「おなかすいたー。何かないー?」
「鳩サブレならあるよ。そこの箱」
「もらうよー。わーいサブレサブレ。いただきまーす」
「あ」
「な。何。食べちゃいけなかったの」
「いや、その食べ方」
「食べ方?」
「鳩サブレを食べる時はまず頭を食べ、続いてしっぽを細心の注意を払いながら食べ、全体の形を整えて卵形をつくって『鳩の卵』って言わない?」
「えええ。知らないよそんなの」
「その形が卵として完璧だった時、その卵から生きた鳩サブレが生まれるという伝説もあるんだよ」
「どこの伝説よ」
「ほら見て。今日はすごくうまくできた。これこれ、鳩の卵」
「うわ、本当にきれいな卵形。やりこんでるねー」
「あっ。卵が、卵が震えてる!」
「はは」
「ほんとだよ! ほら、床に置いても、ほら」
「え。え。ほんとだ。う、生まれるの?」
 カタカタカタカタ
「ゴクリ」
 パキッ
「クルックー」
「……生まれた……」
「すごい……すごい! 伝説は本当だったんだ」

「や。サブ元気?」
「うん、元気は元気なんだけどねー」
「わあ、すっかり大きくなって。もう一人前の鳩サブレだね」
「うん……」
「どうしたの? 何かまずいことでもあったの?」
「なんかさー。外出たいみたいなんだよ」
「サブが?」
「うん。ずっと窓の外見てるんだよね。こっちまでつらくなってきて」
「でも、サブは鳩サブレなんだよ? 他の鳥が見たら速攻襲いかかってくるよ」
「うん、だけど……およげたいやきくんだってけっこう生き延びてたし」
「逃がすつもりなの?」
「というか、選ばせてあげたい。サブがこのカゴの中より、危険でも自由な空がいいと思うのなら、その選択を尊重してあげたい」
「サブは空が危険だなんて分かってないよ」
「そうかもしれないけど、でも見てよあの顔。空に恋いこがれているあの目」
「…………」
「1日中ああなんだよ。たとえ生き延びることができなくても、少しでも空で暮らせたらきっと幸せなんじゃないかな」
「……そうかもね」
「分かってくれる?」
「私にも旅立ちを見送らせてよ」
「うん、もちろん」

「サブ。ほら、あんたがいつも見ていた空だよ」
「行きたければ行ってもいいんだよ」
「クルックー」
「あ、本当に行く気だ。サブ……」
「止めちゃだめだよ」
「分かってる」
「クルックー」
 バサッ
「あ……」

「これがサブなのかな。粉々でよく分からない……」
「10階からだもんね……」
「……鳩サブレには片側しか羽がないこと、どうして忘れてたんだろう」
「もうやめようよ……ぐすん。ぐすん」
「もう限界ですよ、タオルを投げましょう」
「いや、まだだ。もう少し待て」
「なぜです。これ以上やらせたって」
「さっきこのタオルで鼻をかんでしまった」
「何をくだらない、そんなことどうでもいいでしょう」
「どうでもよくない。こんなの人に見せられないもの。ほら」
「うわ! 何この色」
「な? そう思うだろ」
「いや、でもそんなこと言ってる場合じゃ」
「場合だよ。これテレビに映ったら俺もう生きていけないよ」
「大丈夫ですよ、そんな気にするほどじゃありませんてば」
「奥さん昨日のボクシング、あのタオル見た? 見たわよ、固体と液体が混ざり合ったいやな色のマーブル模様、ひどくグロテスクな粘液がべっとりついて! 何食べて生きたらあんなものが出るのかしら!」
「誰もそんなこと言わ何するんですかやめてやめて」
「ほらみろ、顔の前で広げられたらよけるじゃないか」
「当たり前ですよ! だいたいなんでそんなすごい色のが溜まってる時に」
「色なんか分かるわけないだろ」
「そういうこと言ってんじゃないでしょう」
 カンカンカンカンカン
「あ、負けた」
「うわあ血だらけだ。ごめんな、今このタオルでふいてやるからな」
