「まあ見てくれこの輝き。この矛はどんな盾だって突き通すぜ」
おー
「そして、これも見てくれこの盾。どんな矛が来たってこれを持ってりゃ」
「おいおい、待てよ」
「おや、お買いあげかい」
「その矛でその盾を突いたらどうなるんだ?」
ざわ
「ほら、やってみてくれよ」
「う、うう……」
「え? そう言われた時のこと全然考えないで売ってたんだ、あんた。うわー」
「…………」
「何、いつもそうやって売ってんの? なのに誰も何も言わなかったの? 今俺が言うまで誰も? おめでとう、幸せな人生送ってきたんだね。頭の中も幸せだね。ここまで考えなしなやつに会うの、俺初めてだよ」
「いや、すごかったなあ」
「うん。でもかわいそうだったけど、あまり同情する気にはなれなかった」
「まあね。あれだけ考えなしなやつはああなって当然て気もする」
「にしてもめちゃめちゃ刺されてたね」
「うん。なんで矛なんか持ってるやつにケンカ売ったんだろ」
「すごい発見をしてしまった」
「ああそう」
「スパイって靴から刃物が出てくるだろ?」
「だろって言われても」
「出てくるじゃないか」
「まあ、そういうイメージもないことはないけど」
「つまり、スパイクの語源はスパイ靴だったんだよ」
「違う」
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」
チーン
「それでは、最後に皆様も南無阿弥陀仏を10回唱えましょう」
「……南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」
「葬式で出るのは?」
「涙」
「ブー、棺でした。それでは故人と最後のお別れを……」
「あれ……ここはどこだろう……体が動かない」
「ご説明いたします」
「あなたは?」
「私は天使。ここは天国。あなたは今日、死んだのです」
「え、そ、そんな」
「ショックかもしれません。しかし天国に来れたのですよ。喜んでください」
「でも、あの」
「なんですか」
「体が動かなくて、起きあがれないんです。もしかしてまだ完全に死んでいないからでは」
「いいえ。あなたは死にました」
「じゃあ、なぜ起きあがれないんですか」
「ご説明いたします。天国は、その人間のそれまでの人生でもっとも幸せな瞬間が永遠に続く仕組みになっております。ちなみに地獄はその逆、もっとも不幸な瞬間が続きます」
「は、はあ」
「ここは天国。あなたの人生でもっとも幸せな瞬間が続きます。あなたの人生でもっとも大きな幸せ……それは冬の朝に布団の中にいる時のものです」
「え、ちょっと、あの」
「ここは天国。その瞬間は永遠にあなたのもの……。それでは」
「ああっ待って! 行かないで! いやだ、ずっとこのままなんてそんな、そんな……あったか〜い」
ガサガサ
「うー……あっ。あっ。サンタ! 本物? 本物のサンタ?」
「あ、起こしちゃったかい、ごめんね。さあ、キミへのプレゼントだよ」
「わあー。ありがとう! でも、今日はまだ13日だけど……」
「ま、いいじゃないか。早い方が」
「あっもしかして! おじさん、あわてんぼうのサンタクロース?」
「む、鋭いね」
「すげー! 歌の人に会えるなんて、ぼく」
ガラガラ
「あの、ご主人様」
「あっトナカイだ! すげー!」
「まだですか。他の家もまだ残ってますが……」
「ああ、今行くよ。この子を起こしてしまってね」
「鼻赤い! うわー赤鼻のトナカイだ、赤鼻のトナカイだ!」
「いえそんな……私なんて」
「2曲もいっぺんに会えるなんて! ねえ、ほんとに光るのこの鼻、ねえ」
「え、ええ……」
「キミ。そういうこと言わないでくれるかな。彼女けっこう気にしてるから」
「あ、そうか。ごめんなさい」
「いいえ、いいんですよ。こんな私でもご主人様のお役にだけは立てるのですから」
「ご主人様なんて呼ぶなって言ったろ? 君は僕の大切なパートナーだ、対等の立場じゃないか」
「で、でも……なんだかまだ信じられなくて、あなたが私にそんな……」
「バカだな、愛してるよ……」
「ご主人様……」
「イブを君の家ですごすためにも、早くプレゼント配り終えないとね」
「はい……」
「それじゃ、そういうことで。メリークリスマス」
「う、うん。メリークリスマス……?」
シャンシャンシャンシャン
「……あ。恋人がサンタクロースだったのか
「さあ、観念して『聖者の星』を渡してもらおうか」
「いやだ! お前たちなんかに渡すもんか」
「強情を張るのもいいだろう。殺して奪うまでだ」
「く、くそう……どうして煩悩仮面は来てくれないんだ……」
「煩悩仮面? ハーッハハハ、残念だったな、やつなら今日は来ない」
「な、なんで! なんでそんなことが分かるんだよ!」
「かわいそうに、何も知らないらしい。そういえばお前はやつのまわりをちょろちょろして、ずいぶんと崇拝していたようだったが……。フフフ、知っていれば崇拝するはずもなかった」
「どういう意味だ!」
「煩悩仮面は人間ではない。いや、生き物ですらない」
「え……」
「人間たちの煩悩の渦が人の形に具現化した存在、それが煩悩仮面だ。やつはお前が考えているような正義のヒーローなどではない。お前は知らないだろうが、やつは我々の組織の者と戦っていた時に、すぐに勝てるのに一度ピンチになったフリをしたりわざわざ人目の多いところで勝利の瞬間を味わったり、常に下劣な人格をあらわにしていたのだ」
「う、嘘だ……」
「そして今日はやつは来ない。そろそろ2001年12月31日も終わり、除夜の鐘が鳴り始める。煩悩の具現化であるやつの弱点はあの鐘の音だ。あれが届くところにいれば消滅する。今頃は地下ででも震えているだろう」
「…………」
「下劣な煩悩が長生きしようとあがいていることはおぞましいが、やつをくびり殺すのは後でもできる。その『聖者の星』さえあれば、世のクズどもの思考をコントロールする装置が完成し、我々が支配する、美しく調和のとれた世界になるのだ。さあ、渡せ」
「……い、いやだ……」
「ものわかりの悪いガキだ。しょせんお前もあの煩悩のカタマリと同じか」
「煩悩の……カタマリ……」
回想シーン開始
(マコト兄ちゃんはほんとに物欲のカタマリだなあ)
(何馬鹿なこと言ってんだ)
(じゃあ違うって言うの?)
