01.ラダトーム


 困ったことになった。いずれ商人になるつもりではあるけど、俺はまだ見習いの身だ。自由になる金なんか全然ない。
 生まれ育ったガライの町で、いつかはささやかな店を持ちたいと思っていた。しっかり者の、わりとこう、引っ張ってくれるタイプの、そういう嫁さんをもらって、普段は忙しくても時にはのんびりと過ごしたりもして。店を兼ねた家は、海の見える場所がいいなあ。漠然と夢見ていたそんな未来が、この件で一気に遠ざかったような気がする。
(一体、いくらなんだろ…)
 かつて、ラダトーム王家に多大な金銭的被害を与えたという勇者ロト。今回俺が呼び出されたのは、その話に違いなかった。子孫のお前が払え、ということだろう。ロトは俺のひいじいさんだ。会ったことはないけど、俺が生まれる何年か前にはまだ生きてたらしい。色々謎が多いせいで、世間でははるか昔の人みたいに言われているけど、ロトがアレフガルドに光を取り戻してから、まだ百年も経ってない。
(もっと昔の人だったら、こんな目にはあわなかったのかなあ…)
 無理矢理連行されてきたラダトーム城の王の間で、俺は片膝をついてうつむいたままため息をついた。そっと目を上げると、玉座の前に立ったラダトームの王様が、嬉しそうに俺を見下ろしていた。
「おお、ロギン! 勇者ロトの血を引きし者よ! そなたが来るのを待っておった」

 一般に伝わる伝説では、勇者ロトはアレフガルドの人々を救うために魔王に立ち向かった勇敢で偉いお方ということになっている。けど子孫に伝わる彼の姿は、それとはちょっとかけ離れていた。
 勇者ロトには借金があった。百万ゴールドというとてつもない額だったそうだ。もともと彼が旅に出たのはその借金を返済するためで、アレフガルドを支配していた魔王を倒したのも、その過程でのことだったらしい。別に正義と平和のために悲壮な覚悟で立ち上がったわけではなかったいうことだ。とはいえ世界を救ったのは事実だし、そのことはまあいい。
 問題はそこからだ。勇者ロトはラダトームの宝だった剣と鎧と盾を身につけて魔王を倒したが、ラダトームの城に剣しか返さず、鎧と盾は町の武器屋に売ってしまったらしい。もちろん借金を返済するためだ。逃げるように姿を消し、以来ラダトームに生涯顔を出さなかったのもそれが理由だという。
 鎧と盾は今はラダトーム城に戻っている。武器屋から王様が買い取ったのだろう。
「わかったな。自分がロトの子孫だということは、誰にも言ってはいけないぞ」
 子供の頃、父にそう言われた。自分がロトの子孫だと知らされると同時に、そのあたりの事情も聞かされ、きつく釘を刺された。自分の血筋を手放しで誇らしく思った時間はほとんどなかったように思う。
「もしも人に知られたら、ラダトーム王家にその金を払わなきゃいけなくなるんだからな」
 何しろ王家の宝、何万ゴールドもの額だって話だ、と怖い顔の父に脅されて、震え上がりながらうなずいたものだ。何年か経つと、そんなものを子孫が弁償する義務はないような気もしてきたが、いやわからないぞ、王家がからめば無理が通るのかもしれないとも思った。
 そして、どうやらその通りだったようだ。
「すでにそなたは知っておろう。勇者ロトがラダトーム王家から『借りた』もののことを」
 かつての勇者ロトの活躍をおざなりに称揚してから、王様は厳かに言った。やっぱりその話なのかと俺は肩を落としたが、王の間の壁際に居並んだ人々は戸惑ったようにざわめいた。王様以外は事情を知らないのかもしれない。王の間には貴族や兵士から下仕えらしい人々までいて、王様の話に耳を傾けている。
「ひかりのよろいと、勇者の盾。かつてアレフガルドを救うため、ロトは王家の宝であったこの防具を借りうけた。そして……どういうわけか魔王を滅ぼした後もこれらを城に返さなかった。その後しばらくして、武器屋が城に鎧と盾を持ってきた。買い取ってほしいとな。その者の証言から、武器屋に鎧と盾を持ち込み、売り払ったのは勇者ロト本人であることがわかった。このことは当時の記録にも残っておる。偉大な功績のある勇者のことゆえ、何か事情があるのだろうと表沙汰にはしなかったがな」
 ざわめきが大きくなる。俺はいたたまれずに首をすくめた。自分がやらかしたことでもないのに、背中に変な汗が出てくる。こんなふうに改めて言われると、なんでそんなことしたんだとご先祖に説教の一つもしたくなる。いや理由は知ってるんだけど。
「勇者ロトには、多額の借財があったそうじゃな? そのために『とりたて』という商人の特技をかけられ、その返済の過程で強くなり、魔王を倒した……そうじゃな?」
 俺は返事をしなかった。口の中がいやな感じに乾いていた。
(……やっぱり……)
 頭に浮かぶ言葉はそれだけだった。
 ロトが鎧と盾を返さなかったことは、王家にも記録として残っているだろう。俺がロトの子孫だということも、色々調べればわかることなのかもしれない。魔王を倒した後のロトは正体を隠して暮らしていたが、誰とも関わらずに魔王を倒したわけでもないだろうから、察している人もいたに違いない。
 だが、ロトの抱えていた借金や、特に『とりたて』のことに関してまで、察することができた人がいたとは思えない。子孫にだけひっそりと伝えられたことだ。王様が知るはずがない。本来ならば。
(…自業自得だ)
 俺が馬鹿だった。だからこんなことになったんだ。

