たどりついたその星は地球によく似ていた。そして地球人と同じような姿の人々が住んでいた。しかしもちろんその文明は地球とは違っていて、一番目につく違いは、竜だった。
この星には地球で竜として描かれる、四つ足でウロコがあり、身をくねらせて炎を吐き飛び回る、あの生き物がたくさんいるのだ。人々はみな自分の竜を持っていて、遠くに行く時にはそれに乗ってゆく。
竜の飛ぶ姿は実に勇壮だ。しかし人々はそんなことを意識する様子もなく気軽に乗っている。竜に乗っているのにつまらなそうな顔をしていたりする。他の竜に炎を吐きかけて威嚇するのを、頭を叩いて叱りつけたりしている。何もかもがすばらしかった。
「そんなによいものですかね?」
人々は不思議そうに言った。この星もたくさんの問題を抱えている。しかしそんなことはみなささいなことに思えた。竜。ここには竜がいるのだ。
今、宇宙船は地球に帰還する最中だ。竜の卵をたくさんもらった。無事にかえるといいが。うまく地球で育ってくれるといいが。
「こんな生き物、いたらいたでやっかいなものですよ」
あの星の人々の言葉が脳裏によみがえる。そんなことはわかっている。さぞかし様々な弊害があるだろう。いくらでも想像がつく。
だが、竜なのだ。弊害を頭の中にいくつ並べても、この気分の高揚に少しも水をさすことはできなかった。
もうすぐ地球に竜がゆく。人々は最初少し喜び、すぐ慣れて、しだいに欠点ばかりあげつらうようになり、そしてそれもあまり言わなくなる。竜が完全に生活に密着するのだ。そうだ。完全に。竜が。
竜が。竜が。竜が。喜びはいささかも衰えないまま、宇宙船はまっすぐに地球へと向かっていく。
海底の砂に潜って暮らしているコロトブリという魚は、他の魚の悩みを聞いてくれるので、そこには悩める魚たちがたびたび訪れているのですよ。
「コロトブリさん聞いてください」
「ああ」
「わたしはいつか大きな魚に食われます」
「そうかね」
「わたしには強さもないしスピードもない。コロトブリさんのように潜ることもできないしうまく隠れることもできない。食われるに決まっているのです」
「そうか」
「わたしの体の尾びれのそばに、3つほどキラキラするウロコがあるんです」
「うん、あるね」
「ずっと気になっているのです。でも何の役にも立ちません。何の役にも立たないこんなものだけあるのが腹が立って、はがしてしまいたくなるのです」
「そりゃ、よくないね」
「でも、何の役にも立たないのですよ」
「役立つ才能は生きるために使われるだけだ。役に立たぬ才能こそが君自身なのだよ」
「ありがとうございました!」
3つのウロコぶん目立ったので、早く食われたそうですが、それはコロトブリのせいではないのですよ。
砂漠を横断する鉄道が脱線事故を起こした。乗客に死者は出なかったが、
「通信機器がこわれましてね。助けを呼べません」
車掌はなぜか当たり前のような顔でそう言ったのだ。
「どうすりゃいいんだい」
「線路づたいに歩けば1日で次の駅です。2日待てば次の列車が来ます」
乗客はそれぞれため息をついたり首をふったりした。
「しょうがないわね。ここで待つわ」
「私は歩くことにしよう。急ぐのでね」
太い口ひげにシルクハットのうさんくさい紳士が、それらしい日傘を広げながら電車を降りた。
「ああ、僕も歩きます」
どっちでもいいと思っていた僕は、なんとなくその紳士の後を追った。
「お気をつけて。砂漠の夜は冷えます」
「ここにいたって冷えることは冷える」
車掌がかけた声に、紳士は口ひげをひねりながらそう答えた。
紳士と僕はしばらく何も話さずに歩いた。僕は手持ちの水を飲み、
「いかがです。お飲みになりますか」
「気を使わないでくれたまえ」