(食欲、性欲、睡眠欲を忘れるなよ)
(どうしようもないね)
(ははは)
(マコト兄ちゃんも少しは煩悩仮面を見習いなよ)
(ああ、また出たんだって?)
(うん。ぼく助けてもらったんだ)
(またかよ。いいかげん危ないとこちょろちょろすんのやめろ)
(まあいいじゃん、ね、その時の話聞きたい?)
(ん……)
(聞きたくないの? いつもは聞きたがるくせに)
(……トオル)
(?)
(お前、もしも煩悩仮面が実は悪者だったら……どうする?)
(な、何言ってんの!? そんなことあるはずないじゃん、何度も助けてくれたんだよ!)
(助けてくれたからっていいやつとは限らないだろ。みんなをだますために正義の味方のふりをしてる可能性だってあるじゃないか)
(マコト兄ちゃん!)
(たとえばの話だよ。もしそうだったらどうするのかなって思ったんだ)
(……煩悩仮面は、悪者なんかじゃないよ)
(トオル)
(分かるんだ。絶対違う。ぼくは、何があっても煩悩仮面の味方だ)
(……そっか……)
回想シーン終わり
「……まさか。まさか、マコト兄ちゃんが……?」
「さあ選べ。渡すか死ぬか、2つに1つだ。なるべくならお前のような子供を殺したりはしたくないんだがな」
「……さっきも言った。お前らなんかには渡さない、絶対に」
「なぜそれほどまで意地を張る? あの俗物のクズにそんな肩入れをして何になるのだ」
「煩悩仮面はクズなんかじゃない! ずっと、ずっと苦しんでたんだ……煩悩の具現化という悲しい存在であるがゆえに……」
「何を言っている」
「人の心を操ろうとするような、お前らなんかに分かるもんか! 『聖者の星』は死んでも渡さないぞ」
「そうか。ではしかたない、死ぬがいい」
バシーン
「そこまでだ!」
「うっ。貴様は!」
「煩悩仮面!」
「トオルくんを離してもらおう」
『……いよいよ2002年へのカウントダウン、10、9、8……』
「来ちゃだめだ、煩悩仮面!」
「フハハハ、何をしに来た煩悩仮面。貴様には煮え湯を飲まされ続けたが、今日ならば確実に我々の勝ちだ」
『……1、0! 明けましておめでとうー! ワーワーワー』
ゴーン
「うぐっ! く、くそ……力が……」
「逃げてー! 煩悩仮面ー!」
「そうはいかない、トオルくん。ここで逃げたら、今までしてきたことが全部むだになってしまう」
「で、でも!」
「煩悩仮面。貴様のその自己陶酔にはいつも虫酸が走ったものだが……。世界を汚染するクズの見本としてしっかりと覚えておいてやるぞ」
ゴーン
「ぐあああ」
「ハッハッハ、いいざまだ。消えてなくなれ、煩悩仮面」
「消えるさ。でも、また生まれる。人間がいる限り、オレはなくなることはない」
「馬鹿め、お前を生み出すようなクズはもうこの世界にはいなくなるのだ!」
「そんなことはさせない。お前にだって分かっているはずだ。端から見ればくだらないものへの執着、欲、そこから生まれる悩みや苦しみ……それこそが尊いのだということを」
「まさに煩悩のとりこになった考えだな。反吐が出る」
ゴーン
「何と言われようと、お前を止める」
「フン。鐘で弱った貴様に何ができる。……ハッ。まさか貴様!」
「さあ、オレと一緒にお前も消えろ!」
「自爆……!」
「だめだ、煩悩仮面!」
ドカーン
「煩悩かめーん!」
シュー
「しっかり! しっかりして!」
「トオルくん……ケガはないかい」
「大丈夫だよ! 死なないで、マコト兄ちゃん!」
「……! き、気づいてたのか……」
「さっき気づいたんだ。お願いだよ、死なないでよう」
ゴーン
「う……」
「か、鐘の音が聞こえないところに行こう! ほら、ぼくの肩につかまって!」
「もういいんだよ……トオル」
「よくないよ、全然よくない!」
「煩悩は……こうやって毎年消えるのが当然なんだ……」
「一緒に初詣に行こうって! 約束したじゃないか!」
「ごめんな……オレの分まで今年一年を祈願してきてくれよ……」
「やだよ、やだよ……」
「みんな楽しく、健康で、仲良く、時には退屈を吹き飛ばす事件があって、それから……」
「お、覚えられないよう……」
「はは、ごめん……欲張りすぎたな……でもしょうがないよ、オレ、煩悩だか……ら」
「マ、マコト兄ちゃん……兄ちゃん……」
「…………」
「兄ちゃああん! うわああああああん」
パアアアー
「……え! に、兄……」
「ま、まさか……こんなことが」
「生き返ったの!?」
「自分のために心から泣いてくれる子供の涙にふれた時、煩悩は子煩悩に生まれ変わる……そんな言い伝えが本当だったなんて」
「奇跡だ……。新しい年の始めに奇跡が起こったんだね!」
「トオル、お前のおかげだよ。さあ、パパと初詣に行こう」
「遭難してしまったな」
「ああ……なんだか眠くなってきた」
「寝るな、寝ると死んでしまうぞ」
「枕……俺の枕はどこだ」
