帽子をかぶったままトイレに行くと、間違ったことをしている気がする。
じゃあ脱げばいいんですが、それにも色々と問題があるのです。
「まず、フランスのフリット氏に、トイレでの帽子の扱い方についての中間発表をお願いしましょう」
パチパチパチ。
「トイレに行く際の永遠の課題は、帽子をどうするかということであります。ビデオをごらんください」
スクリーンに映し出される映像。
「ポケットに入れるとかがんだり振ったりした際に落とすおそれがあるし……」
場面が変わる。
「といって、帽子を口にくわえて用を足すのも下品です」
場内爆笑
「これはあるアメリカ人の例です。帽子を床に置いて用を足し、終わってから元通りかぶるやり方もあります」
激しいブーイング
「では、今のフリットさんの問題提起をふまえて、トイレと帽子について論議していただきたいと思います」
「今の最後のやり方は許せない! トイレの床に置いたりしては、かぶることなどできなくなってしまう」
「私は普段からカバンを持って、トイレに行ったら帽子を入れます。こうすると汚れることもない」
「しかし問題があります、カバンに入れると帽子が歪む。レースや花などついたものだと壊れてしまって……」
「用足しの際に帽子をかぶっていると落ち着かないのは、帽子が別のものを連想させるからであります。いわば人間の深層心理に強く訴えかけるのであります」
「それは私達女性には無関係だ。トイレは男性だけの物ではないことをお忘れなく」
「私は帽子をカバンに入れたりせず、床に置いたカバンの上に乗せてしまう。こうすると汚れることもない」
「帽子をかぶる習慣などなくせば、汚れるとか何とか心配しないですむんだ!」
「ちょっと待って、帽子をかぶる習慣とトイレでの着脱とは別の問題だ!」
ワーワーワーワー。
「それでは、どんな形状の帽子が一番落ち着かないかを論議する前に、皆さんで用を足すことにしましょう。議論が活発だからもよおしてきたことでしょう」
「異議なーし!」
「足しましょう!」
ガヤガヤガヤガヤ。
「楽しい連れションねえ」
と、これくらい難しい問題なのです。
「雪が積もってるー」
「わーい!」
「見てー! 崖が雪で真っ白!」
「きれいー! 登ろうよ!」
「……ハアハア」
「ハアハア」
「……クッ……おい、大丈夫か」
「ああ……こっちのことは気にするな」
「……ハアハア」
「ウッ!」
「!」
ガシイ!
「ホワイトー」
「いっぱーつ」
ガン ゴン
「有罪」
「有罪」
「某日の日記はなかったこととされる」
「即刻別の文面を考案、及び貼りつけのこと」
「この件についてはこれ以降の言及は行われない」
「これにて閉廷」
ガン ゴン
「待て! 待ってくれ!」
「閉廷」
「閉廷」
「納得がいかん! なぜだ!」
「特殊検閲委員会の検閲基準については君も知っているはずだ」
「知っている、しかし別にそれにひっかかるような……」
「検閲基準その3、下ネタは対象年齢10歳以下」
「何……あれのどこが」
「閉廷」
「閉廷」
「待ってくれ! どこが! どこが!」
ガン ゴン
「ふう」
「どうした、疲れたのか」
「いいえ。しかしどうもああいうのを見るのは……」
「つらいか」
「まあ、少し」
「そうか」
「坪谷さん。最近の委員会は少々厳しすぎやしませんか」
「委員会は変わってはいないよ」
「しかし……」
「言いたいことははっきり言いたまえ」
「は……たとえば2週間前の件など……。あれも検閲基準その3でした」
「ああ、あれか。(検閲削除:局部に生える体毛)の件」
「はい。(検閲削除:同上)くらいいいじゃありませんか」
「いや、対象年齢10歳以下という基準に照らせば通せない」
「それは対象年齢とは別でしょう。10歳では(検閲削除:同上)は生えてないかもしれないが、10歳の世界にも(検閲削除:同上)はいくらでも目に入ってくるはずだ。風呂、トイレ、あるいは部屋の隅、テーブルの上」
