北方水滸伝 湯隆登場箇所一覧及び私感雑感(ページ数は文庫版準拠)

※結末とか続編の内容とかに言及しています

16巻 P49
 柴進は、梁山泊だけでなく、二竜山や双頭山の鉄の量も把握していた。
「武器を製造するための鉄などは、ほぼ充分と考えてよさそうだな。さらに鉄は集まっているようだし。作ることが追いつかない。湯隆はあの通りの気質で、粗悪な武器など作ろうとしないからな」
 呉用との話し合いだった。敬遠していても、全体のことについては、やはり喋らなければならない。
「試算してみたが、このままの勢いで人が増えれば、今年じゅうに四万を超え、来年には五万に達する。湯隆の武器はそれとして、北から戟や剣を入れる道を作ってくれ」 
柴進と呉用の話し合いに名前が出てくる
色々変わっても、根っこのところは変わらない湯隆だよ

17巻 P94

 蔡京の印はすべてに優先せよ、というのが呉用の命令だった。
 まず、同じ質感の石が見つかることはなく、別なもので代用しなければならない。木、蝋、鉄、銅。銅と鉄を混ぜたものか、金か、銀か。
 まだ、決まっていない。彫れるものでなければ、意味もない。
 湯隆に頼んで、いくつかのものを溶かして混ぜ合わせる試みをして貰っている。すでに三つばかり届いているが、いまのところ、なにがいいのかさえわからない。

偽造書類のための印を作る担当の金大堅が、特殊な石で造られた印の質感をどう再現するかに苦慮しているところ。
鉄での再現も視野に入れているので湯隆に依頼が行きます。これもよくわからない仕事だと思うけど対応してて流石

色々試した結果、これについては木で作ることにしたらしい。この部署も大変です本当


17巻 P256

「どうした、神火将?」
「大砲が、うまくいかん。さまざまな厚さの鉄で玉を作っているのだが、どうしても発火せん。それがいまいましくてな」
「玉を作るのは、凌振の仕事ではないのか?」
「と言ってもな、呂方。あいつ、船一杯玉を積んでくるのだ。俺も、湯隆のところへ行って、あれこれ言っている」
「おまえも、大砲に取り憑かれたか?」
「早く終わらせたいのだ、俺は」

鍛冶場に毎日のように来ているという証言があった魏定国
凌振に大砲作りに引きずり込まれてからもうずいぶん経つと思うけどまだ付き合っている……これはもう……(手遅れ)

続編となる「楊令伝」の方で、鮑旭が凌振のことを思い出して「湯隆と魏定国くらいしか親しい人はいなかった」みたいなこと思ってたんですよ おう親しいのかよ まあ親しいよね
あと「いつもぶつぶつつぶやきながら歩いていたという印象」とか回想しててわろた 読者サイドとしては凌振はワーワーうるさい感じなんだけど、大砲と関係ない人から見るとそんな感じになるのね


18巻 P181

 卵鉄と衝車は、すぐに組み上がる。しかし、それを遣う時の地面の状態が、一番大事なのだった。地面がしっかりしていなければ、狙いははずれる。投石機も同じだ。
 かなりの部分に、鉄が使ってある。それも、きっちりと嵌めこまなければならない。李応と湯隆が、夢中になって鉄を打っていたことを思い出す。

攻城兵器部隊を李応から引き継いだ解宝が、李応のことを思い出すところ 李応も自ら打っていたんだなあ
湯隆が鉄を打つ時に夢中なのはきっとデフォルト


18巻 P388

 梁山泊の中も、兵は少ないが、慌しかった。
 工房では武具が作られ続け、鍛冶場では、湯隆をはじめとして、総出で鉄を打っていた。李雲は部下数十名と、阮小ニの造船所にいて、板などを作り続けている。