「お前の枕はここにはない。寝るのはあきらめてくれ」
「どこにあるんだ……枕……枕……」
(あれ。なんで遭難して枕の話なんかしてるんだろう)
「頼む……。枕を探してきてくれ。俺の最後の頼みだ」
「分かった。探してくる。きっと頂上にあるはずだ」
「そうだな。じゃ、そろそろ出発しよう」
(あ、そうか。これは夢だ)
「ひどい吹雪だ。また遭難した」
「あの洞窟に入ろう」
(そういえばこれ多分初夢だよな)
「ううっ。寒さで体が腐ってゆく」
「こりゃひどい。手のほどこしようがない」
(やめろ、もっといい夢になってくれ)
「おえー。さっきから嘔吐が止まらない」
「今まで黙ってたけど、実はお前は病気だったんだ」
(だめだ、どんどん悪くなる)
「初めての登山なのに……家族が悲しむだろうな」
「ペストの大流行でお前の家族は全滅した」
(絶望的だ)
「ところでこの山は何て山だっけ」
「富士山だよ」
(やったー)
「ガキの頃俺はね」
「はあ」
「王様になりたかったんだよ」
「そうですか……。ま、好き放題やれますもんね」
「低い。志低い。俺は独裁者になりたかったんじゃなくて、王様になりたかったんだよ。採算度外視の善政しいて、領民にマハラジャマハラジャ慕われたかったんだよ」
「インド?」
「けどその頃の俺はそんな未来を知るよしもない平凡な小学生。実は近所の人に『あの子ってなんだか気品があるわよね』『そうそう、なぜか圧倒されてしまうっていうか……』と噂されていることに気づきもしていなかった」
「ふーん」
「そしてある日、学校から帰ると家の前に金色の車が止まっている」
「金色って」
「変わっているのは色だけじゃない。突起物がタイヤについていたり、翼がドアについていたり、背びれが屋根についていたり、一体何だろう、この車」
「それ車ですか」
「ただいま! と家に入る。すると両親が並んで正座して泣いていた」
「やな光景だなあ」
「どうしたの? と驚く俺。するとふすまが開いて見たことのない民族衣装を着た5人の男女が現れる。『おお、王子』『王子だ』『ご立派になられて……』口々に言いながら涙を流すじゃないか」
「全員泣いてるのか」
「『あなたは実はガラガンド王国の後継者、ギガストーム王子だったのです』」
「強そう」
「『ガラガンド王国は総理大臣のクーデターによって国王が幽閉され、まだ赤ん坊だった王子のあなたは殺されそうになるところをすんでのところで救われてこの国へとやってきたのです……』」
「ふうん」
「『じゃあ、僕はお父さんとお母さんの本当の子供じゃないの?』悲しむ俺に恐縮する両親。『申し訳ございません……隠していて』『でも、私たちはお前……いいえ、ギガストーム王子を自分の本当の子供だと思っておりました!』」
「何者なんですか両親は」
「『我々は革命を起こして大臣を倒し、国王コスモジェット7世を救い出しました。あなたもついに国に戻られる日が来たのです』『そんな……僕が王子だったなんて』」
「そういう名前で統一されてるのか」
「『コスモジェット王は長い幽閉生活で体を病み、今は死の床におられます。一刻も早くお戻りになり、お会いにならなければなりません』」
「ふーん……コスモジェットのくせに病気ですか」
「『……分かった。行くよ』『おお、王子!』『さすがは王子だ』」
「どういう感心なんですか」
「決意した俺の姿を見てささやき合う彼ら。『わたくしは赤ん坊の頃の王子しか存じ上げておりませんが、なんという気品、そして威厳。身にまとった高貴は輝くばかりですね』『うむ、まぶしくて顔も上げられぬ』」
「そうですか」
「そして育ての両親と涙のお別れ。『王子……長い間おそばにいることができて、わたくしどもは幸せでございました』『うむ。僕もあなたがたの愛情に包まれ、これほど幸せな少年時代はなかった』『王子!』」
「切り替え早いなあ王子」
「赤絨毯を歩いて車に乗り込む。ハンカチを振って見送る育ての親が、最後の最後にそれまで使っていた俺の仮の名前を叫ぶ。それを聞いたとたんに俺もあふれ出す涙が止まらないのだった」
「はあ」
「ブロロロロー……トンネルを抜けるとそこはガラガンド王国」
「ちょっとちょっと。日本にあるんですか」
「どうでもいいだろ。言葉が通じることには何も言わなかったくせに」
「そりゃそうですけど」
「窓の外の風景がどこか懐かしい。『とうとう帰ってきたね、ギガストーム王子』視界に入ってくる見たこともない形の動植物がそう言っているように思えた」
「異世界なのか」
「そんな光景に見とれていると、突然車が地面にはまりこんだ。落とし穴だ! 気づくと同時にバラバラと迷彩服の男たちが車を取り囲む」
「ふーん」
「すわクーデターか、と思った時、迷彩の1人が思わぬ言葉を口にした。『王子! ご無事でしたか!』」
「はあ」