「そんな理屈は通らない。そんなことを言ったら、風呂上がりの父親がうろうろすれば10歳の世界にも(検閲削除:成人男性器の俗称)はある、という話になる。違うか?」
「…………」
「どこかに線を引かなくてはならないんだ」
「そうかもしれません。しかし……」
「言いたいことははっきり言いたまえ」
「何度も検閲作業に参加しているうちにいらいらするようになったんです。なぜこんなことをしなくてならないんだ。どんな言葉でも、何かを表現するという崇高な使命を持って生まれてきたはずなのに」
「若いな。若いよ。言葉も人も同じだ。生まれた瞬間からその運命は決まっているんだよ。輝かしい舞台で使われ続けることが決まっているもの、死んで誰も使わなくなるまで眉をひそめられ虐げられるもの」
「そんな世間の流れに従わなければならないのですか。私はどんな言葉も同じように扱いたいんです」
「無理だね。特にここでは無理だ。ここの検閲委員会は過去に(検閲削除:体の特定の部位、あるいは装飾品などに対して異常な愛着を示すこと。足――、メガネ――)という単語が含まれていた日記を削除したことがある。いいか、(検閲削除:同上)だぞ。立ち話でも平気で使われる単語だ」
「なぜ、そこまで」
「言葉には力があり、その力は恐ろしい、ということさ」
「坪谷さん……」
「言葉は、それを発した人間をも変えてしまう」
「私には……私には分かりません……」
知り合いに見られたら恥ずかしいという理由で過去ログ書き直しを続ける背景にこんな脳内委員会
「ガキの頃俺はね」
「はあ」
「鬼になりたかったんだよ」
「それは嘘でしょう」
「おい失礼だぞ」
「だって、そんな馬鹿な」
「鬼はね。ガキの頃の俺の中では、忍者、超能力者と並んであこがれの異色ヒーローだったんだよ」
「他の2つは分からなくもないんですけどねえ」
「そうあせらないでくれ。そっちの2つについても別の機会に話すからさ」
「そういう意味じゃありませんよ」
「とにかく今回のテーマは鬼だ。季節のイベントには敏感にいこうじゃないか。ほら、豆も持参したよ」
「ああ。今日節分でしたっけ」
「さて、俺がなぜ鬼にあこがれたのか? ありがちで悪いが、泣いた赤鬼がきっかけだった」
「はあ」
「あれを読んで青鬼くんのような友達がほしいと思った俺の気持ちは、いつしか鬼そのものへのあこがれへと変わっていったんだ」
「なんか何重にも間違ってる気がしますが」
「今省みれば、鬼にあこがれたこと自体に運命的なものを感じずにはいられない。俺が本当に鬼になったのはそれから2年後のことだった」
「そこから妄想に入るわけですね……やれやれ」
「その日。夜中に俺はふと目を覚ました。なにやら話し声が聞こえてきた。小声で話そうとしているようだったが、その深刻な調子は隠せない。聞いているうちにすすり泣きも混ざり始めた。『お母さんが泣いてる?』心配になり、そっと起き出す俺」
「はあ。豆おいしいですね」
「そっと話し声が聞こえる方に近づくと……なんと! 障子に映る父親の影、その頭にはっきりと角が見えるではないか!」
「ほう」
「驚きのあまり硬直する俺の耳に、深刻そうな話し声が入ってくる。『行かなくてはならない、一族の危機なんだ』『ええ……分かっているわ、止めることなどできないということは』『すまない』『鬼のあなたが里を捨て、私とともに暮らしてくれたなんて、振り返れば信じられない奇跡ね』『いや、僕にとっては君と出会えたこと自体が奇跡さ。この10数年は僕の中で宝石のように』」
「あまり深刻そうには聞こえませんが」
「『じゃあ、もう行かなくては……。もしも、僕がこのまま帰らなかったら』『いや! そんな話聞きたくないわ! 必ず、必ず帰ってきて!』」
「その会話、ちゃんと自分の両親を頭に浮かべながら作ったんでしょうね?」
「無茶言うな。さて、そこらへんで硬直していた俺の体も動きだす。『お父さん! 僕も行くよ!』」
「なんで?」
「このまま黙っていたら父には2度と会えなくなるような、そんな予感が稲妻のように俺の体を貫いたんだ。『お前が? 来てどうするというんだ』」