「それでは『役に立たない超能力の会』入会希望者審査を行います。今回の入会希望者、まずは東京都在住のKさん。資料1をご覧下さい」
「念じると瞬間移動ができる……はあ、テレポーテーションですか」
「ただし衣服はついてこないので移動先では全裸……なるほど」
「それだけですか? この程度で役に立たないなどと言われると困りますなあ」
「まったく。あらかじめ衣服を用意しておける場所などいくらでもあるでしょうに」
「家の中なら使い放題ですしね」
「では、入会を許可すべきという方は挙手をお願いします……はい、では却下ということで。続いては神奈川県在住のNさん。資料2をご覧下さい」
「ほほう、念写ですか。念写はもともとあまり役に立ちませんからね」
「家の風呂場のタイルの念写しかできない……ふうむ、これは……」
「実際に念写された写真はないのですか?」
「あります、これです。3枚ありますがどれも同じようなものですね」
「ははあ、タイルであることは分かりますが、近すぎて風呂場であることは分かりませんね」
「同じ部分に汚れがついている。Nさんはタイルのこのマス目しか念写できないのですか?」
「そのようです」
「たしかにこれは役に立ちませんな……入会しても面白くなさそうですが」
「では、入会を許可すべきという方は挙手をお願いします……はい、では許可ということで。続いては栃木県在住のBさん。資料3をご覧下さい」
「念じると対象物を自在に動かせる……はあ、テレキネシスですか」
「ただし対象物は海苔に限る……海苔しか動かせないわけですか、ふうむ」
「これはどうなんでしょうね。私としては入っていただきたいが」
「しかし役に立たないかとなると微妙ですよ。ごはんを海苔で食べよう、と思ったが海苔は離れたところにある、そんな時に使えますからね」
「いえ、そのような時にはあまり役に立たないようです」
「なぜです」
「海苔は缶に入っているのでふたを開けないと動かせないとか」
「ああ、なるほど。では、おにぎりにまとめて海苔を貼るのには使えませんかな」
「手で貼った方が早そうに思えますがねえ」
「きざみ海苔が風で飛ぶのを防ぐという使い道はどうでしょう」
「難しいところですな。ところでこの能力、重量制限はあるのですか?」
「まだ試したことはないそうです。手元にそんなに海苔はないということで」
「まあそれはそうでしょうね」
「ううむ。重くても動かせるのならば役立つ道もあるかと思ったのですが」
「入会してから能力が変化する方も時々おられるし、とりあえず許可、役立つようなら除名という方向でいいのではありませんか」
「あ、このBさんからはメッセージがありました。『海苔だけに、しけた能力です。よろしくお願いします』。では、入会を許可すべきという方は挙手をお願いします」
「…………」
「はい、では却下ということで。続いては北海道在住の」
「というわけで、残念ながら今回の取材ではアカギダケの生産地をつかむことはできませんでした。この幻のキノコ、価格はなんと1本10万円をこえるそうで……」

「おい茅子、これから204号室の掃除するんだ。お前ちょっと手伝え」
「ええー。たまにしか帰ってこないんだからのんびりさせてよー」
「バイト料出すから」
「いくら」
「いや、金じゃない。これだ」
「何これ。キノコ? ……これ、アカギダケじゃないの!?」
「お、よく知ってるな」
「ずっと前にテレビで見たよ。なんで持ってるの? 買ったの?」
「掃除手伝えば教えてやる。手伝わないんだったら教えない。お前が見てる前で1人で黙って食う」
「そんな言い方しなくても手伝うよ。もう」
「よし、言ったな。さあ、捨てていい服に着がえてくれ」
「……そんなに汚れてるの」
「見て驚くなよ」

「うわわうわあああああ」