「『我々はレジスタンスの者です。地下組織にご案内します』『レジスタンス? 少々事態が飲み込めないのだが、説明してはくれまいか』」
「何ですその言葉遣い」
「『王子! このような者どもの言うことなど聞いてはなりません』『よいではないか。それとも、僕に聞かせたくないことでもあるというのかね?』『う……』」
「うーん」
「『総理大臣のけしからぬ陰謀を耳にいたしまして、ここでお待ち申し上げておりました』『総理大臣は革命によって倒されたと聞いていたが……』『とんでもございません、今でも位人臣を極めております』『王子! このような者の言を信用なさるのですか!』」
「はあ……」
「一体どちらが本当なのだろうか。確認する方法がない」
「そうですか?」
「そこで俺は言う。『自分の言葉が正しいことを誓ってくれ。この国の神と、大地と、人々に』その言葉を発したとたんに俺の体からまばゆいばかりの威厳の光が……。思わずそこにひれふす人々」
「すごいなあ」
「さっき車に同乗していた側近が涙ながらに告白を始める。『申し訳ありません、王子。この国は総理大臣の支配下にあります。国王の死が近くなり、総理大臣は支配を盤石のものにするため、王子を連れてきて公開処刑をもくろんだのです』『そうだったのか……よく話してくれた』」
「どうやって王子の居場所を知ったんですか」
「『レジスタンスの諸君! 正直に話してくれた彼らとともに戦う覚悟はあるか!』」
「何を言ってるんだ」
「『ウオオー!』」
「なんで盛り上がるんだ」
「地下組織に入る一同。図面を見ながら作戦を聞く。『城に向かって掘り進めた地下道がすでにできあがっております』」
「もうできてるんですか。料理番組みたいだ」
「『これからいよいよ攻め込みますが、王子。あなたに先頭に立っていただければ、みなの勇気も百倍です』『もちろんそのつもりだ』エイエイオー。いざ出発」
「なんかものすごく軽率に聞こえるんですが」
「『みんな、ギガストーム王子に続け! 王子を殺してはならん!』ワー。ついに攻め込むレジスタンス。突然現れた軍勢に右往左往の城兵たち」
「よわー」
「快進撃が続き、ついに玉座の間へ。『あ、あれです。あれが総理大臣です』誰かが叫ぶと同時に大臣はゆっくりと立ち上がった。『ようこそ、ギガストーム王子』」
「分かりやすいなあ」
「『なるほど、あなたが王子……』大臣はしばらく俺を眺めていたが、何を思ったか奇妙な提案をした。『いかがです、私と1対1の対決をしませんか』」
「はあ」
「『いいだろう』『王子!』『手を出すな。これでみなの血が流れずにすむのだから』」
「いや、でも昨日まで普通の小学生ですよね?」
「それぞれ剣を取り、決闘が始まった。俺も強いが大臣もさすがに強く、互角の勝負が続く。しかしやはり体格の差が、あ、危ない! 大臣の剣が俺を襲う!」
「なんで互角に戦えるんですか」
「しかし間一髪よけてカウンター。大臣の胸を貫く剣。ワーワー。『王子が勝った』『王子が勝った』」
「どこかで聞いたような歓声だなあ」
「倒れた大臣にかけよる俺。『なぜだ。なぜわざと負けた』」
「そうだったのか」
「『ふ、ふ、ふ……あなたの実力でございますよ……』『大臣!』『あなたを一目見て……わたくしは自分が間違っていたことに気づいたのでございます』」
「そんなんばっかりですね」
「苦しい息の下から涙ながらに俺に語りかける大臣。『ギガストーム王子……わたくしが反乱をくわだてましたのは……国王が酒色にふけり、国を省みず……諫める者を次々と罷免したからでございました……』」
「はあ。コスモジェットは暗愚でしたか」
「『あなたのような方が次の国王だと分かっていれば……あんなことは』『もういい、それ以上申すでない』『あなたに……お仕えしたかった……』こときれる大臣。粛然とした空気があたりを包む」
「やっと終わりそうだ」
「そこへ駆けつけてくる側近。『王子! 今の騒ぎで国王の容態が急変しました!』」
「はあ。今の騒ぎでですか」
「あわててかけつけると、初めて会う国王にははっきりと死相が現れている。『父上! 僕です!』『おお、お前か……』」
「ほんとに分かってるのか」
「涙ながらに俺の手を握る国王。『お前に会えるとは、ここまで生き延びてきた甲斐があった……』」
「似たような場面が続くなあ」
「『父上。お気を確かに』『わしはもうだめだ……。この国はお前にまかせなければならない』『父上』『大臣の悪政により、国には民の怨嗟の声が満ち満ちておる……』」
「あれ。さっきと話が」
「『このような状態で王の職務を遂行するのは並大抵のことではない……だが、お前ならやれる』」
「何の根拠があって」
「『父上。必ずお言葉の通りに』『うむ……』安らかな死に顔になる国王。言葉もなくたたずむ一同」
「はあ」