くれたまえだって。僕は横目でちらっと紳士を見た。蝶ネクタイをしている。
視界に砂と岩が続く。本当に進んでいるのか。
「1日と言ってましたが、何時間くらいなのでしょうね」
「2日はかからんのだろう」
声の響きで冗談を言っているのだとわかった。僕は少し笑った。
「食事をしないかね」
「僕は水しか持ってません」
「気にすることはない。私には少し多い」
分けてくれるのか。僕は横目でちらっと紳士を見た。片眼鏡をしている。
岩かげに座った。紳士はさっとクロスを広げ、サンドイッチを並べた。さすがに背の高いグラスではなかったけど、コップにワインをついだ。
うまい。空腹の、何を食ってもうまい感覚ではない、ぜいたくなうまさだ。真っ白いクロスが、砂漠の風に少し揺れた。
「あれは駅ではありませんか」
「そのようだな」
まだ夜にはなっていない。朝から夕方まで歩いて、駅に着いた。紳士は傘を閉じながら駅に入り、体の砂をさっと払った。僕は握手の手を差し出した。
「それではこれで。お目にかかれて幸運でした」
「いや、私の方こそ、楽しいひとときだった」
別れ際、一度夕方の砂漠を振り返った。砂と岩が続いている。
目を開けると、若い女が俺の顔をのぞきこんでいた。
「あら、気がつかれましたね」
「ここは?」
「ピスチの街ですよ」
聞いたことのない名前だ。
「コナ島の一番南にある街です」
島の名前も聞いたことはない。
「あなたはどこからいらしたのですか」
答えようとして、代わりにつばを飲んだ。何も思い出せない。
「……思い出せない」
「そうですか」
「疑わないのか」
「そういう方、よくこの島にいらっしゃいます」
女はカーテンを開けた。光がさしこんでくる。すぐそばに海があった。
少し離れたところに、ぼやけたように島が見える。
「ずっと旅をしていたような気がする」
「そうですか」
「どこか忘れたけど、遠いところを目指していた」
「そうですか」
「むこうに見える島は、何ていう島なんだ?」
「さあ……」
「知らないのか。近くにあるのに。人は住んでいないのか?」
「わかりません。それに、近くにはありませんよ」
そうだろうか。目で距離を測った。近いように見える。
「蜃気楼なんです」
驚いた。あれが蜃気楼か。初めて見る、と思って苦笑した。何も覚えていないのだから初めても何もない。
「そのうちに消えるってわけか」
「ええ。明日はきっと別の島が現れるでしょう」
「え?」
「あさってにはまた別の」
「そんなに毎日出るのか?」
「ない日もありますけど。ここ、蜃気楼の島ですから」
その言葉に、何か違和感を覚えた。
「あなたももう、この島から出られません」
「何を言って……」
言いかけたが、俺にはもう分かっていた。蜃気楼なのはこの島の方なのだ。俺はきっと、遠いところを目指した長い旅の果てに、ここにたどりついたのだ。
「悲しまないでくださいね」
「別に、悲しみはしない」
俺はまた、むこうに見える島に目をやった。遠いと思った。心の奥から長い旅の記憶が浮かびかけて、あとかたもなく消えた。
七不思議を全部見つけてしまった! と宮田くんは泣いていた。
でもぼくは宮田くんがわざわざ暗い方のトイレに行って壁や床のすみずみまでチェックしたり、音楽室のベートーベンの絵に分度器を当てたり、校庭の変な銅像に耳を当てながらコツコツ叩いたりしていたのを知っていたので、あれだけやってればそりゃ何か見つかるだろうと思ってあまり同情も心配もしなかったのだ。
けれどしばらくして宮田くんは行方不明になってしまった。
生きていれば今頃、何か大きなことを達成した人物だったに違いないと、今になって思う。