「驚くなって言っただろ」
「だだだってこれ、こち亀に出てくる……」
「日暮巡査?」
「それ! なんで、なんでこんなことに」
「まあ話は掃除しながらしよう。ほら、マスクと軍手」
「ゲホゲホ。空気が変だよう。住んでた人はどこ行ったの」
「亡くなったんだよ。こんな部屋に住んでいたせいか病気になって……」
「ケホ。死ぬくらいなら掃除すればいいのにね」
「それがそうはいかなかったんだ。これはあのアカギダケとも関係ある話なんだが……あれは幻のキノコと言われていたけどな、実はこの部屋に生えてたんだよ」
「…………」
「いや、探しても今は生えてないから」
「……どういうこと?」
「そもそもアカギダケのアカギというのはここに住んでいた人の名字だった。赤木さんは特異体質でね、どこに住んでもその部屋からキノコが生えてきたそうだ」
「体質なの? それ」
「でも部屋をきれいにすれば生えてこないので、キノコを見たら掃除をする、まあ掃除の目安にもなるのでそう迷惑でもない、彼にとってキノコはそんな存在だったらしい」
「その頃には食べられるって分かってなかったんだ」
「いや、その頃はアカギダケではなかったんだ。どこに住んでもキノコは生えるが環境によってキノコの種類は違ったらしいよ」
「ゲホッゲホ。ふうん」
「さて赤木さんはここに越してきて、ある日例によってキノコが生えた。ところが今までと違って、赤木さんはそのキノコに食欲をそそられた。そして食った。素晴らしい味だった。うん、ほんとにうまいんだあれは」
「お父さん、食べたことあるの?」
「ん? ああ何回かもらって」
「えー! なんで教えてくれなかったのよ!」
「口止めされてたんだよ。でもお前のためにああやって1本冷凍保存して……」
「私にくらい教えてくれたっていいじゃない。誰にもしゃべらないのに」
「まあいいから。とにかく別に毒もないようなので友達にもふるまったりしてキノコは評判になり、そのうちにぜひ買い取らせてもらいたいという人間が現れた」
「そんなにおいしいんだ」
「うまいさ。うまいとも。買い取られた先でどうなったかは分からないが、とにかくキノコが生えたらすぐ連絡をくれ、すぐ買い取る、ということになったらしい」
「へええ」
「部屋をきれいにすれば生えてこないわけだから、汚くすればたくさん生えてくる。赤木さんはそう考えた。その結果がこれだよ」
「なるほど……。でもただの汚さじゃないような気がするけど。空気がひどい」
「赤木さんが生きてた頃よりはマシだよ。とりあえず土を出そう。ほら、スコップ」
「うう」
「押し入れ開けるぞ。どいてくれ。何が落ちてくるか分からないからな」
「もうやだー」
「それで話の続きだけど、汚くしたら本当にキノコは増えたんだ。1日30本取れた日もあったらしい。しかしキノコの収穫量が上がるにつれ、赤木さんの体はむしばまれていった……」
「ぐえええ。鍋の中にゲロみたいなものが」
「見るな見るな。ついに赤木さんは入退院を繰り返すようになったが、不思議なことに彼がいないとキノコは育たなかった。そこでキノコを必要とする人々は、夜寝る間だけでもと病院に無理を言って連れてきたりとか色々やっていたようだった」
「無茶すぎ」
「そう、無茶だった。この部屋はただ汚いだけではなく、赤木さんの例の特異体質のせいで毒キノコも生えてたみたいで、そんなところで寝るなんて……」
「え、ちょっと。私たちは大丈夫なの」
「平気だろ。赤木さんがいなけりゃ毒キノコだって生えないだろうから」
「そうかなあ……この土、ベランダから落としていい?」
「おう、頼む。それである日この部屋で寝た赤木さんは、そのまま永遠の眠りについてしまった、というわけなんだ」
「…………」
「赤木さんが亡くなった後にも研究だとかいってこの部屋で色々やってた人たちがいたんだが、1年たってとうとうあきらめたらしい」