「まったくですね」
「『僕だって戦えるよ! お父さんの血を引いているのだから!』」
「? 戦うとかそういう話だったんですか」
「鬼が一族の危機のために里に戻ろうと言ってるんだぞ。それくらい推察してくれよ」
「はあ……」
「『お前は家に残り、お母さんを守るんだ』『いやだ! お父さんは死ぬ気なんだ! そんなことさせるもんか!』はっと顔をふせ、涙する母……」
「推察なんかしたくないなあ」
「緊迫の場面、しかしそれを突然の轟音が破壊した。『何だ!?』『玄関の方よ! ドアが破られたみたい!』廊下を渡ってくる荒々しい足音、そして現れたまさに鬼といった外見の巨大な男。『オウオウオウ、いつまで待たせるんじゃい!』」
「待たせてたんだ」
「『あせるな、今行くところだ』落ち着いた様子で答えた父が、あっけにとられている俺に笑いかける。『俺の仲間はこんなやつばっかだぜ。それでも行きたいのか』『い、行くさ!』気を取り直して答える俺。『そうか。だが、これを聞けば行く気はなくなるだろう。俺たちが戦う相手は……人間だ』ガーン!」
「ははあ」
「『そんな……』ショックを受ける俺。さらにいらだつ鬼。『こんなガキに何を手間取っている! ぐずぐずしてる暇などないと言ったろう!』『もうすんだ。さあ、行こう』『いいや! 今、はっきりと分かったぞ! この腐れ者どもと完全に縁を切らねば、人間相手にお前は力を出し切れぬ!』『な、何をする気だ!』母に向かって一直線に突き出される鬼の腕!」
「なぜ母の方に」
「『やめろー!』母の体にその鋭い爪がかかる寸前、俺の体が光を放った。カッ!『ウオオッ!? この光はー!?』煙がはれ、そこに立っている俺の頭には立派な角が生えていた。『貴様ア!』標的を変え、俺に襲いかかってくる鬼」
「なぜ」
「軽々とその攻撃を受け止め、腹に膝蹴りをお見舞いする俺。一見地味だが、それはとてつもなく重い一撃だった。倒れる鬼。『お前……』驚愕の目で俺を見る父」
「なんか場面が想像できませんが」
「『お父さん。僕は行くよ。戦いに行くんじゃない、戦いを止めに行くんだ。鬼と人間、どちらの血も引いた僕だからこそできることが、きっとあるはずだ』決意を口にする俺はもう子供には見えなかった。言葉を失う父。『ガハハハハ、やるではないか貴様。よし、ついてくるがいい!』なんと倒れたはずの鬼がケロリとした顔で起き上がって笑っているではないか。彼もやはりただの鬼ではなかった」
「ふうん」
「『行くぞ!』『うん!』こうして鬼の里と人間との戦いに参加することになった俺。さあ、鬼の里へ急がなければ! 山の中、木から木へと飛び移りながら目にもとまらぬ早さで移動する俺たち」
「それ、鬼ですか」
「直線にして200kmの距離、鬼として覚醒したばかりでしかも子供の俺はさすがに疲れ気味だ」
「はあ。電車で行った方が」
「『オウオウ。へばるなよ、そろそろだ』『へばってなんかいないよ!』いつのまにか鬼のアタラカさんと俺はすっかり仲良くなっていた」
「アタラカさん……?」
「『アタラカさん、もう里は見える?』『オウ、あそこにひときわ高くそびえる木があるじゃろう。あれが里の中心じゃい』『なぜだろう……なんだか心にじんとしみるものを感じるよ』『あの木は鬼族の力の源よ。それを人間どもが……許せねえ』ギリギリと歯を食いしばるアタラカさんの横顔を見つめる俺」
「さっきからアタラカさんばっかりでお父さんが全然出てきてませんけど」
「いるよ。無口なだけさ。『ムッ』木の根本に置いてあった青い米粒を見て顔をしかめるアタラカさん。『人間どもが昨日また攻めてきおったらしい』」
「だからそれ、鬼より忍者とかじゃ」
「『よう、アタラカ』頭上から声がした、と思ったら見張りらしい鬼が木から下りてきた。ニヤリと笑って父に声をかける。『久しぶりだな、リノクウ』『ワゴチ。お前全然変わらないな』『ハハハハハ』」
「その名前覚えろというんじゃないでしょうね」