一ヶ月ほど前のことですが、私が夜道を歩いていたら、マンホールから中年のおじさんが顔を出していたのです。ぎょっとして、でも落ちたのだったら手助けしなくてはいけないだろうか、どうしよう、と思っていると、街灯に照らされたおじさんは、私に気づいてばつの悪そうな顔をして言ったのでした。
「あ、ごめんよ。なんでもないんだ。気にしないでくれ。こんな時間に人が通るとは思わなかったからさ」
よいしょと言いながらおじさんはマンホールから出て道路に立ち、マンホールのふたを閉じました。
そのそばを通るのは怖いなあと思いながら私が立ち止まって見ていると、おじさんは困ったように手を振りながら、なんでもないんだと繰り返しました。
「もういなくなるよ、うん。ちょっと太っちゃって、体に合わなくなったんだ」
私はまだ動かないでいました。
「ほら、ヤドカリ、知ってるだろ。あれみたいなもんでね。新しい貝を探すんだ」
何を言っているのだろう。別のマンホールにまた入るとでも言うのだろうか。
「あ、それじゃ。うん、ごめん、驚かせて」
おじさんは、とん、と地面を蹴り、飛び上がりました。そしてそのまま高く高く、星の間に消えていきました。
口を開けて空を見上げていた私の頭に、「貝=地球」という考えが浮かぶまでには、しばらく時間がかかりました。
それで私は今、気のせいかもしれないけれど、中身がなくなったこの星にいるのが、さみしくてならないのです。
なぜだったか忘れたが、俺と林田は学生時代にひどく仲が悪かった。同じクラスなので毎日顔を合わせなくてはならず、自然いざこざも絶えなかった。
何度目か忘れたいざこざがあった、その翌日。俺が休み時間に友達としゃべっていたら、いきなり頭がちくっとした。振り返ると林田が勝ち誇ったように笑いながら右手にわら人形をかかげ、
「今、お前の髪の毛を入れたぞ!」
と叫んだのだった。
「この野郎!」
俺は飛びかかってわら人形を奪い取った。早く髪の毛を出さなければ。わらをかきわけて探そうとした瞬間、俺の胸に激痛が走り、血がふきだした。
「キャーッ」
教室内は大混乱になった。
「バ、バカ野郎、そんなとこ開けたら致命傷になる」
林田は青ざめていた。
「俺はただ、お前に言うことを聞かせたいだけで」
「どうすりゃいいんだ」
俺は苦しい息の中から林田に聞いた。今はこいつに聞くしかない。それに青くなっている林田は、いつもよりは嫌なやつには見えなかった。
「もっとダメージの少ないところを開けて、髪の毛を取り出すしかない」
「ダメージ……」
俺は出血のためにおぼつかない手で、もう一度わら人形にふれようとした。それを林田の手が止めた。
「俺がやる」
「何」
「こうなったのは俺のせいだ。何を言っても言い訳になるが、こんなつもりじゃなかった。信じてくれ」
林田の目は真剣だった。俺は体の力が抜けるのを感じながら、床に横たわった。
「わかった、まかせる」
ようやく、それだけ言った。
「誰か! 保健室からメスとピンセットと消毒のアルコールを!」
林田の声が遠くに聞こえた。
わら人形から無事髪の毛が摘出され、手術は成功した。俺の体の傷も痛みもあとかたもなく消え、全ては元に戻った。
「ありがとう、林田」
「悪かった、あんなことをして」
「いいんだ。助けてくれたじゃないか」
俺たちは涙を流しながら固い握手を交わした。教室が歓声に満ちた。
横輪公園で売っているソフトクリームは信じられないくらいおいしいのだけど、カップの部分までソフトクリームなのでどんどん地面に落ちてしまう。落とすのもくやしいし、おいしいから一気に口に入れるようなこともあまりしたくないので、買うといつもくやしい思いをして、もう来ないぞと思うのだった。