「さっきの大臣の死に際の言葉も聞いている側近が『一体どちらが本当なのでしょう……』とつぶやく」
「側近なのに知らないんですか」
「静かな声でそれに応える俺。『どちらでもよいではないか。死者には罪はない。一体誰が悪かったのか、真相は藪の中……僕はそれでよいと思う』『王子……』感動する一同」
「感動するとこかなあ」
「『王子』『ああ。分かっておる』国王崩御……。まだ国が混乱する中、着いたばかりで跡を継がなければならない。前途多難な状況を考え、俺は身が引き締まるのを覚えるのだった」
「げ……。もしかしてまだ続ける気ですか」
「当たり前だろ。最初から王様になりたかったって言ってるじゃないか」
「うええ」
「総理大臣と国王が同時に死亡と崩御の憂き目に会い、てんやわんやのガラガンド王国。たった1人の後継者である俺はこの混乱を収めるためにも一刻も早く即位しなければならないのだが……?」
「そういう話だったんだ」
「混乱は段階を踏んでおさめてゆくしかない。まずは国王及び大臣の葬式が盛大にとりおこなわれた」
「合同?」
「そしていよいよ俺の即位。ゴーンゴーン。国中にそれを知らせる鐘が鳴り響く。戴冠式は大聖堂。貴族たちが待つ中、すごい長いガウンみたいなの着て先に玉がついた杖みたいなの持って現れる俺。パッパラーパパパパー。ファンファーレが高々と鳴り響く」
「やかましいなあ」
「冠をささげ持った牧師が重々しく俺にたずねる。『ギガストーム王子。汝はいついかなる時も国を愛し、民をいたわることを誓いますか?』『はい。誓います』」
「いや、それ結婚式……」
「『ではこの冠を授けましょう』ずしりと重い冠が俺の頭に乗せられる。ついにこの瞬間がやってきた。俺は頂点にのぼりつめたのだ……」
「悪者になった」
「『陛下……』呼称も変わった。『予に何か?』一人称も変わった」
「無理に使うことないと思いますけど」
「『国内はいまだ不安定で、お命を狙う輩も数多いことでしょう。国民にお姿を見せるのはもう少し先に延ばしたほうがよいのではないかと』『うむ。予も同じ考えであった。それに顔を知られると街の様子を直接視察することもできぬゆえな』『ええっ。まさか城下に行かれるおつもりですか!』」
「はあ」
「止めるのも聞かず、俺は平服を身にまとって出かけた。堅苦しい城内とは空気までもが違うように思えた。やった。俺は自由だ」
「そんなにいやがってましたっけ」
「しかし街は荒れ放題で、国の実情がよく分かった。ひどいな。いかにして立て直すか……」
「ずいぶん簡単に分かってしまいましたね」
「思案していると走ってきた男が俺にぶつかった。『おっとごめんよ』『……スリだ!』」
「時代劇になった」
「逃げる男。しかし俺の方が少々早い。男の腕を後ろ手にねじりあげると、懐からたくさんの財布がどさどさと落ちる。『ずいぶんと荒稼ぎしてるじゃないか?』『くそっ。殺せ』」
「やたら潔いですね」
「『ん?』財布に混じって何かきらりと光るものがあった。『何だこれは。バッヂ?』『あっ。こ、この野郎、返せっ』『団員バッヂか何かのようだな』」
「子供じゃないんだから」
「『ふうん。スリが入っている団体か……。面白そうだな』『おい、お前まさか入りたいって言うんじゃ』『そのまさかさ』」
「おやおや」
「『ふざけるな! 山鳩団は軽い気持ちで入れるような組織じゃない!』『なるほど、山鳩団というのか』『あっ』」
「早く終わらないかなあ」
「名前をうっかり口走ってしまったスリはしぶしぶ俺を首領の所へと連れて行く。『何だ、そのガキは』『予は……いや、僕はこの男から財布をとられそうになった者だよ』」
「言い間違えるほど予とか使ってないでしょうに」
「『ほほう。そいつはそれでもスリの腕では天下一品だ。よく捕まえたな、なかなか見所のあるガキだ。いいだろう、入れてやろう』」
「まだ入れてほしいとか言ってないじゃないですか」
「『山鳩団はガラガンド王国を変えるために戦っている』『なるほど、だから金が必要というわけか』俺はあのたくさんの財布を思い浮かべて感心した」
「はあ」
「『その通りだ。王族などあてにはならん。何もできんやつらだ』『……ふふ』『何がおかしい』『いや、面白いことを言うなと思っただけさ』」
「こんなあやしいの入れたくない」
「しかし笑ってはいられない事情が明らかになった。金の集まりの悪さに業を煮やした彼らは、王宮の金品を強奪しようという計画を立てていたのだ」
「軽率なやつばっかりですね」
「『行くぞ』『おう』闇にまぎれて王宮に忍び込む山鳩団。『すげえ、この宝石』『この金貨の山を見ろよ』ザラザラザラー」
「何やってるんだ」
「しかしそこに! カッ! カッ! カッ! 四方からライトが当てられる。そう、計画を知った俺がすでに連絡しておいたのだ。『うわあああ』なすすべもなく全員捕まってしまう」
「弱い、というかそれ以前ですね」