「『そいつはお前の子か』『ああ、そうだ』俺の角を指でピッとはじき、笑いながらつけくわえる父。『俺より強い』『ハハハハハ、冗談だろう。鬼族一のホムラヤイバの使い手であるお前より強いなどと』」
「しかもいかにも無駄そうな設定」
「里への道を歩みながら、俺は父とワゴチさんとの会話に耳を傾けた。『長老はお元気か』『いや……実はな、5日前の人間どもの攻撃で怪我をされてな……』『本当か。なんてことだ……』『くそっ。やつらめ、そんなにゴルフ場を作りたいのか』なるほど。それが原因で争っているのか、と俺は納得した。しかし争いの原因は分かっても、止めることなどできるのだろうか……」
「ああ。そういや止めるために来てたんでしたね」
「そこへ突然。『いたぞ! 鬼だ!』ジャーンジャーンジャーン。『しまった伏兵か』」
「世界が変わってますが」
「ワー。ワアー。襲いかかる人間たち。『くっ。なんとか体勢を立て直さねば……』」
「何の体勢です」
「『鉄砲隊、前へ!』『あっ! 危ない、よけろ!』パンパンパン。間一髪よける俺たち『!? この弾は……』木にめりこんだ弾丸を見て驚く俺。なんと弾丸はいり豆だったのだ!」
「……はあ?」
「『何をしてる! 当たると死ぬぞ』父が俺を怒鳴りつける。『休むなー! 撃て撃てえー!』パンパンパン。『ギャアアア』『アタラカさん!』『豆鉄砲を食らったあ』」
「……うわあ……」
「『くそー!』『よせ! 退くぞ!』父の体を青白いオーラが取り巻き、それが両手の平に集まってゆく!『最強奥義、火炎桜蛇夜叉!』グワーン。おお、なんという破壊力。放たれたオーラの渦が、近くにあった大岩を粉みじんに砕いた。『今だ!』もうもうとあがった土煙にまぎれて里へ退く俺たち」
「煙幕? 何も最強奥義使わなくたって……」
「『長老。ただいま帰還いたしました』床に伏す長老に挨拶する父。『おお、リノクウか……すまんな、人として暮らしていたお前にこのようなことを』『いいえ。どのように暮らしていようと私は鬼、そしてここは私のただ一つの故郷です』」
「今度は父親ばかり出てますね」
「長老が視線を俺に向け、何か言いかけたその時!『大変だー! 裏の崖から奴らが攻めてきた!』『何! 馬鹿な、あんな急斜面をどうやって』」
「情けない鬼……」
「パンパンパン。豆鉄砲の音がする。『とうとう里まで入ってきたか』『リノクウ! 行くぞ!』『なんてことだ、今日戦うとは思っていなかった。さっき最強奥義を使ってしまってもう技が使えん!』」
「ええーっ」
「『そんな!』絶望的な状況。しかしそこで静かに立ち上がる俺。『僕が行くよ、父さんの代わりに』『無茶な……』止めようとした鬼たちだが、俺を見て息を飲む。俺の体から父に勝るとも劣らないオーラが放たれていたのだ」
「成長早いなあ」
「パパンパンパン。『弾はいくらでもあるぞ! 撃て! 次々と撃て!』銃による豆攻撃に手も足も出ない鬼たち。しかしそこへ! ドカーン。奥義の爆発とともに俺登場。『大丈夫か!』」
「お前こそ大丈夫かという感じですね、なんとなく」
「『あんたたち! こんなことまでしてゴルフ場が作りたいのか! 私欲に目がくらんで山を崩し、平和な里を踏みにじるあんたたちの方こそ、鬼と呼ぶにふさわしいのではないか!』」
「鬼の里で何を言ってるんですか」
「シーン。さすがに子供である俺にこんなことを言われたのはこたえたようだ」
「都合のいい人たちですね」
「『もうやめてくれ。僕は命を賭けてこの争いを止めるためにここに来たんだ』ざわめく人々。『ほほう。命を賭けてだって?』しわがれた声がし、杖をついた老人が前に進み出た」
「杖? 崖を下りて攻めてきたんじゃありませんでしたっけ」
「『村長』『村長』『その言葉が本当かどうか、確かめさせてもらおうか』村長はふところから拳銃を出し、豆を一発だけ装填して弾倉を回した」
「何でそんなことに……」
「『ロシアンルーレットというやつさ。1回でいい。死ななければおまえさんの勝ちだ。わしらはもうここへは来ないと約束しよう』『何勝手なこと言ってやがる』色めきたつ鬼たち。『やります』きっぱり言う俺」
