。
 朝日がまぶしい。渡る風は少し冷たかったが、旅立ちの日の天気としてはまったく上々だった。

 勇者の称号を持っていた父、オルテガが火山の火口に落ちて死んだという知らせが届いてから、5年の月日が流れていた。今日俺は父の跡を継ぎ、勇者として旅立つ。しかし俺が父から継いだのは、勇者の肩書きだけではなかった。
「オルテガさんには返していただくものがあるんですよ」
 父の死を悲しむ間もなく、あいつらはやってきた。統一性のない、様々な異国の衣装をまとった男たちだった。大事な用があると言って家に来て、我々は皆商人ですと言った。
「返す、とは?」
 母さんは不審そうに聞き返した。葬式もまだなのに一体何の話をしに来たのかと、俺も奴らをじろじろ見ながら考えていた。
「金です」
 一人が簡潔に答えた。
「は……お金?」
「ええ。ご存知かどうか分かりませんが、勇者としての活動にはなにかと金がいります」
「オルテガさんはお強かったが、それだけでは世界を救えません」
「各地の兵士や市民たちを鍛え、指揮を執り、魔物の軍団に対抗できるような態勢を作る」
「オルテガさんのそういった活動に協力的な国もあればそうでない国もあります」
「そうでない国では自腹を切ってでも人々のために尽力する」
「オルテガさんはそういう方でした」
「我々も及ばずながら、先立つものをお貸しすることでそれに協力していたわけですが」
 申し合わせてきたかのように、一人一人が少しずつ話す。俺は不快になって口を挟んだ。
「つまりそれを返せってことですよね。いくらなんですか、貸した金って」
 答えはまたあっさりと返った。
「百万ゴールドです」
「ひ……」
 俺も母さんもじいちゃんも絶句した。顔を見合わせるのも忘れていた。
「……む……」
 一番最初に口を開いたのは母さんだった。とはいえ、出てきた声はかすれていた。
「無理です、そんなお金」
「奥さん、あなたに返してもらおうと言うんじゃない」
「え……?」
「我々も商人。担保がなければ金は貸しません」
「勇者に金を貸すのなら、担保も勇者でなければね」
 奴らはそろって顔を横に向け、俺に笑いかけてきた。
(担保? 何の話だ?)
「自分にもしものことがあれば、負債は親族が継ぐ。これはオルテガさんもご承知の話です」
 男の一人が巻紙を広げた。証文か何からしい。
「すでに息子さん……センドさんですか、あなたには『とりたて』がかかっています」
「なんじゃと!?」
 『とりたて』。その時の俺は何のことか分からなかったが、じいちゃんは青ざめて叫んだ。
「無茶な! そんな額で……この子に……いや、せめてわしにかけてくだされ」
「さきほど申し上げました。勇者の担保は勇者しかありえないと」
 じいちゃんを一顧だにせず、奴らは続けた。
「センドさん。百万ゴールドは、あなたが支払うんですよ」

 『とりたて』とは、商人の特殊技能の一つらしい。「あなほり」や「おおごえ」などと同様、レベルを上げれば身に付けることができる。が、この技能は相当レベルを上げなければ習得できず、使える者は世界中回ってもごくわずかだそうだ。
 負債のある相手にこれをかければ、決して逃がすことなく貸した金を取り立てることができる。『とりたて』をかけられた者は行動を制限され、ひたすらに残債を支払い続けることになる。
「あなたに課せられている『とりたて』のルールを申し上げましょうかね」
 奴らが思い出したようにそう言ったのは、借金の話をしに来てから数日後のことだった。その間奴らはアリアハンで何やら忙しそうにしていたが、そのうち王宮からの使いが俺に、16歳になったら勇者の称号を与えるという陛下のお言葉を伝えに来た。どうやら奴らはその工作に奔走していたらしい。勇者の肩書きがなければ借金を返せる見込みが低くなるからだろう。
 その数日間で、俺は自分にかかっている『とりたて』の効果を嫌になるほど実感していた。
「まず、あなたは金を手に入れることはできても使うことはできません」
 そんなことはもう知っている。財布に金を入れることはできるのに、出そうとするととたんに指から力が抜ける。そのくせ金を入れようとすると簡単に財布の紐をゆるめることができる。ならばと金をむき出しで持っていても、いざ支払おうとすると今度はしっかりと握りしめた拳が開かない。誰かに頼もうとしても口が開かない。悪戦苦闘する俺を周囲の人々が気の毒そうに眺めていた。何度か挑戦して、そのたびにみじめな気持ちで店の人に謝った。
「さらに、換金できる物を手に入れたら、次に見た店で換金せずにはいられない。もちろんそれまで、使うことも人に渡すこともできません」
 そういえば、道ばたで薬草を拾った直後に腕を釘で引っかけて怪我をしたのに使おうと思わなかった。腕から血を流しながら売りに行ってしまった。こんな生活が、これからずっと続くというのか。
「しかしこれには例外もある。身につける物は除外されます」
「素っ裸で歩き回るわけにはいかないでしょうからね」
「買うことはできませんが、何かの形で手に入れたら、着替えるのは自由ですよ」
 まるで慈悲を垂れるように、奴らは優しい声で言った。
「なお、剣や盾なども身につける物に入ります」
「よかったですね、ちゃんと戦えますよ」
 ハハハと朗らかに笑いながら肩を叩いてくる。俺はなんだかもうどうでもよくなって、そうか、よかったなあ、と思った。