最終巻直前、最後の戦い前の梁山泊のようす
なんかわからないけど「板など」って妙におもしろい


19巻 P161

「確か、湯隆殿が打たれたのでしたね」
「凶々しい棒を打ったものだ、湯隆も。何百という人の血を吸っているぞ」

楊令と史進の会話。楊令は特別な登場人物なので、楊令の口から名前が出てくることはやはり特別な意味がある気がする。

楊令がどう特別かというと、百八星ではない北方水滸伝のオリジナル登場人物であり、続編である「楊令伝」の主人公でもあるのです。
ここまでの来歴:幼い頃に両親を賊徒に殺され、縁あって青面獣楊志の養子となる(シャレではない)。時間はかかったが心を開き、楊志とその妻を父母として慕うようになるが、楊志を狙う敵方の暗殺部隊が親子三人でいるところを襲ってきて、楊志は闘いぬいて暗殺部隊を大半倒したが死亡、その妻も楊令をかばって死亡する。その後梁山泊の寨の一つである二竜山で暮らし、幼いながらも林冲に鍛えられたり、他の好漢とふれあったりふれあった好漢が死んだり色々あったが、やがて秦明の命により魯達に伴われて子午山へ行き、史進の師匠であり林冲のかつての同僚である王進に心も体も鍛えられて色々すごくなりながら成長する。楊令はここまで色々あった経緯により、子供の頃から梁山泊の人々にとって特別な存在となっていたのだが、成長した楊令のところに病に侵された魯達が現れ、数日かけて梁山泊のすべてを伝えた後死亡。楊令はその後ついに山を下りて梁山泊に入り、その凄まじい強さや格や器などで周囲を驚嘆させ続けている……みたいな感じです。あと梁山泊の指令で北の大地に行き、後に金の初代皇帝となる阿骨打とすごく親しくなってたりとかあって、これが「楊令伝」の展開に大きくかかわってくる

そんな感じで本当に色々な意味ですごい楊令ですが、湯隆との直接の絡みはありません。梁山泊入りした時、喜んだ宋江が梁山泊の主だった者たちに会わせる、ということがあったので会ってはいるとは思うけど
楊令は父(楊志)の形見の吹毛剣という伝説みたいな剣を持っていて、これは楊家の祖の楊業が自ら打った剣とかそういうやつなので、他の豪傑たちみたいに鍛冶屋に武器を頼むイベントもないのです(名馬に出会うイベントはある)

ではなぜ史進の棒を湯隆が打ったということを知ってるのかというと、魯達が梁山泊の百八星のことを全員語ったらしいので多分その時に「湯隆という男はこんなものを作った」とか言って、そこに史進の棒も入っていたのではないかと。
ちなみに魯達は百八人全員のあだ名も言ったらしい。でもあだ名の由来は言わなかったらしい。つまり魯達は湯隆の肌がきれいだということは楊令に言っていないという重要かつどうでもいい推測が成り立つ


19巻 P323
「魏定国の瓢箪矢を、俺は夜も眠らずに改良し、砲弾にし、さらに改良に改良を重ねたのだ。必ず、海鰍船を燃やせる」
「流花寨で何度も試射をくり返して、結局失敗したのではないのか、あれは」
「馬鹿め。失敗するということは、いずれ成功するということだ。砲も工夫した。玉を飛ばす火薬も、工夫した。工夫に工夫を重ねて、俺は砲弾を完成させたのだ」
 試射は、まだしていなかった。しかし、絶対に間違いはない。砲を打った湯隆は、二発しか撃てない、と言った。確かに火薬の量は増やしたが、二十発は撃てるはずだ。それが工房の脇の砲台に、十門据えつけてある。鉄の玉を飛ばすだけの砲ならば、梁山泊の四方に、五十門は据えつけた。
凌振が最終巻にしていよいよ極まってきた
「結局失敗したのではなかったのか」と聞かれて「馬鹿め。失敗するということは、いずれ成功するということだ」って全然答えになってなくてやばすぎるし、そう言った直後の「試射は、まだしていなかった」で凄みがさらに黒光りしている
もっとも凌振は前からこんな感じで、周囲の状況が悪化してて止める力が弱まっているということかもしれない

湯隆がちゃんと打つのまでやってくれてるのが胸にくるね
限界発射数の認識に10倍の開きがあるのも胸にくるね
贔屓目を抜きにしても、今までの積み重ねにより完全に湯隆が正しそうに見えるからどうにもこうにも
「砲弾が完成したのか、凌振殿?」
 宣賛が、近づいてきて言った。宋江や張清は、もう一の木戸にむかって歩いている。
「完成した。死んだ魏定国に見せてやれぬのだけが、残念だ」
「しかし、試射はまだでしょう」
「なにを言っている。あれを完成させるための試射だ。完成したものに、なせ試射の必要がある」
おまえが何を言ってるんだ
ここは凌振パートなので、これが強がりとかでなく本気で言ってることがわかってすごくいいんですよ