「はあ……」
「こめかみに銃口を当てる俺。さすがに顔が青ざめる。『僕が勝ったら本当に攻撃をやめてくれるんですね』『ああ。おまえさんが本気で戦えば、わしらは皆殺しにされそうだ。おまえさんが死ねば、この里はあっという間にわしらのものだ。わしらにとってはなかなかいい賭けといえる』」
「? なんか釈然としない……」
「『本当にやるのか』『…………』『戦えば、里は確実に守れるんだぞ』『……僕は、争いを止めに来たんです』いつしか鬼だけでなく人間たちも、心優しい鬼のかまえる拳銃から豆が飛び出さないよう祈っていた」
「止めようという気までは起こらないんですね」
「『……くっ』ついに引き金を引く俺。カチリ。『あっ』『出ない』『やった……』『やったー!』人間、鬼、入り交じって大喜び」
「おめでたいですねえ」
「『大変です!』そこへまた新しく人間がやってきた。『どうした』『ご、ゴルフ場の建設を計画していた会社が倒産して……計画は白紙になりました!』」
「わあー」
「ぼうぜんと顔を見合わせる一同、しかし次の瞬間みんなで爆笑。『俺たち何をやってたんだろう!』『ワハハハハハ』」
「それですむのか」
「エピローグ……」
「まだあるんですかー」
「すっかりうちとけた鬼と人間。それを記念して祭りが開かれた。飲めや歌えの大騒ぎの輪から少し離れ、手酌で酒を飲む村長。そこに現れる俺」
「さぞ邪魔でしょうね」
「『村長さん。これ……』ロシアンルーレットに使った拳銃をそこに置く。『ああ。運がよかったな、おまえさん。勝負強さではわしもかなり自信を持っていたんだが……なんだ、なにがおかしい』笑っている俺。『村長さん。僕、弾を見てしまったんです』『ああ』鼻白んだ顔になった村長が弾倉から弾を抜く。出てきたものは豆ではなく、パンの耳を丸めたものだった」
「全然違いますよ」
「『どうして……』『おまえさんはいい目をしている』『え?』『死なせたくない、と思った』パンの耳を自分の口に放り込み、照れたように笑う村長。『あの時はもう、わしはおまえさんに負けていたよ』『村長さん……』」
「エピローグまで図々しいんですね」
「その夜の月と星は、いつもよりも明るいように思えた」
「そうですか」
「というような、みんなを助ける立派な鬼になりたかったんだよ、俺は」
「はあ。でも計画白紙になったんだし、別に何もしなくても解決してたような」
「あっ」
おそうじするきに なれないときは
きれいずきの こびとさんが きた
そんなつもりになって かたづけようよ
ぴよーん。ぽいーん。
「これが彼女の部屋かい。わあ、なんて汚さだろう」
「そう言うなよ。彼女も決して悪人というわけではないのだから」
「ぼくは心配しているのさ。こんな部屋で寝起きしていたら体をこわしてしまうよ」
「うん、そうかもしれないね。かびたハッサクの皮がいくつも入ったゴミ袋が口を広げたままでベッドの横にあるなんて、健康にいいとはとても思えない」
「ぼくらコビトでかたづけてあげよう」
「そうだね、寝ている間にやってあげよう」
ぴよーん。ぽいーん。
「このワタの固まりはなんだろう」
「ワタぼこりじゃないのかい?」
「いや、それにしては大きいし……あっ」
「どうしたの?」
「大変だ! 敷き布団が破れてそこからワタが出ている!」
「どれどれ? やあ、これはいけない。この破れ目の大きさからするとずいぶん昔から破れていたようだね。布とワタの分離がほぼ完了していてもはや手遅れだ」
「このダンボール箱はなんだろう。衣類と漫画とワタぼこりが入っている」
「どれどれ? やあ、これはいけない。古本屋に売る予定の漫画や季節はずれの衣類などを、とりあえず箱に入れてそのまま忘れていたようだね。部屋の真ん中にあるこんなに大きな箱を、なぜ忘れることができるのか不思議だけど」
「だめだ! もうだめだ!」
「どうしたの?」
「ベッドの下におぞましい物体が!」
