山で遭難した俺たちはあまりに腹が減ったので、そこに生えていた毒々しい色のキノコを仕方なく食べることにした。
「……うまいな」
「うん」
「いっぱい生えてるし、もっと食っとこうか」
「そうだな。食べきれない分は持ってこう」
「いや、それはやめておこう。必要以上にキノコを取ったなんて、父上に知られたら困ることになる」
「……父上?」
「今まで黙っててごめん。実は俺、キノコ王国の王子だったんだ」
「おい……やっぱりこのキノコ、食うとやばいのか?」
「いや、大丈夫。キノコも王子の命を救うためだから、喜んで身を投げ出してくれる」
「そういう意味じゃなくて」
「もう俺、王国に帰らなきゃ。お前どうする? 一緒に来るか?」
 俺はしばらく考えた。こんなやつと一緒に歩くのは自殺行為ではないだろうか。しかし、今までいくら歩いてもこの山から出られなかったのだ。多少おかしくなってるやつの方が、正しい道を行ったりするかもしれない。俺は口の中にまだ残っている例のキノコを飲み下して言った。
「行くよ」
「そうか。歓迎するぜ」
「けど、俺は王国の人間じゃないのにキノコ食っちまった。いいのかな」
「気にするなって。俺の友達なんだから平気だよ」
「キノコ王国ってどんなとこなんだ」
「キノコのパラダイスさ。きっと気に入るぜ」
 話しながら歩いていると、車の音が聞こえてきた。しげみを抜けると、アスファルトの道路だった。
「おかしいな」
「どうした?」
「道間違えたみたいだ。戻ろう」
「おいおい、しっかりしろよ」
 後頭部を叩いてやった。相手が王子だと思うと、こういうふるまいをするのもちょっと気分がいい。早くキノコ王国に入りたいものだ。
 思わずポテトフライを口に入れたが、何の味もしなかった。飲みくだす感触もなく、待ちかねていた胃は何も迎えいれることはない。
(指でもしゃぶった方がまだましだ)
 最初から分かっていることなのに、それでも何度も繰り返してしまう。魔女は魔法で何でも出せるが、食べ物だけは別、いや、他の者ならそれを食べることができるが、魔法を使った本人だけは食べることはできないのだった。
 魔女は飢えていた。森の奥深くから出たことはない。人間の住むところになど行って、魔女だとわかれば殺されるだろう。魔法で何でも出すことができても、それは身を守る役に立ったことはなかった。
 もう一人魔女がいればなあ、と思う。そうすればお互い食べ物を出し合うことができるのに。無理な望みと分かっていても、こんな状況ではそれを願わずにいられない。
(お互い、今まで不幸だったね。これからはずっと仲良く暮らそうじゃないか)
 やっと出会えたもう一人の魔女に優しく声をかける場面を夢想して、はっと我に返った。目の前にさっきまでなかったグラタンが湯気をたてている。無意識のうちにまた魔法を使ってしまったのだ。
 ああ、いやだいやだ。魔女は自分の本当の食事にとりかかる。森で摘んだ野草をいためたものだ。皿にほんの少しのっているそれを、ゆっくりゆっくり食べる。おいしくもないが、とりあえず一息つく。
 目の前にはこれまで魔法で出したものが並んでいる。ビーフシチューが鼻の奥からのどまでふるわせるようなにおいをただよわせている。キラキラ光を放っているようなみずみずしいサラダ。お好みでどうぞといわんばかりに数種類のドレッシングの小皿がついている。ちょっと焦げ目のついたパンにはたっぷりとバターがぬられ、それに、ああ、あのチキンは。魔女は知らず知らずのうちに、うめき声をあげていた。
(以前より、魔法で出てくる食べ物がうまそうにみえる)
 ほとんど空になった皿をつつきながら考える。
(前より腹が減ってるからそう見えるのか、前より腹が減ってるから魔法がより力を持ったのか)
 どうでもいい。甘い香り。生クリームのにおいだ。腹が減った。腹が減った。
(肉が食べたいなあ)
 お菓子の家から食べ物はあふれそうだった。雑然と並ぶごちそうを横目に、魔女はなごりおしそうに皿をなめた。
 頭の中で音楽を聴きながら歩いていて、ふと通り道のコンビニに入ったらちょうどその音楽が流れていた、なんてことは昔から時々あるのだけど、今日のそれは少しおかしかった。
 だって知らない曲だったのだ。知らない曲が頭の中で流れて、通り道のコンビニに入ったら、ちょうどその曲が流れていた。