19巻 P337
 十門並んだ大砲を、凌振は撫でた。女の肌を撫でるようだと、いつも湯隆に笑われる。女の肌より大事に撫でている、と凌振は思っていた。

ついに凌振の大砲が宋の水軍を迎え撃つ時が来た。
この少し前に別の場面で「おまえ、凌振が信用できるか?」「できません」みたいな会話があったんだけど、他に方法がないからみたいな感じでやることになった。

それはそれとして、また容易ならぬこと思い出してくれてますなあ! 凌振が騒いでて湯隆は迷惑そうにしてる、というだけでない鍛冶場の風景がここにある。笑ってるんですよ。しかもいつもときたもんだ。凌振ビジョンではあるけど、湯隆がこういうこと言ってるのはたしかだよ こういうことも言うんだねえ

 玉は、八十発以上作ってあった。
 湯隆は、二発以上撃つな、と言う。玉を飛ばす火薬の量を、ほかの三倍は使うのだ。砲身が保たない、と考えている。
 保つか保たないか、撫でていれば凌振にはわかる。

(アカン)
積み重ねられていく何か

「二発以上撃つな」とあるけど、前の場面では湯隆に「二発しか撃てない」と言われたとあったから、二発はオッケーなんだと思う多分 どっちにしても全く守る気ないわけだけど
なんだかんだいって湯隆はこの大砲と凌振のこと心配してると思うし、撫でればわかるとか言ってる凌振に本気で怒ってたりもしてるような気がする。でもその言葉は凌振の耳には入っても心には届いてないんだよ……

「三発だ。三発で、ほぼ燃える。四発撃ちこめば、どうあがいても消すことはできんぞ。見えるか、魏定国。俺とおまえの、瓢箪弾だ。ついに、完成したぞ」
 凌振は、半分泣きながら、手を打って踊っていた。
 二艘の海鰍船は、船体全部が炎に包まれはじめている。凌振は、砲身に抱きついた。それは、熟れた女の肌のように、心地よく暖かかった。

ここ泣いてしまう

発射に成功し、宋水軍の大型船に被害を与える大砲。ここでは十門を1発ずつ撃っただけなので、まだ湯隆の言葉は守られています


19巻 P346〜

 文治省から、蕭譲と金大堅、そしてその部下が、船に乗ることになった。梁山泊を出て、南にいる同志と合流するという。工房の者などは、出ていくことを拒んだようだ。

宋軍の本格攻撃が始まる前に非戦闘員を脱出させようとする張清。敗戦処理のために奔走する者は梁山泊ではごく少ない。

この出ていくことを拒んだ「工房の者など」に湯隆や李雲が含まれているのです。流れ歩く鍛冶屋だった湯隆が出ていくことを拒んだんだよおー
15巻の李雲のパート、なんとなく湯隆も梁山泊を自分の場所と思っている感ありましたが、なんかもうウワー

 砲声が轟いた。続けざまに、十発だった。
同じパートでまた砲撃が始まる。今度は凌振ではなく張清視点での砲撃。
火を噴く宋軍の大型船。しかし消し止められもしている。
 また、十発の砲声が連続した。二艘が火を噴いたが、炎に包まれたのは一艘だけだ。
 水に飛び込んだ兵は、次々に拾いあげられている。新たに、海鰍船が三艘近づいてきた。また、砲声が轟いた。二発が、一艘に当たっただけで、火も消された。狙いが、少しずつ狂いはじめているのかもしれない。
3発目撃ってますね
よそからの視点なのに迷いなく撃ってると確信できるのすごい
 さらに、十発の砲声が轟いた。二艘が、火に包まれる。
 次の砲声、と思ったが、音は今までのものと違い、足もとを震わせるほどだった。
 砲台から、大きな炎と煙が上がっていた。