「お父さん……その赤木さんて人に何も言わなかったの?」
「ん? 何もって」
「部屋にいるのが体に悪いって分かってたんでしょ。部屋に入らないで病院に帰りなさいとか忠告しなかったの?」
「そうだな、今思えば言っておけばよかったな。赤木さんが亡くなった今となっては、もう2度とあのキノコは……」
「キノコの話じゃなくて、その人の命に関わる……まさかお父さん、そのキノコ食べたいから何も言わなかったの?」
「…………」
「お父さん!」

「どうだ、うまいだろ」
「……涙が出そう」
「だろ? 最後の1本を分けるんだから、ありがたく思えよ」
「うん、肉親の情ってすばらしいね」
「分かればいいんだ。今日はご苦労さん」
「でも1本まるごとくれたらもっとすばらしかった」
「誰がやるか」
「はあ……しかし惜しい人を亡くしたねえ」
「まったくだ。やれやれ」
 世の中の不思議についてお兄さんとお姉さん、そしてクマのゴロッパチが考える人気教育番組、それが「はっぱはてな」なのだ。

「でもお兄さん、まだ不思議なことがあるんだよ」
「ええ? それはどんなこと?」
「あのね、自動販売機は……」
 ボゴオ! 突然スタジオの床に穴が開く。
「おとなしくしろ、人間ども!」
「このスタジオは我々地下生物が占拠した」
 その穴から次々と現れる怪物たち。
「長い間掘り進めてきたが、ついに地上に出ることができた」
「ここを我々の地上侵略の拠点にするぞ!」
「そうはいくか!」
「何っ」
「お前たちがここから侵略をしてくることは分かっていた!」
「オレたちがここで収録をしていたのはこの場所を見張るためだったのだ!」
「貴様ら……」
「何者だ!」
 チャララララーチャララララー バーババー
「ハテナレッド! お兄さん!」
「ハテナブルー! プロデューサー!」
「ハテナイエロー! 大道具!」
「ハテナグリーン! カメラマン!」
「ハテナピンク! お姉さん!」
「夢、愛、勇気!」
「それは何より大事な宝物!」
「大人になっても失わないでいてほしい!」
 ドドドドド
「教育戦隊クエスチョン!」
 バーン
「おのれークエスチョンめ」
「八つ裂きにしてくれる!」
 ドカ ビャ ビシ
「ぐわっ」
「や、やるなクエスチョン」
「おとなしく地下に帰ったらどうだ」
「そうはいかん。見ろ、このガキがどうなってもいいのか?」
「ウワーン」
「ああっ。な、なぜこんなところに子供が!」
「お兄さんに会いたかったんだよー」
「ククク。ありがたいファンじゃないか」
「くそ……」
 クエスチョン絶体絶命。しかしその時!
「フン。人質を取らねば勝てぬとは情けない」
「何だと! あっ!」
 背後からすばやく人質の子供をさらった黒い影。
「何者だっ貴様!」
「あやしげな着ぐるみめ!」
「人の詮索より自分の心配をした方がいいんじゃないのか」
「ハッ! いかん、ひとまず退却だ!」
 穴に次々と飛び込む地下生物たち。
「ありがとう、着ぐるみの人」
「よければ名前を聞かせてくれないか」
「オレか。オレの名は……ハテナブラック」
「ハテナブラック!?」
「そんな馬鹿な! クエスチョンはこの5人の他には……待ってくれ!」
「……行ってしまった」
「あら? そういえばゴロッパチがいないわ」
「本当だ。ゴロッパチー! どこだー!」
「ここにいるよー。ごめんごめん」
「どこに行ってたんだゴロッパチ!」
「怖いから隠れてたんだよー。お兄さんやお姉さんはすごいねえ」
「そんなことないわよ。結局今回はあの人に助けてもらったし」
「そうだな。ハテナブラック……彼は一体何者なんだろう」
「それにお兄さん、まだ不思議なことがあるんだよ」
「ええ? それはどんなこと?」