 声にも聞き覚えがなかったので、ぼくは必死になって歌詞を聞き、覚えようとした。少しでも手がかりをつかんでおかなくては。別に好きな曲でもない気がするが、このCDはどうしても買わなくてはならない。
 定期的に腎臓結石ができるので、年に一度くらいの割合で手術をしてもらっています。腎臓結石の手術は、最近では超音波で砕いたりして、切らなくてもいいことが多いそうですが、私の場合はいつも開腹手術です。
 麻酔からさめた私のところに、先生がやってきました。
「見る?」
「見ます」
 先生は透明な器に乗せた、直径2センチに少し欠けるくらいの金色の玉を私に見せました。
「前回よりは大きいね」
 先生はうなずきながら言いました。
 これが私の結石です。どういうわけか純金なのです。これをくれれば治療費をタダにすると先生が言い、ずっとそういうことになっています。損得のことはよくわかりません。少し得をしているのでしょうか。でも先生もきっと、私の体から金が生まれるメカニズムなんかを研究しているだろうし、いいんじゃないかと思います。
「これが出てくる時っていうのは、いいもんだよ。手術のライトでキラッと光ってね。宝を見つけたって感じなんだ」
「目がくらんで手元が狂うとか、やめてくださいよ」
「大丈夫。ほら、金の卵を産むがちょうは殺したらいけないっていうしさ」
 先生は楽しそうに笑います。私も笑いました。
 年に一度産まれるこの卵は、ただ治療費として支払われるだけです。私はそのほかのお金は払わなくていいけど、そもそもこれができなければ入院しなくたっていいので、別に得をしているわけではありません。先生も、なんだか楽しんでいるみたいだけど、仕事で手術をしているのだから、治療費を受け取るのは当たり前です。
 おかしな話だと思います。金の卵を産む私がここにいるのに、得をしている人は誰もいないみたいです。
「さあ、また来年だな。定期検査だと思って、気楽においで」
「はーい」
 まあこういうのもこれはこれで、別にいいんだけど。
 晴れの日は普通だ。雨の日は気分が沈む。でも、曇りの日はうれしくてならない。
 理由なんてないんだと思う。小さい頃からそうだったらしい。俺がやけにはしゃいで外をかけまわっている時、たいてい空は曇っていたそうだ。
 曇りにも色々ある。厚い雲がただ空をおおっている、そんなのはちょっとうれしいくらいのもんだ。けど太陽の形が透けて見えるような薄い雲だと、やったーと思ってつい意味もなく走り出してしまう。今にも降りそうで降らないなんてのもいい。思わず片手で鉄柱をつかんでぐるぐる回ってしまう。時々変な目で見られて恥ずかしいが、誰にだってがまんできないことくらいあると思う。

 しかし、今日は曇りの後、降り出してしまった。カサを開く。とぼとぼと歩いた。
 さっきまでの自分のはしゃぎ方が恥ずかしい。馬鹿だな。何やってるんだ。雨の音は嫌いだ。特にカサに当たる雨の音は、近くで聞こえるから一番嫌いだ。なんだか責められているようで、長い時間聞くとどす黒い疲労がたまる。早く終わってくれ。泣くような気分で祈りながら歩いた。

 雨がやんだ。にわか雨だったんだ! 雨がやんだ後の曇りももちろん大好きだ。胸に幸福感が押し寄せ、俺はカサを開いたまま振り回し、飛びはねた。
 三度ばかり跳ねたところで、太陽が顔を出した。俺は落ち着いてカサを閉じ、家への道をゆっくり歩きだした。
 食べ物の恨みはおそろしいと言いますけど、あれってたいてい、恨まれた方は忘れてしまってますよね。子供の頃の食べ物の記憶、半分に分けたけどむこうの方が多かったとか、そんなの相手が覚えてるわけないんですよ。けどこっちは覚えてる。それで大人になって、相手とそんな話をして、相手が笑って、
「いやあ食べ物の恨みはおそろしい」
 そういう言葉ですよね、これって。

 僕には妹がいるんです。二歳年下の。そんなに仲は悪くないけど、でも僕には、どうしても忘れられない記憶があるんです。
 真っ白くてふわふわのケーキなんですよ。それがテーブルに載ってたんです。小学校の頃でした。僕も妹も、それを見て思わず無言になりました。あんなおいしそうなケーキ、それまで見たことなかったし、それからだってありません。
「二人で分けて食べていいわよ」