 もう7年も前のことだ。ガライの町にラダトーム王家の御幸があったあの時、こっそり抜け出してきた女の子。俺は町はずれで彼女と会い、見る物聞く物すべて珍しがる彼女を案内して町中を回った。町の成り立ちや、創立者のガライの話をした。何を話しても彼女は感心してくれた。だから俺は調子に乗って、人に話してはいけない勇者ロトのことまで話してしまったのだ。
「すごい! 知らなかった、そんなこと!」
 彼女は興奮した声をあげた。かつてアレフガルドを救った勇者ロトの物語。けど俺が話した内容は、世間で知られているものとは全然違うはずだ。魔王を倒して光を取り戻したのは同じでも、その動機も、その経緯も、伝説とはまるで別人だ。
「でも、なぜそんなにくわしいの?」
 彼女は話の真偽を疑う様子もなく、俺をまじまじと見ながら言った。
「それは……」
 さすがにためらった。俺に他言を禁じた父の、真剣な顔が頭に浮かんだ。それなのに俺は。
「誰にも、内緒だよ?」
 馬鹿だった。本当に馬鹿だった。目をきらきらさせて俺のへたくそな話に聞き入るこの女の子と、秘密を分け合いたいなんて思ってしまった。彼女が何者かも、知っていたのに。
 あの時俺は彼女に、自分がロトの子孫であることを話し、ロトから伝わっている兜を見せた。嬉しそうに兜にさわっている彼女に、俺は誰にも内緒だよと繰り返し、彼女は絶対誰にも言わないわと請け合った。
 あまり思い出すこともなくなっていた、そんな美しい思い出を否応なしに思い出したのは、ついこの間のことだ。ラダトームの役人たちが俺を訪ねてきて、いきなり家捜しし始めた。
「ありました!」
 何が起こっているのかとあきれて見ていると、弾んだ声をあげた役人が持っていたのは例の兜だった。魔王を倒す時にロトが装備していたという兜。俺が死んだ父から受け継いだ兜だ。
 上役らしいらしい男がうなずき、俺に向き直って言った。
「ラダトームまでご同行願おうか、ロトの子孫よ」