「あのね、地下生物たちの本来の生息地は……」

 世の中の不思議についてお兄さんとお姉さん、そしてクマのゴロッパチが考える人気教育番組、それが「はっぱはてな」なのだ。
「あれ。何その包帯」
「いや、爪の下のささくれむいたらさ、ぴーって。指の根本まで」
「痛い痛い。やめろ」
「よくやっちゃうんだよなー」
「やるなよ。やっても途中で止めろよ」
「なんか止まらないんだよ。あーむけていくなー、と思ってるうちにどんどん」
「やめろって」

「中村さんですね」
「はい。あの……何か」
「渡辺義弘さんをご存知ですよね」
「はい。友達ですけど」
「実は渡辺さんが亡くなられまして、そのことでちょっと」
「え! ほ、ほんとですか」
「渡辺さんに恨みを持っている人物に心当たりはありませんか」
「それは、あの、殺されたってことですか」
「ええ。しかも明らかに深い恨みを持った者の犯行です」
「な、なぜですか」
「生きたまま全身の皮をはぐという信じがたい殺害方法でした」
「…………」
「何か、思い当たることがありましたか」
「い、いえ。何も」
「何だこれは! し、沈む。体が沈んでゆく」
「底なし沼だ!」
「落ち着け! まだ底がないとは限らないだろう」
「そ、そうだった。つい悲観的になってしまった」
「このような時こそ事態を正確に見極めることが必要なんだ」
「そうだな。では、沼だ!」
「沼だ! うわっ」
「沼だ! しっかりしろ」
「沼だ! 大丈夫だ」
「沼だ! もがくと沈むぞ」
「沼だ! もがかなくても沈む」
「沼だ! 沼なんだ」
「沼だ! 分かってるよ」
「沼だ! 沼にいる」
「沼だ! そろそろ沼の意味が分からなくなってきた」
「沼だ! 沼は沼だ」
「沼だ! もうだめだ」
「沼だ! あきらめるな」
「沼だ! あっ」
「沼だ! 底に足がついた」
「沼だ! やった」
「沼だ!」
「沼だ!」
「沼だ!」
「タバコってどれくらい歴史があるんだろう」
「さあ。けっこう長そうだけど」
「うん、きっと長いと思う。けどタバコを吸って煙を吐くという基本行為は、その長い間ずっと変わっていないのではないだろうか」
「まあそりゃそうだろうな」
「それでいいのだろうか」
「いいも何も、そこ変えたらタバコじゃないだろ」
「それが先入観だよ。歴史に名を残した偉人たちはみなその壁を崩してきた」
「ふーん。で? どう変えるんだ」
「タバコを吐いて煙を吸うというのはどうだろう。これならいけると思うんだ」
「おいしくなさそうだな」
「多少の味の劣化には目をつぶるよ。タバコの長い歴史の常識をうち破る行為ができるだけで今日は満足しようと思う」
「ふーん。じゃあやってみろよ。まずタバコを吐くんだな」
「おう。いくぞ、フ────」
「そして煙を吸う」
「ス────」
「…………」
「ハー」
「あ、煙吐いた」
「ちくしょう」
「ガキの頃俺はね」
「はあ」
「サーカスに入りたかったんだよ」
「ふうん」
「やっぱりサーカスは子供の夢そのものだよな」
「そうですかね」
「そうさ。子供に将来の夢を聞いてもサーカスはベスト10に入らないだろうけど、今すぐ働くとしたら? と聞いたら1位を争うんじゃないかな。サーカス」
「そうですかね」
「ある日転校生がやってくる。不思議な雰囲気を持った彼は体育の授業ですごい曲技を披露、一体彼の正体は? これだよ! あこがれるよな。サーカス」
「なんか間違ってる気が」
「次第に仲良くなるが、やがて彼はサーカスとともにまた次の町に旅立ってゆく。そして彼がいなくなった教室で子供たちは言うんだよ。『やっぱりあいつは風の又三郎だった』と」
「又三郎はサーカスじゃないです」
「そうやって町から町へと渡ってゆく、俺の家はテント、テントは渡り鳥」
「さっき彼って言ってませんでしたっけ」