それでもやっぱりたまに立ち寄ってしまう。お金を先に出し、「一つ!」と言いながら、両手を色々工夫した形にして出す。その後ろから、誰かが「一つ」と言いながらさりげなく片手を出した。
おやっと思った。ここのソフトのことを知らないのだろうか。ところが、私と同時に渡されたその人のソフトは、その人の手の中で普通のソフトクリームのように形を保っているのだった。
何度もここに来ている私には、その人の指の微妙な力の入れかげんが分かった。その手に持ったソフトを巧みになめながら歩み去ってゆく。すごい。こんな人がいたなんて。
「あの人……常連さん?」
「まあ、わりとよく来てくれるよ」
後ろ姿にみとれる私の手から、ソフトは全部こぼれ落ちてしまったけど、私は手をなめながら、明日も来よう、何度でも来ようと決意したのだった。
「まあ、その井戸で水をくむの?」
「ええ……あの、何か」
「その井戸ねえ、身投げがあったのよ」
「えっ……」
「ちょっとやめなさいよおどかすの。昔のことじゃないの」
「そうよそうよ。5年前でしょ?」
「違うわよ。4年前よ」
「3年前よ」
「2年前よ」
「1年前よ」
「今だあー!!」
ザバーン
みたいな怪談
もうどれくらいここにいるんだろう。最初はつらかった針の山にもすっかり慣れ、最近では他の亡者を追い抜く時などに、なんとなく会釈や挨拶をするのが習慣になっている。
「こんちわ……あっ」
「おう、久しぶりだ」
俺が地獄に来て間もない頃、色々と世話になった吉岡さんだった。
「ずいぶん顔見ませんでしたね」
「ああ、呼び出されたりしててな」
「呼び出しって、何かあったんですか」
「うん……」
登りながら話した。私語厳禁の地帯も多いが、針の山や釜ゆでの最中などはあまりやかましく言われることはない。
「実はな。俺……地獄から出てもいいと言われたんだよ」
「えっ!」
驚いた。地獄の刑は永遠のはずだ。
「上にいる女房と子供が、ずっと嘆願を続けてくれてるらしくてな……」
ああ、そうか。吉岡さんはきっと、奥さんと子供のために罪を重ねて地獄に落ちたんだ。俺なんかとはもともと違うんだ、この人は。
「なんだか、俺だけ行くのも悪い気がしてなあ……」
「何言ってんですか。来いって言ってるんだから行けばいいんですよ」
「うーん」
「地獄のバカはどうでもいいが、天国にいる人を悲しませちゃいけないでしょう」
「そうそう」
「その通り!」
いつの間にか後ろから追いついていた数人が、口々に言って笑った。
「行かなきゃ後悔するぜ」
「こんなやつらに気兼ねしてどうするんだよ」
そう言いながら亡者同士、腐ったような顔に指を刺し合い、血を流してふざけ合う。
「おーい、何笑ってるんだ!」
さすがに見かねたのか、監督の鬼が怒鳴った。
「いけね」
「まあとにかくな、行けよ、吉岡」
「そりゃ少しは寂しくなるけどな……」
「でも見りゃわかるだろ、元気でやってくさ」
「後のことは心配しないでくださいよ」
「……ありがとう」
吉岡さんが上に行ったのは、それからずいぶんたってからだった。
止まることなく動き続ける地獄も、その時だけは活動を停止して、亡者も鬼たちもただ、上から降りてきた蜘蛛の糸につかまり、上がってゆく吉岡さんを見守っていた。普段は見ることができない、上からの光が神々しい。もう、吉岡さんは遠い人だった。
「元気でな!」
誰かが叫んだ。
「バカ、むこうは天国だぞ」
みんながどっと笑った。吉岡さんも笑っている。笑いながら涙をこぼしていた。
蜘蛛の糸はするすると上がり、消えた。上からの光ももう届かない。
「さあ、再開だ!」
鬼が怒鳴った。
「さっきの時間分も責め苦を与えるからな!」
「えーっそんなのありかよ」
ブーイングを飛ばしながら、亡者たちはそれぞれの場所に散っていった。