あっ……

5発目で砲台が爆発。他の玉も誘爆した大爆発となり、凌振も粉々になったらしい。
きっと湯隆は3発目の砲声が聞こえた時に顔色を変え……いや砲撃開始からすでに絶対あいつ撃ってしまうと思ってたかも。
砲台の場所は工房の脇だから、すぐ近くで爆発してるということについても考えてしまう


19巻 P361〜

 安道全が、逃げようとしない。
 聚義庁で撞かれる鐘は、湖上にまで響いているはずだが、安道全の耳には入らないようだった。

ついに上陸してきた宋軍とあちこちで戦闘が始まる。
すでに撤退の合図は出されているが、逃げ出そうとしない安道全。もう仕事はないがそこにとどまる薬師の薛永。

 薛永は、何年も遣ったことのない剣を、抱くようにして腰を降ろした。安道全は、運び込まれてきた、湯隆の腹の中を縫っていた。助からないだろう、と薛永は思ったが、安道全にかかるとわからない。死にかかった人間を、何度も生の方に引き戻しているのだ。

安道全が一心に治療しているのは、重傷を負った湯隆だった。

「もういいよ、安道全」
 意識は失っていなかった湯隆が、そう言った。
「鐘が打たれている」
 安道全は、血まみれの手の動きを止めなかった。

湯隆はなんていうか……さりげなく、かつ、かっこいい、そういうセリフが多い気がする
15巻では日が傾いてきた時に「冷えてきたな」というセリフもあった(普通)

 造船所から上陸しようとする敵との攻防は、激烈なものだったという。闘ったのは兵だけではなかった。李雲が闘い、傷を負って部下に運びこまれてきたが、その時は死んでいた。湯隆も、そこで傷を負った。

そして李雲。
「楊令伝」で李雲の弟子の劉策がこのあたりのこと思い出して、李雲が大工なのに撤退しなかったのは、怒ってたからだと言っていた。あと、大工の腕はすごかったけど武器をとって戦うのとかは全然だめだったっぽいことも言っていた……
鍛冶屋の方もまあ武力は低そうです。湯隆にはロン・ベルクみたいな事情はない

 聚義庁で鐘が撞かれたのは、金沙灘で一の木戸が破られた時だったという。
 撤退の合図がそれで、鐘の音を聞くのは、梁山泊に入ってはじめてだった。

ところでこの聚義庁の鐘。
このパートは薛永視点ですが、薛永はかなりの古参、というか晁蓋がこの山寨を乗っ取って梁山泊とした時からのメンバーなので、もう10年くらいは梁山泊にいるはずです。その薛永が一度も聞いたことがなかった聚義庁の鐘とは一体?
聚義庁は晁蓋が乗っ取る前、当時の首領だった王倫の命令で李雲が建てたものです。その頃から鐘は付属していたのか? そのまま10年くらい鳴らす機会がなかったのか? 最初から総員撤退の合図のためにあったのか?

軍師の呉用は負け戦になった時のための準備も色々してるんだけど、「負け戦になった時のことを考える」というのは梁山泊の人たちの中ではわりと異端というか、「あいつそんなことまで考えるのか」みたいに思われたりしていた。続編の「楊令伝」で、こういった準備は宋江の命令でやっていたことが判明するんですが、それはさておき。
全力で戦って滅びたら終わりというが通常の梁山泊人の姿勢っぽいことを思うと、総員撤退の合図のためだけにある鐘が梁山泊の中心の聚義庁に10年くらいの間置いてある、というのがちょっと不思議なんですよね。もしかしたら、この鐘はわりと最近になってから作られたのではないか。というかこれも呉用の「負け戦になった時のための準備」の一環なのではないか。