「いったん牢に入れられる山鳩団、しかし首領が呼ばれる。『おい、出ろ。陛下がお前を見たいとおっしゃっておられる』」
「はあ……」
「『どうせ首を切られるんだ。世間知らずの王様にこの国の実情をあらいざらいぶちまけてやるぜ!』」
「どんなキャラなのかさっぱり分からない」
「『面を上げよ』『は、はい』実際拝謁してみると、俺の威厳に圧倒される。『くそっ。声が出ない』」
「全然いいとこないですね、首領」
「『ふふ』『?』俺が笑ったので戸惑う首領。『捕まってしまったな』『は……』『これでも王族は何もできないか?』『!』はっとしてまじまじと俺の顔を見る首領。『お、お前、なんでこんな所に。えっ。王様?』」
「あーあ」
「『予は山鳩団の意志に共鳴した。目的は同じだった』『おそれおおうございます』『これからも国をよりよくするための活動をしてほしい』『ははーっ』こうして山鳩団は王直属の部下になり、歴史の陰で暗躍することになったのだった」
「とても暗躍できそうにない」
「彼らの活躍で国の混乱は予想以上の早さで収まりつつある。いよいよ国民の前に王が姿を見せる時が来た。そうだ、そろそろ建国記念日だ。その日にしよう」
「はあ」
「そして建国記念日の数日前。あの金色の車で俺を迎えにきた者の1人で、今は側近をしている老人がけわしい顔でやってきた」
「まだ何かあるんですか」
「『陛下。お話がございます』『ああ』読んでいた帝王学の本から顔を上げて少し笑う俺。『そろそろくる頃だと思っていたよ』」
「?」
「『と、おおせられますと。わたくしが何を話そうとしているか、お分かりに』『まあね。本物のガラガンド国王はもう国内にいらっしゃるのかい?』」
「はああ?」
「なんと俺は本物の国王ではありませんでした。驚愕のどんでん返し」
「無意味などんでん返しは見苦しいだけですが……」
「『い、いつからお気づきに』『この国に着いたあの日からさ』」
「嘘をつけ」
「『迎えに来た5人のうちの何人かが元々レジスタンスに通じていたんだろう?』『そこまでお分かりに』『いくらなんでもすぐレジスタンスと仲良くなりすぎていたよ。それに、道に落とし穴を掘るというのも車のルートが分かっていなければ使えない方法だ』『な、なるほど』」
「根拠がひどすぎる」
「『そして先頭に立って戦えと言われた時、おかしいなと思った。いくらなんでもこの国を継承する者にそんな危険なことを頼むだろうか……』」
「もっとおかしいところもあったような気がしますが」
「『もしや本物の王子は他にいるのではないだろうか。別の人間を王子と偽って連れてきて、先頭に立たせて志気を高める。うまくゆかなくても王子が処刑されることはまぬがれる』」
「そんな無茶な」
「『な、何もかも見通しておられたとは……。お許しください。本物のギガストーム王子をあのような危険にさらすわけにはいかなかったのです』」
「そうですか」
「『あなたはあなたを育てた、あのお二人の子供です。実は彼らは親に結婚を許されずに駆け落ちをしたガラガンド国民……。事情を話して協力してもらいました』」
「へえー」
「『この国も再出発のめどがつき、もう本物の王に交替してもらわねばなりません』『ああ、分かってるよ。ふふふ、なかなか楽しかった』」
「威厳がどうのとか何だったんだ」
「俺の自前の威厳だよ。別にいいじゃないか」
「大臣とか前の国王とかだまされたまま死んでるし、戴冠式とか」
「そこへ扉が開き、1人の少年が入ってくる。一目で分かった。彼こそが本物のガラガンド国王、ギガストーム4世なのだ」
「4世だったんだ」
「うやうやしく臣下の礼を取る俺。『頭を上げてください』国王は全てを知っているらしい。今までの俺の労苦を思ってか、目に涙を浮かべておられる。『あなたの思いを決して無駄にはしません』その声も震えていた」
「おやおや」
「事情が事情だけに公にすることはできないが、関係者だけでささやかな俺の送別会が行われた」
「はあ」
「わあわあと俺のまわりに家来だった者たちが集まる。今までと違って今日は対等の立場、まさに無礼講だ。『よう王様、今までご苦労ご苦労』『王様業も大変だったろ、この野郎』」
「嫌われてたっぽい」
「そして建国記念日。民は国を救った英雄を一目見ようと城の前に集まり、王の登場を今や遅しと待っている。その民の中にまぎれて俺の姿もあった」
「なんか暗殺者みたいだなあ」
「現れる国王。どよめき、歓声、悲鳴。ゆっくりと手を振る国王に、観衆のボルテージはますますヒートアップ」
「ふうん」
「その中をひっそりと歩み去る俺。『僕の役目は終わった……』」
「話も早く終わってほしい」
「こうやってこの国独特の動植物を見ながらのんびり歩くのも久しぶりだ。あのトンネルに今度は歩いて入ってゆく。さようなら、ガラガンド王国」