「そなたの持つその兜こそ、勇者ロトの子孫である証」
 俺が返事をしないことを気にとめた様子もなく、王様は続けた。
「魔王を倒して凱旋したロトが身につけていた兜の形は、この城の記録にも残っておる。しかもその兜に使われている金属は、このアレフガルドには存在しないもの。まさしく外の世界より来た勇者ロトの持ち物に間違いない」
 また、王の間がざわつく。今度はやや喜び混じりだ。
 いやな予感がした。先祖の被害を弁償しろという話なのかと思っていたが、もしかしたらもっと悪いことなのかもしれない。
「そなたが現れたのは、まさしくムツヘタの予言通り! ロトの子孫が現れて竜王を倒すという、あの予言が成就する時が来たのだ!」
「はあ!?」
 いきなり何を言い出したのか、この王様は。しかもその言葉に反応して人々が歓声をあげた。弁償しろという話じゃなかったのか? アレフガルドを支配しようとする竜王の存在は俺も知っているが、俺にどうこうできる相手じゃない。俺は商人見習いで、魔物と戦ったことだって一度もない。武器を持ったことさえない身だ。
「ま、待ってください! 俺は戦い方なんて……」
「戦いながら覚えればよかろう。そなたはロトの子孫。必ずや強くなれるはずじゃ」
「そんな無茶な」
「勇者ロトが強くなったのは借財があったからこそ。子孫たるそなたにロトが借財を遺したのも、この日があることを予期していたからであろう…!」
 いや絶対違う。そんな理屈がどこにある? 
 しかしその王様の言葉に、なぜかまた大きな歓声があがった。中には涙をぬぐっている人もいる。待て、今ののどこに感動の要素があるんだ。
 どうやら逃げることは難しいらしい。この王の間にこんなに大勢の人々を入れたのも、以前なされたというあやしげな予言とやらも、俺に逃げ場をなくさせるためにあるようだ。人々は俺を期待に満ちた目で見ている。悪夢にも見たことのない状況に、もう汗も出てこなかった。
「どちらにしても、そなたにはロトの遺した借財を返してもらわねばならぬ。ならば先祖と同じように、勇者の称号を手にして返すのが早かろう。この場でわしから勇者の称号を授けようではないか。そして、そなたには、先祖と同じく『とりたて』をかけさせてもらう」
 王様がそう言うと、壁際に並ぶ人々の中から、一人の老人が進み出た。少し離れたところから俺に会釈する。反射的に会釈を返したが、老人はにやにや笑っているだけで何も言わず、代わりに王様が説明した。
「その者はリムルダールの商人じゃ。『とりたて』は際だってレベルが高い商人しか使うことのできぬ特技だそうだな。ようやくその力を持つ者を見つけ出すことができた」
 何くだらない労力を使ってるんだ。竜王を本気で倒したいならもっと他にやることがあるだろう。口に出せない俺の心中を見抜いたかのように、老人は笑みを深めながら口を開いた。
「さて、陛下からお前さんへご請求の金額じゃがな…」
 懐から書類を取り出しながら楽しそうに言う。
「ロトの鎧…いや、ひかりのよろいと勇者の盾を買い取った時の記録と領収書は、この城に残っておった。が、その金額には武器屋の儲けが含まれておるでな。お前さんにその金額を請求するわけにはいかん」
「……?」
「お前さん、商人見習いらしいのう。ならば少しは知っておるじゃろう。『とりたて』は利子や間に入った者の儲けは請求できん。元金のみ請求するという約束の上でのみ成り立つものじゃ。従って陛下がお前さんに請求できるのは、武器屋からロトが受け取った金額の方なんじゃよ」
「いくらなんですか?」
 もったいぶった言い回しに、少しいらだった。どうせならさっさと言い渡してほしい。しかし老人はあわてるなというふうに首を振って言葉を続けた。
「その武器屋はドムドーラにあってな。ドムドーラは竜王に滅ぼされてしまったが、子孫は今メルキドに住んでおって、当時の記録……鎧と盾の買い取り金額の記録もそこにあったよ。こういうものが全てそろわねば『とりたて』をかけることはできんかったんじゃがな…」
 どうやら、俺は運が悪かったということらしい。わざわざそんなことを強調してくれなくてもいいのに。いよいよ俺がげんなりしたところで、老人はようやく本題に入った。
「で、その金額じゃが……。ひかりのよろい、1万8千ゴールド。勇者の盾、2万8千5百ゴールド。合計、4万6千5百ゴールド。つまり、わしがこれからお前さんにかける『とりたて』は、お前さんが陛下に4万6千5百ゴールドを返済した時点で解除される」
 ロトの抱えていた借金の20分の1以下だ。そう思えばたいしたことはないのかもしれないが、俺にとっては途方もない金額だ。返事をする気力もない俺に、老人が付け加えた。
「知っておるじゃろうが、『とりたて』がかかっていると金を使うことができん。それから、換金が可能なアイテムも使えず、すぐに換金せずにはいられんようになる。が、竜王を倒すのに支障があるのも困るからのう。陛下のお考えでいくつか例外を設けさせてもらった」
 老人がそう言うと、王様がうなずいて口を開いた。
「まずは、身につけるもの。武器と防具じゃ。買うことはできぬが、見つけたものはそなたの自由にしてよい。それから、同じく買うことはできぬが、道具にも例外がある」
 王様が言うと、また壁際から一人の男が進み出した。手に箱を捧げ持っている。そしてその箱を静かに俺のそばに置いた。
「開けるがよい。わしからのはなむけじゃ。その中にあるのが、そなたが使うことのできる道具じゃ」
 重々しく言われて、少し期待しながら箱を開けた。中に入っていたのは、たいまつと魔法の鍵だった。
 俺も一応商人の卵だ。アイテムの価値くらいは分かる。この2つが、国王様からのはなむけにしては安すぎるということも。こんな仰々しく持ってくるような物ではないだろう。もしかしたら箱の方が価値があるんじゃないかと思う。
「…ありがとうございます」
 それでも一応頭を下げた。考えてみれば、この状況で価値のある物などくれるはずがない。王様はまた一つうなずき、言った。
「今後も、たいまつと魔法の鍵に関しては、もし手に入れれば売らずに使うこともできる。旅に役立てるがよいぞ」
「…はい」
「それから、勇者の称号についてじゃが……」
 今後のことについての説明は、それからしばらく続いた。勇者の称号を授かれば、魔物の攻撃で息絶えても、蘇ってこの王の間に戻ることができること。ただしその時に手持ちの金が半分になること。
 また、この王の間で金のやりとりなどするわけにはいかないから、返済はラダトームの町の窓口から千ゴールドずつ受け付けるという。最後に残った5百ゴールドだけ、ここで王様自ら受け取るそうだ。
(…千ゴールドずつで、最後だけ5百ゴールドか)
 細かいことかもしれないが、5百ゴールドが最初じゃないあたりが引っかかる。死んだら金が半分になるということを考え合わせると、まるで全額返済を先に延ばそうとしているようにも思えた。
(いや、実際そうなのか)
 王様としては、金よりも竜王討伐をしてほしいに違いない。金さえ払い終われば、俺のロトの子孫としての義理は一応終わる。つまり、竜王の討伐は自分には無理だったと言って勇者の称号を返上しても、王様は文句を言えない……はずだ。
(勇者ロトの、20分の1以下) 
 自分に言い聞かせた。しょうがない、やろう。こんな経験ももしかしたら、将来商人になるのに役立つかもしれない。ようやく俺は腹をくくって、『とりたて』の契約書にサインし、勇者の称号を授かった。
「では皆の者、見送るがよい! アレフガルドを救う勇者ロギンの旅立ちじゃ!」
 いっせいに拍手が巻き起こる。俺は立ち上がった。とにかくこの場から立ち去りたい。声援の中足早に扉へと向かい、取っ手を引いて唖然とした。
 鍵がかかっている。
 拍手は続いていた。俺はさっきもらった魔法の鍵を使って扉を開け、外に出た。魔法の鍵は一回使うと消え失せるアイテムだ。手元にはたいまつだけが残った。
(これは……あれだな)
 どうやら馬鹿にされてるらしいな、俺は。