「どんなに仲良くなっても長い間一緒にはいられない。でも、だからこそできることもある。たとえば病弱なクラスメートとの約束。『今日俺が空中ブランコに成功したら、君は手術を受けるんだ』」
「はあ。ホームランより確率高そうですね」
「みごと成功。『やったあ。僕のための空中ブランコだ。先生、僕手術受けるよ』」
「どこにいるんですか」
「また別の町では公演中、銀行強盗をして逃げてきた男が銃をかまえてテントに入ってくる。『静かにしやがれ! ぶっぱなすぞ』水を打ったように静まるテント内」
「別に静かにさせる必要はないと思いますが」
「しかしそこは百戦錬磨のサーカス団、アドリブで踊りながら男のまわりをぐるぐる回る。そして男を抱えあげて空中に放り投げ、別の団員が受け取る。踊りながら続くキャッチボール。『なんだ、演出だったのか』客も安心して大盛り上がり」
「男はされるがままですか」
「いつの間にか銃は奪われ、少し離れたところで団員がボールと一緒にお手玉にしているのでどうしようもなくなっているのだ。ダララララ……ドラムの音とともに火の輪が登場、火の輪にむかって投げられる男」
「ひどい」
「無事に火の輪をくぐらせるが、受け取った団員がこっそり男の服に火をつけ、火の輪で火がついたかのように見せかける。おおあわてで走り回る男、さあ、そこでいよいよ俺の出番だ」
「アドリブじゃなかったんですか」
「空中ブランコの台にライトが当たり、俺の姿を映し出す。笑顔の俺の右手にはバケツが握られている。左手で空中ブランコをつかむ。飛び出す。途中でさっと右手を返す。バケツに入っていた水が放物線を描いてあやまたず男に命中、火が消える。ワーワーワー。テント内の熱気は最高潮だ」
「はあ」
「その時、男を追ってきた警官たちがテントに入ってくる。ずぶぬれの男は『なんてやつらだ、ムショの方がまだマシだ』と捨てぜりふを残して去っていく。ちょっと肩をすくめ、客に一礼する団員たち。拍手喝采の場内。今日の公演も大成功!」
「そうですか」
「しかし客の一部は家に帰ってテレビをつけて驚く。このニュースの逮捕された銀行強盗の顔、さっきの人にそっくりじゃない! まさか……」
「あのサーカス団は強盗団?」
「違う。まさかあれは私たちを不安にさせないためのアドリブだったの? という感動だよ」
「感動しますかね」
「噂を聞きつけた雑誌記者が取材しに行くと、すでにサーカスは次の町に旅立った後だった。草原にススキが揺れていた」
「秋ですか」
「遠ざかる町を眺めながら笑っている俺。『何がおかしいんだ』団長が声をかける。『いや、変わった客だったなと思って』『ああ、あいつか。あいつは客じゃない、臨時の団員さ』団長も笑った」
「ふうん」
「『団長!』そこへ他の団員の呼ぶ声。『どうした』『やべー! あいつの拳銃持ってきちまったー!』『おいおい』そんなオチ」
「ほのぼのですね」
「まあそれが伏線となっていつか拳銃が役に立つようなこともあるんだろうが、それはまた別の話さ」
「いや警察届けましょうよ」
「そんなヌチヌチサーカス団のもう一つのエピソードを、ここでご紹介しよう」
「いりません。ていうかそんな名前だったんだ」
「次の町にやってきたサーカス団。さっそく空き地にテントを建てる。『いい場所が空いているわね、この町は』満足げに言ったのは我がサーカス団の花形スター、マリー」
「また変なのが出てきた」
「『そうだな』団長も少々感慨深げだ。『高層ビルが建ち並び、町にも人の心にも余裕がなくなった。そんな時代だ……』さりげなく現代社会を風刺してみせる」
「風刺?」
「そしてテントを建てる作業が半分ほど終わった時だ。汗を流して作業に取り組む俺のすぐ後ろで声がした。『なんだろ…』『建ててる…』『だめだよ…』」
「はあ」