「帰りは送ってもらえないんですね」
「トンネルを抜けるとそこは日本。懐かしい虫の声、鳥の歌。とうとう帰ってきた」
「よかったよかった」
「家に帰ると両親に迎えてくれる。『おかえり』『王様役が終わったと聞いて待っていたのよ』」
「よく分からない両親だなあ」
「『ただいま。色々あったよ。話したいことがいっぱいあるよ』『さあ、早く入りなさい』『でも一番嬉しいのは、こうやって家に帰ってこれたことさ!』」
「いいかげんにしてくださいよ」
「その日は遅くまで、家の灯りが消えることはありませんでした……」
「やっと終わった」
「というわけで、王様ではなかったバージョンをお送りしました。続いては」
「やめてください。頼むから」
「王様はほんとに色々あるんだけどなあ。ガキの頃の俺の空想のスタンダードだったもんだよ」
「そんなことで遠い目されても」
「隣の国の暗殺者から俺をかばって誰か死んでほしかったし、戦争して勝つんだけど条約は寛大だったりしたかったし、国中の若い娘の中からお后を選ぶことになって、お目当ての娘を陰から手助けしたりしたかったし、104歳まで生きて、葬式で殉死が250人出たところまでやりたかった」
「無茶言うな」
「けど葬式のことは考えても、それまでの王の功績のことはそんなに考えてなかったんだよなー」
「まあ、そんなもんですよね。それじゃ」
「見ろ。市内のスーパーで発見されたマヨネーズだ」
「……これは」
「穴の星形がペンチで切り取られ、五角形になっている。客からの苦情で明らかになった。今までに5本見つかったそうだ」
「悪質ないたずらですね。しかしヘタをすれば極刑……。そんなリスクを犯してまでやることでもないだろうに、誰がこんな」
「やつらだよ」
「は?」
「食卓自由同盟だ」
「食……まさか!」
「いや、間違いない」
「たしかに食自同盟はマヨネーズを憎悪していますが……。やつらは胃から口までをマヨネーズで満たした死体を街に置き、犯行声明を出す活動が中心だ。こんなかわいらしいいたずらなんてしませんよ」
「やつらのしわざだと思うのには理由がある」
「菅さん?」
「張り込みだ。続きはそっちで話す」
「は、はい」
「来ますかね」
「来るさ」
「勘ですか」
「ああ」
「…………」
「あてにならないってツラだな」
「いえ、あてにしてますよ。今まで何度その勘が当たったか分からない。一体どうして当たるんだろう……と不思議に思っているツラです」
「ふん」
「やつらのしわざというのも勘ですか」
「いや、違う。そうだな、どこから話そうか……。昔話だが」
「?」
「今、俺たちが飯を食う時、食卓には食い物とそれにかけるマヨネーズ、それだけだ」
「当たり前じゃありませんか」
「ところが昔はそうじゃなかったのさ。今のような平和ではない、混沌の時代だ。食卓にはマヨネーズの他にもさまざまな容器が並び、それらがすべて食い物にふりかけられた」
「そんな馬鹿な。マヨネーズがあるのになぜ他のものが必要なんです?」
「俺には分からない。その時代にいたわけじゃないからな」
「その、他の容器には何が入っていたんですか」
「塩とか醤油とかが、調理する時だけでなく食卓にも持ちこまれていたのだそうだ。その他にもいろいろあったらしいが」
「そんな話聞いたこともありませんよ」
「聞いたことがなくて当然だ。もうそれを知る者も少なくなった。あの悲劇によって歴史は書きかえられ、今はほとんどの人間が有史以来人類はマヨネーズしか使っていないと信じているんだからな」
「……あの悲劇?」
「食い物に何をかけるのか、という問題は根が深く、統一は絶望的だと思われていた。それぞれがある程度すみわけ、時には領分を侵し合い、反目し合いながらも、長い年月がだらだらと過ぎていった。しかしマヨネーズだけでことたりる、という我々と同じ考えを持つ者は少しずつだが増えていたのだ」
「…………」
「しかし、彼らはむしろ軽蔑された。すべてに同じものをかけて満足するのは鋭敏な感覚がないからだ、と言われたんだ」
「まさか」
「それでも歴史の流れは止まらず、彼らは勢力を増やしていった。だが、他の勢力からの圧力はますます大きくなる。そして、あの悲劇だ」
「一体何があったんです」
「マヨネーズ好きの男がいた。彼は勤めている会社の冷蔵庫に自分のマヨネーズを入れていた。ある日の昼食時、それのふたを開けると、穴の星形が切り取られ、五角形になっていた」
「……今回の事件と同じように?」
「そうだ。彼は激高し、誰がやったんだと叫んだ。犯人はにやにや笑いながら名乗り出て、味は同じだろうと言って彼を侮辱した。周囲も犯人に同調し、彼を笑いものにした」
「なんということを……」
「彼は怒りのあまり犯人に飛びかかり、首をしめて殺害した。今なら十分正当防衛が適用されるケースだが、その時は違う」
「では、有罪に」