ここまで考えれば、まあ……あれよ。鐘って鍛冶屋が作るものかと言われると首をかしげるところもあるんだけど、大砲作れるんなら鐘だって作れるんじゃないのかな湯隆。というわけです。
「楊令伝」で、湯隆の弟子だった高平が湯隆のことを思い出すありがたい場面があるんだけど、それによるとどうやら湯隆は部下が帰った後も一人深夜まで鉄を打ったりしてたらしいのね。だから深夜の鍛冶場に公孫勝とかを護衛にした呉用が訪れて、聚義庁の鐘を依頼するエピソードがあったかもしれないという……そういう可能性なんだよ(机叩く) 湖上を含めて梁山泊にいるすべての者に聞こえる音を響かせる鐘が必要だ、もっとも撞く機会はないかもしれんが、とかなんとか呉用殿特有の回りくどい言い方してきたりしてさ。
使われなかったらその鐘はただの聚義庁の飾りになるんだけど、そこで効いてくる初期のエピソードがありますよね。かつて王倫が首領だった頃に湯隆は投獄されていたけど、その理由は「聚義庁の部屋の飾りをいつまでも作らなかった」というものでした。そのあたりを当然把握している呉用殿に、飾りになるかもしれないが引き受けてくれないかとか言ってほしいんですよ(拳握る) 武器や武具ばかり作ってる感じに紹介されたわりに、実際出てきたらわりと実用品なら何でも作る鍛冶屋さんだった湯隆に、飾りのままでいた方が嬉しい何かを作ってもらいたいんですよ

この忙しい時に鐘作りとか不自然だから湯隆はその鐘を秘密裏に作り、完成品は聚義庁の目立たない一角に据えつけられて、隠されてはいないけど使用目的とかは何も言われず、いよいよ官軍上陸が迫ってきたあたりで「聚義庁の鐘が撞かれたら総員撤退の合図」という通告がなされる。
もしそんなことがあったら、湯隆が宋軍上陸前に出ていくこと拒む理由にひとつ追加ができるのでは? 試し撞きもできなかったその鐘が気になるという……そんなこと気にしないだろうか
ついでに聚義庁を建てた李雲がその通告を聞き、聚義庁に鐘なんてつけてないぞと妙な顔をして、呉用殿の依頼で俺が作ったと湯隆が明かしたりするやつもひとつ


19巻 P366

 薛永は、立ちあがった。
 思った通り、五、六人の兵が乱入してきた。
 いきなり、戟で突きかかってくる。薛永は、抜いた剣でそれを撥ねあげ、斬り降ろした。次々と戟と剣が来たが、すべてかわした。さらに十名ほどが乱入してきて、ひとりが剣を安道全の脇腹に突き立てた。一度膝を折りかかった安道全が、また手を動かし始める。背中から槍で突かれ、安道全はゆっくりと前のめりになり、湯隆の腹の傷に顔を突っ込むような格好で、動かなくなった。

ウワアア安道全 そして湯隆も……
この直後に薛永も死ぬ。ちょうど武松が飛びこんでくるのだけど間に合わなかった。

湯隆の腹を縫い始めてから一言も口をきかなかった安道全。多分治療のことしか考えてないから特別扱いはしていないと思うけど、安道全は湯隆の友だちでもあります。
4巻で湯隆は晁蓋に、白勝と安道全と友だちになったことと、友だちとはいいものだということを話すのだけど、その時にこう言う。
「俺は、鍛冶しかできません。だけど、それでいいのだとも、友だちが教えてくれました。なにかひとつ、できることがあればいいと」
1巻で安道全は、白勝に「医術のことになると何も見えなくなる」と言われて、「実はそうかもしれない、と自分でも思うことはある。しかし、改めても仕方ないという気がするのだ。私は医術しかできないのだから」と答えていた。林冲に「おまえは医師でしかいられない」と言われてたりもしていた。鍛冶しかできなくても、それでいいのだと教えてくれた友だちというのは、安道全のことなのかもしれない。

人と、心まで通い合わせるのはたくさんだ。鉄となら命を通い合わせてもいい。湯隆は4巻時点ではそう考えていた。その後それが変わったかどうかはわからない。梁山泊でひたすら鉄を打ち、おかしな注文に応え、友だちができて、文句言ったりしながらもやっぱり鉄を打って過ごした。流れ歩く鍛冶屋だった湯隆は、梁山泊の鍛冶屋として死んだ。

……正直に言うと、安道全がぎりぎりに手術完了させてたとかでここで湯隆が実は生きてて、宋軍も怪我人病人は殺さなかったりでそのまま生き延びてる可能性もあるんじゃないかみたいなこと、考えなくもなかった(とても考えた)(今も考えてる) もっと死んでそうだった人が楊令伝に生きて出てきたりしたし
結局楊令伝には出てこなかったし、さらに続編の「岳飛伝」(進行中)ではさらにまた年月が経ってるけど、謎のスーパー鍛冶屋老人登場に備える気持ちはまだ残ってます。これはしょうがないと思う。死んだ登場人物限定っぽい「やつら」(公式サイトのあれ)にも出てきてないという立派な根拠もある(注:まだ9人しか出てきてない)(2014年9月現在)