「振り返ると誰もいない。気のせいかと思ってまた元の姿勢に戻るとまたひそひそと声がする。子供の声だった。『だめだよ』『だめだよ』『帰ってよ』その瞬間、柱の一本がこちらに倒れてきた。鈍い音がして、俺の視界が暗くなる」
「はあ」
「暗い中から声が聞こえた。『ごめんね』『でもここはだめなんだ』『早く帰ってね』」
「幽霊話ですか」
「君たちは誰、そう聞こうとしたが声にならない。しだいに目の前が明るくなり、心配そうに俺を見下ろすマリーの顔があった」
「一応出番あるんですね」
「『あっ気がついたわ! ちょっとジョニーこっち来てよ!』」
「また増えた」
「『マリー』いつもおどけているジョニーが珍しく神妙な顔でやってきた。『この町での公演は、中止になるかもしれない』」
「日本人ですよね?」
「『な、なんで!』俺はあわてて飛び起きた。とたんにあの時ぶつけたらしい頭と肩が痛んだが、そんなことは全然気にならなかった」
「なら言うことないのに」
「『さっき客が来てさ、妙なことを言ってたんだ。ここの場所は幽霊が住んでいて、何か建てようとすると邪魔をする。工事の間に次々と事故が起こって、死人もけっこう出たんだって。だから……』『くだらない! そんなの偶然に決まってるわよ。ねえ?』俺に同意を求めるマリー、けれども俺は同意できなかった。『ジョニー。その幽霊って……子供?』」
「うわあ霊感少年」
「ジョニーが不思議そうな顔をして何か言おうとした時。『その通りです。なぜ分かったのですか』部屋に入ってきた見覚えのない女性」
「まだ増やしますか」
「『この人がさっき言った客だよ』憂いを含んだ表情の女性は俺に頭を下げた」
「サーカスからどんどん離れていきますね」
「女は悲しそうに話し始める。『ここにいる幽霊は、私の友達なんです。ちょうどあなたくらいの年の頃、みんなはここで死んだのです』」
「はあ」
「『ここには廃ビルが建っていて、私たちはそれを秘密基地にしていました。あの日もここでかくれんぼをしていて、鬼になった私はビルの外に出て……100まで数を数えていた時に突然起こった大地震。廃ビルは跡形もなく崩れ落ちました』」
「どうしてそう脱力する設定を」
「『今もみんなにとってはここは秘密基地なんです。ここで遊び続けているんです』悲しそうにそう結ぶ彼女」
「彼女が実は幽霊だったとかいうオチじゃないでしょうね」
「それじゃつじつまが合わないだろうに。『遊び……遊びか』俺は考えこみ、そして何かを決心するのだった」
「はあ」
「その日の夜。まだできていないテントの横で、俺はぽん、ぽんと何度かとんぼ返りをうった。『すごい』『すごい』昼に聞こえたあの声がまた聞こえた」
「幽霊というよりタヌキかなにかみたいですが」
「そこへボールが飛んでくる。逆立ちの状態で足でキャッチし、そのまま投げ返す。現れたジョニーの逆さまにかぶった帽子の中に、それがすぽっと入る。『わあ』『わあ』『みんな』『すごいよ』」
「そうですか」
「俺は声の方向に頭を下げる。『ありがとうございます。本日はどうぞ楽しんでいってください』ジョニーがなるほど客はそこにいるのかという顔をする、他の団員もぞろぞろと出てくる。そしてあの幽霊の友達の女性も臨時団員として参加していた」
「また臨時団員ですか」
「客の前でやってはいるが、客の姿は見えない。けれど団員たちは時に手を振り、時に驚かせ、まるで客の姿が見えているように動いていた。俺はひそかに舌を巻いた。俺だけには声が聞こえ、客の反応が分かるからよけいに驚嘆した」
「はたから見たら不気味でしょうけどね」
「『見える……みんながいる』あの女性が言った。横目で見ると、彼女はぽろぽろと涙をこぼしていた」
「はあ」