「これで装備をととのえるがよかろう」
 陛下に激励の言葉をかけられ、仲間に、と渡されたのは、50ゴールドと装備品だった。陛下は俺の現状について何も言わないが、知っているのもしれない。装備品はどこの武器屋でも売っているようなもので、これなら本来はその分も金で渡された方がお互い楽だったはずだ。
 けど、俺は金を使えない。道具も使えないが、装備品だけは売らずに持っていることも、他人に渡すこともできる。武器屋で買うことはできなくても、集めた仲間に今もらったものを装備してもらうことはできる。陛下はそれを考慮して、などと考えているうちにみじめになってきた。ここまでしてもらわないと、俺は旅立つこともできないのか。
「そなたの働きに期待しているぞ、センドよ」
 ありがとうございます。でもきっと嘘だろうな。
 謁見の最後に、陛下は思い出したように付け加えた。
「それから、取れるものは取っていってよいぞ。勇者の特権じゃ」
 どこから、とは言われなかった。俺は王の間から退出すると、さっそくあちこちの樽やタンスを調べてめぼしいものを自分の袋に移した。誰も何も言わないところを見ると、どうやら間違っていないらしい。
 タンスの中に妙な物があった。ゴールド金貨より少し小さなメダルだ。何に使う物かはよくわからないが、どうやら売ることはできないらしい。売ることができない物を持っているのは少し気分がいい。俺はメダルを大切に袋に入れた。

 自分の家も含めた民家も一通りあさって、俺は道具屋に換金に向かった。力の種は高値で売れたが、なぜか嬉しさよりも惜しい気持ちが勝って素直に喜べなかった。思った以上に金が入る。あいつらがごり押しで俺を勇者にした理由をなんとなく実感した。
 道具袋をのぞいて考える。装備品は売らなくてもいいから、仲間に装備してもらうことはできる。金銭の管理を全部仲間に任せて、俺は道具や金に触らないようにしていれば、それなりにまともな旅ができるのではないだろうか。
「お仲間に金のことを任せようと思ってるんだったら、それは無理ですよ」
 驚いて顔を上げると、道具屋の主人があわれむような目で俺を見ていた。アリアハンの商人は、たいがい俺の事情を知っている。たとえ知らなくても、『とりたて』がかかっていることは商人なら一目で分かるらしい。
「『とりたて』はそれを見過ごすほど甘くありません。仲間が金を持っていたら、あなたはそれを取り上げずにはいられないでしょうな」
 そんな気もしていた。俺は黙ってこんぼうとひのきのぼう、たびびとのふくをカウンターに置いた。
「一人で行くおつもりですか? 金のことはともかく、戦いは仲間がいないと厳しいでしょう」
 金を手に入れても、1ゴールドも使うことはできない。そんな旅に誰を連れて行けるというんだ。

 用はなくなってしまったが、町を出る前に酒場に立ち寄った。酒場の一角にはゴールド銀行がある。カウンターに座っている太った男が、俺を見ると笑顔で頭を下げた。千ゴールドごとにここから借金を返済できる。今はまだ、最初の千ゴールドの返済さえ遠い話だ。
「あら、いらっしゃい」
 ゴールド銀行のカウンターを素通りして進むと、奥に店主のルイーダがいる。
「仲間を探しに来たの?」
「いや。別に用はないけど」
「一人で行くの?」
「うん」
 ルイーダはかすかに眉をひそめたが、驚いてはいなかった。予想していたのかもしれない。
「何か食べていく? 出発のお祝いにおごるわよ」
「ありがとう」
「遠慮なく食いだめしときなさいよ」
「そうする」
 おごってもらわなければ、店で飯を食うことはできない。これから先ずっとだ。この旅のために俺は、食べられる草木についてやどの魔物の肉が有害でないかなどを調べて頭に叩きこんでいた。剣や魔法の修行よりそっちにずっと時間を割いた。飢え死にをしない自信はあるが、こんなうまい飯からは縁遠くなるだろう。
「ごちそうさま。うまかった」
「あ、ちょっと待って。日持ちするもの何か持って行ったら?」
「…いや、いい。気持ちだけもらう」
 日持ちするものなどもらったら、俺はその足でそれを道具屋に換金しに行くだろう。それはそれでいいのかもしれないが、今は嫌だった。
「そう。気をつけてね」
 ルイーダは少し悲しそうに言った。

 城下町の門を出ると、平原のずっとむこうまで続いている空が見える。それをながめているうちにようやく、進めるだけは進もうという気になってきた。とりあえずはレーベの村だ。
 それでも、一歩歩くごとに腹の底からじりじりとわいてくるのは、前向きな思いとはほど遠いものだった。
 なぜだろう。
 一体なぜ、何のために俺は、こんな旅をしなければならないんだ。


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センド : 勇者
レベル : 1
E どうのつるぎ
E たびびとのふく

財産 : 417 G
返済 : 0 G
借金 : 1000000 G