「ああ、しかも実刑だ。懲役8年だったかな。しかしそれだけではすまなかった」
「というと」
「その後、彼はマヨネーズの摂取によって激昂しやすい性格になり、殺人を犯した、などという悪意に満ちた噂が流れた。ここぞとばかりにそれに同調する者がいた。排斥運動が起こり、店頭からマヨネーズか消えた。マヨネーズを愛する者たちは闇のルートで手に入れることになり、マフィアの資金源になるという理由から次々と逮捕された。暗黒時代の到来だ」
「…………」
「だが、それでも時代はマヨネーズに味方した。どんなに虐げられてもマヨネーズの勢力は消えることはなく、世界中で人々の血を流し、たくさんの街を廃墟にしながらも、ついには逆転し、世界を支配することになった」
「……本当の話なんですか、それは」
「ああ。そして歴史がぬりかえられた。最初からマヨネーズしかなかった、と。マヨネーズの支配がなんらかの形で崩れれば、また同じことが起こるかもしれない。あんな悲劇は2度と起こってはいけないんだ」
「…………」
「しかしそれを邪魔しようとしているのが食卓自由同盟だ。やつらはまたあの混沌の時代に戻ろうとしている。時代がマヨネーズを選んだということが理解できていない」
「でも、菅さんはなぜそんな話を知ってるんですか」
「……あの悲劇の発端となった事件。殺人を犯してしまったマヨネーズ好きの男というのは、俺の曾祖父なんだ。曾祖父はマヨネーズへの弾圧がひどくなったために、刑務所の中でひどい死に方をした。残った家族もあちこちを逃げ回りながら暮らさざるをえなかった」
「じゃあ、その話は代々伝わってきた……」
「ああ。曾祖父のように立派になれとうるさく言われたもんさ」
「菅さん。吸いますか」
「ああ、マヨネーズか。サンキュ」
チュー
「ところで、殺された方の男の家族はどうなったんですか」
「殺された方? いや、知らないな」
「殺した方の子孫なら、殺された方のその後くらい気にしてもいいんじゃないですか」
「おいおい。あれは今なら正当防衛だぞ」
「マヨネーズが世界を支配した後、あの事件の犯人の子孫はひそかに手厚い保護を受けた。その逆に被害者の子孫は、ひそかに根絶やしにされた。マヨネーズを嫌う者、アレルギーがある者と同じように」
「お前……まさか」
「だが、完全には滅びなかった。彼らは地下に潜り、活動を始めた」
「食自同盟……」
「そうだ。マヨネーズを万能と信じきっている者には我々の自由な精神は理解できないだろう。だが必ず戻してみせる。食卓に平和などいらないんだ」
「お、お前は間違っている! 長い時間と犠牲を払い、人類がついに手にした平和を……」
「あんたには分からないだろうな。犠牲となった側の気持ちなど」
「く、体が動かない。い、今のマヨネーズか」
「そうさ。あんたには例によって、胃から口まであんたの大好きなマヨネーズを詰めこんだ死体になってもらうよ。それを見た通行人のうちの何人かがマヨネーズに拒否反応を起こすようになるだろう。こういう地道な活動もね、必要なんだ」
「お、前……う……ぐ」
「すんだのか」
「ああ。確かにやつの子孫だった」
「そりゃよかった。うまくおびき出せたもんだ」
「ああ……」
「顔色悪いな。仲良しの先輩を殺すのは気が引けたかい」
「そうでもないさ」
「だろうな。醤油好きはそんなもんだ」
「何? 醤油好きは冷酷だとでも言うつもりか」
「そんなことは言ってない。だが、自覚はあるってわけだな」
「貴様!」
ワーワーワーガタンガタン
「やめろ、仲間割れは!」
「これさえなきゃ天下取れるのになあ」
「ええ、それでは後は」
「後は若」
「後は若い、痛い、何をするの」
「私に言わせるっておっしゃったじゃないですか」
「そんなこと言うわけないじゃない、後は若い」
「私が言うんだ、この、後は若いふ」
「くっ。言わせるもんですか」
「な、何をする。くそっ、あ、後は」
「ちょ、ちょっと叔父さん!」
「叔母さんやめて! こんなところでケンカなんて」
「君たちは黙ってなさい。これは私たち付き添いの問題だ」
「あなたたちは外に出てて。きっちり話をつけるから」
「変な見合いになってしまいましたね」
「ええ……」
「ひどい叔父だと思わないでください。あの人、見合いの付き添いして『後は若い二人にまかせて』って言うのに、ずっとあこがれてたんですよ」
「まあ……。実は叔母もなんです」
「そうだったんですか。それであんなことに」
「叔母には付き添いの機会なんてそんなになさそうですし、今回でその夢を叶えてあげたかったんですけど……」
「すみません」
「いいえ、こちらこそ叔父様の夢をこわしてしまって。ごめんなさい」
「美紀さんて……優しいんですね」
「クスッ。高村さんだってあやまったじゃありませんか。お優しいんですね」
「あ、そうか。ははは」
「うふふ」