「楽しい時は早くたち、公演は終わった。名残を惜しむ姿なき声に向かって俺は言った。『次の公演はこのテントの中で行われます。ぜひ、いらしてください』」
「それが言いたかったわけですね」
「そう。それからは怪奇現象もぱったりとやみ、無事に公演が行われたのだった」
「めでたしめでたし」
「そして、この町での最後の公演が終わった日」
「まだ続くんですか」
「マリーが言った。『今日私、落ちたのよ』『あ? 綱渡りの時?』『そう、足すべらせてね』『へえ。よく持ちこたえたなー』『そうじゃないのよ』マリーはくすくす笑った。『びっくりしちゃった。落ちたと思ったら空中に立ってるんだもの。きっとあの幽霊さんたちのしわざね』」
「はあ」
「『おいおい。俺が玉から落ちた時は何もしてくれなかったぜ』『あんたなんか見てなかったんでしょ』『ちくしょー』マリーとジョニーが話しているのを見ながら、俺はかつて団長と誓ったことを思い返す。『世界中の人たちを楽しませるんだ』『おう!』」
「かつて? 子供なんじゃないんですか」
「誓いに大人も子供もないってわけさ。そう、やるんだ。必ず! みんなの夢を乗せ、ヌチヌチサーカス団は今日もゆくのだった」
「はあ。幽霊成仏しないままですか」
「な? サーカスがどんなに夢いっぱいか分かっただろう」
「そういう話だったんですか」
「時効成立! 伝説の大泥棒」
「最後の犯行から7年」
「犯行現場に必ず残されたティッシュペーパーの謎」
「特集・怪盗ティッシュ」
「著名人が語るティッシュの思い出」

「だから僕はティッシュじゃありませんよ、刑事さん!」
「いいや、ティッシュはお前だ」
「なぜですか。なぜ僕だって決めつけるんです」
「ティッシュの最後の仕事は6年前、お前がこの花屋を開いたのは5年前だ」
「そんなこと言いだしたら誰でもティッシュになってしまいますよ」
「そうかもしれん。だが、俺のカンはお前がティッシュだと言っている」
「ばかばかしい」
「なあ、ティッシュ」
「ティッシュじゃありませんてば」
「お前、花が好きなんだろう?」
「え? ええ、もちろん。好きだから花屋を開いたんです」
「ティッシュが犯行現場にいつも残していた丸めたティッシュ、あれは花だ」
「え……」
「今まで気づかなかったとはうかつだったよ、ティッシュ。あのティッシュは適当に丸めたように見せかけてあったが、まぎれもなく花の形だった」
「違います、僕はティッシュじゃない。それに、花を置きたいならティッシュじゃなくて本物の花を置けばいいでしょう」
「ティッシュは花屋を開く資金を得るために犯行を重ねていた。花を置けばいずれ疑われる確率も増す。なにより、盗みを働いた場所に本物の花を置くなど、花を愛するティッシュは耐えられなかった」
「…………」
「そうなんだろう、ティッシュ」
「違います。僕はティッシュじゃありません」

「ヤマさん。長い間お疲れさまでした」
「無事の定年、おめでとうございます」
「おう、ありがとう。やれやれ、結局最後の花道は飾れなかったな」
「ティッシュの時効成立のことですか。しかし、あいつは……」
「ヤマさん! 花束が届いてますよ」
「わあ、こんなにたくさんのバラ! きれい」
「これは……」
「ヤマさん?」
「ティッシュだ」
「えっ」
「見ろ。茎や葉は本物だが、花はティッシュでできている」
「まさか。ティッシュからの? な、なんて腐ったやつだ!」
「いや、違う。ティッシュはティッシュなりに、俺をねぎらってくれてるのさ」
「そんなもんですかね……」
「それにしてもティッシュの野郎、本当はこんなにうまくティッシュで花を作れたんだな。ティッシュの現場に落ちていたティッシュとは大違いだ」
「ティッシュ」
「ん? どうした」
「いえ、なんか連呼されたら自分でもティッシュって言ってみたくなって」
「ふ、この野郎」