「どれどれ? やあ、これはいけない。物体の正体は積もったワタぼこりと大量の髪の毛、それに数本の綿棒がからまったものだ。異臭を発するわけでもないし特に害もないが、さわるのはおろか見るのもいやだという気分にさせる」
「それだけじゃない、よく見てくれ」
「どれどれ? やあ、これはいけない。物体の中に飴があるじゃないか」
「そうなんだ。この飴はキュービーロップといって、1つの袋に小さな飴が2つ入った商品だ。おそらくその2つを同時になめて、味のハーモニーを楽しむものなんだけど……」
「コアラのマーチでもチョコとクッキーを分けて食べるような彼女にそんな楽しみ方ができるわけがない。ごらん。袋の中に1つだけ飴が入っていて、口をねじって閉じてある。1つだけ食べて、もう1つを後で食べようと思ってそのまま忘れてしまったのだろう」
「……ねえ、もうやめないかい」
「えっ。彼女を見捨てるの?」
「だって、あまりにもひどいじゃないか」
「エントロピー増大の法則というものを知ってるかい。部屋は自然に散らかるが、片づけるのにはエネルギーが必要というたとえだ」
「それはたとえじゃないよ。一体きみは何を言いたいの?」
「だから、彼女が悪いわけではないと……」
「悪いよ。十分悪いよ」
「なにおう」
「やるかあ」
ポコンポコンドカンドカン。
コビトたちは汚い部屋をますます散らかし、腹を立てて帰っていきました。
このお話から得られる教訓は、ワタぼこりはさみしがりやなので仲間が多いところに集まるということです。
「フフフ鼻水仮面、ついに年貢の納め時ね。ペッ!」
「くそっ。ツバクイーンの実力がこれほどのものとは。フン!」
「あはは、全然届かないわよ。ペッ。鼻水のその情けない射程距離でツバにかなうと思って? ペッ! ペッ!」
「くっ! ハア、ハア。だめだ、このままでは勝てない……いや、弱気になるな。もっと射程距離が長かったタン伯爵に勝った時のことを思い出せ」
「ペッペッ! 何をブツブツ言っているの? ペッペペペッ! お経でも唱えているのかしら、いい心がけだわペペペッペッ!」
「うおおおおっ」
ゴロゴロゴロ。
「あはははは、いい格好。まるで鼻くそだわ」
「だめだ、ツバクイーンはタン伯爵と違って攻撃にためがない。これまでか……!」
「どうやらあきらめたようね。今までさんざんふざけたまねをしてくれたけど、私はお前のことは嫌いじゃなかった。せめて苦しまないよう、大量の唾液でひとおもいに」
「待て!」
「何者!」
「鼻水仮面! お涙姫を連れてきたよ!」
「なんだって! アキラくん、言ってはいけないと……」
「いいえ、わたくしが無理に頼んだのですわ」
「お涙姫!」
「鼻水仮面様。何もおっしゃってくださらないなんて、本当に、水くさいお方……」
ポロポロ。キラキラ。
「出たー! お涙姫の涙は一瞬にして霧状になり、周囲を包むんだ!」
「くっ! しまった視界がきかない! ペッ! ペッ!」
「形勢逆転だな、ツバクイーン!」
「バカめ鼻水仮面、わざわざ見えるところに現れるとは。私がお前にできない連射ができることを忘れたのかペペペペペッ! ……うっ!?」
「残念だったな。この霧に妨げられ、ツバを正確に飛ばせまい」
「そ、そんな」
「だが鼻水はツバより粘度が高いため、この霧の中でも自在に飛ぶのだ! フン!」
「ぐああっ! ……こ、ここは退散するしかないようね……」
ダダダッ。
「あっ。鼻水仮面、追わなくていいの?」
「無理だろう、この霧では」
「まあ。わたくしがさしでがましいことをしたために……」
「とんでもない、お涙姫。あなたの助けがなければ、私は今頃この世にはいないでしょう」
「本当ですか」
「ええ、本当ですとも」
「ならばなぜ、わたくしに知らせてくださらなかったのですか? わたくしが、わたくしがどんな思いで……」
ポロポロ。キラキラ。
「出たー! お涙姫の涙は一瞬にして霧状になり、周囲を包むんだ!」
「……申し訳ありません、お涙姫。私はただ……」
「ただ?」
「……あなたに涙を……流させたくなかったのです」