 王の間から出ると、周囲は急に静かになった。だが行き交う人々はいて、俺の方をちらちら見ている。期待と、多分同情が混じった視線だった。王の間で何があったかは、外にももう知られているようだ。
 さて、これからどうしようか。
 少し落ち着いて、改めて途方に暮れた。本当に武器もなしに竜王討伐の旅に出なければならないのだろうか。しばらくぼんやりと立ちつくしていると、後ろから小さく呼びかける声がした。
「勇者。勇者よ」
 しばらく自分のことだと気づかなかったが、振り返るとさっきの王の間で見かけた男が立っていた。確か、玉座のそばにいた大臣だ。
「何ですか?」
「うむ……実はな」
 大臣は周囲を伺うように見回してから、やはり小声で言った。
「陛下はおっしゃらなかったが、実はもう一つ、そなたに頼みたいことがあるのだ」
「…ちょっと待ってください。竜王討伐だって手に余る話なのに」
「竜王討伐とも関わりのあることだ。そなた、ローラ姫のことは知っておるか?」
 俺は返事をしなかった。唐突にその名前を聞いて、声が出なかったのだ。
 大臣は沈黙を否定と取ったのか、痛ましそうな顔で続けた。
「陛下のただお一人の姫君だ。王妃様を亡くされてからは、ローラ姫が陛下の心の支えであった。そのローラ姫が竜王の手の者にさらわれて、もう半年になる」
「さらわれた…!?」
「うむ…。そのことで陛下がどれほど苦しんでおられることか。そなたに姫のことを話されなかったのは、身内のことを優先させるわけにはいかぬというお心ゆえであろう。しかし陛下のご心痛を思えば、わしには黙っていることはできぬ」
「…………」
「頼む、ロトの子孫よ。姫のことも心に留め置き、是非とも救い出してくれ。そなたに頼むより他にないのだ」
 大臣はまたあたりを見回すと、そっと懐から袋を取り出して俺に押しつけた。
「少ないが、足しにしてくれ」
 そして逃げるように去っていく。開けてみると、中には120ゴールドが入っていた。
 なんだか複雑だが、ありがたいといえばありがたい。借金のカタに竜王を倒させようとしている王様は、俺にビタ一文渡したくないはずだ。大臣のこの行為はきっと王様の意志に反することだろう。なのにあえて金をくれたというところに、誠意とか真心とか、そんなものを感じないでもない。
(ローラ姫、か……)
 けど、あの大臣はきっと知らない。王様が俺にローラ姫のことを言わなかったのは、私事だからなんていう理由だとは思えなかった。王様には分かっているに違いない。俺がローラ姫のために動いたりなんて、するはずがないということを。
 俺が今こんな目にあっているのは、7年前、言ってはいけないことを他人に言ってしまったから。つまり自業自得だ。けど……。
(誰にも内緒だよ)
(ええ、絶対誰にも言わないわ)
 彼女が約束を守ってくれれば、こんなことにはならなかった。約束を破って父親にあのことを話した彼女、ローラ姫のせいでもあるんだ。


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ロギン : 勇者の子孫
レベル : 1

財産 : 120 G
返済 : 0 G
借金 : 46500 G