楊令伝6巻 P244〜
 湯隆は、苦労していたことのほとんどを、まるでなんでもないことのように、易々とやってみせてくれた。槌から、なにか命をもったものが打ち出されている、と感じたほどだ。
 あれを見て、鍛冶の仕事に魅せられたのだった。数日間一緒にいた高平を、湯隆は梁山泊に連れていった。そこで、鍛冶のことを、はじめから叩きこまれた。
 知っていることを、なぜもう一度と思ったが、なにひとつとして、湯隆がやるようにはできなかった。教えられる相手を捜していたのだ、と湯隆は言った。

そんなわけで楊令伝ですけど、こちらにも湯隆の名前はたびたび出てきます。
そしてこの章「地孤の光」では、湯隆の弟子の高平のパートがあり、そこで少し湯隆のことが思い出されるのでした。同じ鍛冶場にいた者から見た湯隆がどんなだったか、というたいへんに栄養価のあるパートです ハアうれしや ここ本当に好き……槌からなにか命をもったものが……

兵になりたかったのに鍛冶場に配属されて不満を抱えていた高平が、湯隆と出会って鍛冶の仕事に魅せられるんだよ どうだ!
それにしても湯隆に「教えられる相手を捜していた」と言われたとかすごいや

 湯隆が死んだ時、つまりそれは梁山湖の寨が陥ちた時だが、高平は十数人の鍛冶とともに水軍にいた。なぜ水軍に回されたのかはわからなかったが、死なせずに残そうとしたのだということが、いまになってわかる。呉用あたりの命令だったのだろう。

読者サイド的には湯隆の意志も入っているとしか見えないんだけど、高平はまったくそうは思っていないらしい

 湯隆とともに死ねなかったことに、高平はいくらかの後ろめたさを感じていた。命令だったのだと、思い定めることはたやすかった。しかし、湯隆が死ぬのなら、自分も生き残るべきではなかった。

(無言)
これ梁山泊が陥ちてからもう何年も経ってる冷静な状態で言ってますからね(言ってはいない)
高平は湯隆と比べると明るくて社交的な感じに見えるんだけど、生き残るべきではなかったとか思ってるのかよ そうかよ

 深夜まで、黙々と鉄を打っていた湯隆の姿を、いまもしばしば思い出す。不屈だった。どんな註文にも応じようとしたが、それに部下を巻きこむこともなかった。

このあれよ、人に教えるの全然向いてなさそう感……尊い……
まあこの「部下」に弟子は含まれてなくて、高平はいつも深夜まで一緒に作業してたのかもしれないけど

未熟者見てイライラしたりとかはなさそうだけど、本当は自分が打ってればそれでいいという……そういう人が、それでも自分の技術を教えられる相手を捜して、基礎から叩きこんだということの意味を考えてしまうよ

 湯隆を越えたい。ここ二、三年は、そればかりを考えている。

そればかりを(復唱)

湯隆には目標とする誰かとかライバル的存在とかはいなかったようでした。父親に鍛冶の仕事を教えられたとあったけど、多分それは基礎のことで、流れ歩く鍛冶屋になってまで鉄とばかりふれあっていた歳月のうちにあの境地に至っていた感じ。
高平は湯隆に比べるとずっとまわりのことが見えてるし、鍛冶しかできない感じでもない。湯隆は字が読めなかったけど、高平は字が読めるから昔の鉄についての書物を読んで研究の一環としたりもしている。こういう資質の違いによる越えられるか越えられないかの話はともかく、こういう高平にここまで思わせる湯隆についてとかそういうことを言いたい。なんとなく、いずれは越えるとも思います。

鍛冶の腕が良くないからと湯隆が認めてなかった職人を、高平は面倒見の良さに着目してまとめ役にしたりとかしています。
湯隆がいる頃から縁の下で色々やってたんだろうな そして湯隆はそれにほとんど気づいてなかったんだろう……弟子というポジション……いいね……