「まあ! 鼻水仮面様ったら」
「僕の愛とかけて、おでんに入れるゆで卵のカラがむきにくい時ととく」
「その心は?」
「きみだけは絶対に傷つけないよ」
「うれしい……」
うにににに。うにうにうに。
「あっ。宇宙人だ!」
うにににうににうに。
「なんだろう。何が言いたいのか分からないぞ」
「いや、よく見ろ。ゼスチャーで表現しているようだ」
「軟体だから地球人の常識では考えられないようなゼスチャーが可能になるわね」
うににに。うにうにに。
「足で丸を2つ作った……自分の故郷の星と地球かな?」
「そうみたいね。なになに……自分は……こっちの星から……こっちの星に……来た」
うににににうに。うににに。
「あ。地球を意味している方の丸が大きくなった」
「どういう意味だろう。分からない」
「自分の星よりこの星の方が素晴らしいですね、と言いたいんじゃないか?」
「まさか。相手は宇宙を越えてきたんだぞ。地球なんて低級な星だろ」
「いや、高度な文明を持っているからこそ、礼儀を重んじるのかも」
うにうにうににに。
「なんだか違うみたいよ。ほら、小刻みに震えている」
「切迫した雰囲気が感じられるな。あ、まさか!」
「分かったのか」
「近い将来、地球が爆発するという警告なのでは!」
「えっそんな! そうなんですか、宇宙人さん」
「聞いたってしょうがないだろ。くそ、イライラする」
「なんだかなあ。軟体のくせに表現が貧弱すぎる気がするが」
「そうよね。丸2つ作るだけのゼスチャーなんて、地球人でもできるもの」
「せっかく軟体なのにそれを生かした表現ができないなんてな」
「というか表現しようという努力すら見られないのよね」
「宝の持ち腐れもいいとこだよ」
「これが宇宙へも進出できる文明を持った生物の姿かね。幻滅だ」
「科学の行きつく先の悪い例を見てしまった気がするよ」
「その程度の動きなら、ほら、俺だって!」
「すばらしい。宇宙人をはるかに超えた動き」
「私だって!」
「すばらしい。宇宙人をしのぐ柔らかさ」
「とくと見よ、宇宙人。我ら地球人の表現力を」
「体を使った演技とは本来このようなものである」
「故郷へのみやげ話にするがいい」
「未知なる生命体との遭遇。それによる驚き、喜び、不安、焦り、失望」
「それがこの30分の演技に込められているのだ」
「フー。少しは分かってくれたかな」
「そうね。きっと次にはもう少し表現力をみがいてから来てくれるはずよ」
「そうだといいが……あれ? どうしたんだ宇宙人。動かないぞ」
「…………」
「……死んでる?」
「まさか……俺たちの演技に衝撃を受けて」
「あ!」
「どうした」
「分かったぞ、宇宙人が言いたかったことが!」
「本当? 何なの」
「この星の重力が大きくてつぶれそうです、助けて下さいと言ってたんだよ!」
「あっそうか!」
「なるほど!」
「だからろくな動きができなかったのか!」
「…………」
「…………」
「……悪いことをしてしまったな」
「未知なる生命体の死。それによる驚き、悲しみ、後悔、同情、鎮魂祈願」
「それがこの30分の演技に」
ありあまる時間を使ってフリーソフトのRPGに没頭。なるべく内容がかぶらなそうなものを3つ落としてきて楽しみました。
「真の敵は……」
「やつの正体は……」
「実はこの世界は……」
クライマックスは3つとも精神世界で自分との戦いでした。自分め。
「じゃーん。このキツツキは肩に止まり、なんと耳あかを取ってくれまーす」
「おいおい、危ないよ。やめろよ」
「大丈夫だよ。訓練したから」
「どうやって。いやそんなことはどうでもいい。鼓膜破れるぞ」
「平気平気。ちょうどいいところをコリコリッとやってくれます……ああ、すごい気持ちいい」
「見てられないよ、もう」
「しかもこのキツツキのすごいところは」
「おい危ないって。急に動くな」
「なんと後の手間知らず。取った耳あかを食べるように訓練しました」
「な、何をするんだ。耳掃除中に殴るなんて」
「お前は人間のクズだ!」