 母親が言いました。妹とじゃんけんして、負けた僕が切りました。切らなかった方が先に選ぶことになってたから、必死でした。大げさでもなんでもなく、手が震えました。ほんとに真っ白くてふわふわでした。イチゴがのってました。今思い出しても口の中につばがたまります。
 慎重になりすぎたのかもしれませんね。はっきり大小が分かりました。妹は迷わず大きい方を取って、僕はしかたなく小さい方を食べました。
 あんなにおいしいケーキ、食べたことありませんでした。それからだってありません。僕は目を丸くしてむさぼり食べましたが、妹は食べようとした時、ちょうど電話がかかってきたんです。連絡網か何かだったかな。
 わかりますよね? 僕はやってしまいました。気づかれないところを少しだけ、と最初は思ってたんですが、いつの間にか妹の皿は空になってました。
 妹が戻ってきて、その後は大変でした。当たり前ですけど。あれは泣き声じゃなくて、絶叫でした。大騒動でしたよ。わりと平和な家庭でしたから、あんな騒ぎは最初で最後でしたね。

 あの味は今でも忘れられません。本当に、本当においしかった。
 けどね。恨まれる側の僕がこんなにもよく覚えているようなあの一件、妹の恨みは一体どれくらいのものなのか……。本人にはとても聞けないし、その話をしたこともないけど、忘れているということは100%ないと確信しています。自業自得ですが、ほんと、怖くてしょうがないんですよ。
 道ばたに小さなボールが落ちていた。
 スーパーボールだ。なつかしいな。昔いくつか持ってたっけ。拾ってながめた。色あせているような、むらのあるぼんやりとした赤茶色。ぼくが昔持っていたのは、どれもこれもカラフルなマーブル模様だった。ああいう派手なのが好きだった。どこにしまったっけな。
 力をこめて、地面にたたきつけた。勢いよくはねかえってくるのをつかむ。一瞬視界が揺れた。気がついた時、ぼくはボールを握ったまま10メートルくらいの高さまで飛び上がっていて、もう何もかも分からなくなる直前、「死因 スーパーボール」という言葉だけが頭に浮かんだ。
 ぼくのお父さんはこのサーカスの団長で、お母さんは昔ここの花形スターだったのだそうだ。お父さんもお母さんも、昔のことをあまり話してくれないので、ぼくはその頃の二人の話を、池田さんに聞くことにしている。
 池田さんはピエロの役だ。池田さんのピエロはとてもすごい。お客さんがわあわあ笑ってすごい拍手をする。ぼくは池田さんみたいなピエロになりたいのだ。
 池田さんはぼくがせがむと、お父さんとお母さんの昔の話をしてくれる。二人が恋に落ちる話だ。池田さんはキューピッドの役だったのだ。
「まあ、最初からあの二人はお似合いだったからね」
 その日、ぼくはいつもよりしつこく、たくさん昔の話をせがんだ。池田さんもたくさん、二人の恋のエピソードを話してくれた。
「でも池田さん、どうしてそんなに色々知ってるの?」
「そりゃあ」
 池田さんはちょっと黙ってから、へへへと笑った。
「俺はきみのお母さんのことが好きだったんだ。でもあの人は団長のことが好きだったし、あの二人はお似合いだったからなあ」
 だから池田さんは、二人の恋を応援したのだ。池田さんはかっこいいと思う。
 そしてぼくは池田さんがいつ、「とんだピエロだね」と言うかと、まっていたのだけど、池田さんはとうとうそれを言わなかったのだ。
「もしあなたの羊のうち一匹がいなくなったら、あなたは残りの羊を置いて、その一匹をどこまでも探しにゆくでしょう。そして見つかったら大喜びで連れ帰り、『いなくなっていた羊が見つかりました。みんな一緒に喜んでください』と言うでしょう。神の愛とはそのようなものなのです」
「はあ……いえ、私は羊飼ったことないからちょっとわかりませんが」
「もしあなたのジグソーパズルが一ピース足りなかったら、あなたはできかけのパズルを置いて、その一ピースをどこまでも探しにゆくでしょう。そして見つかったら大喜びで持ち帰り、『ついにパズルが完成しました。みんな一緒に喜んでください』と言うでしょう。神の愛とはそのようなものなのです」
「気持ちはとてもわかるけどそんな神は嫌だな」
 あたしは蛇として生まれたけど、怨念によって妖怪となり、もう二百年生きているの。人間の女の姿にもなっていられるけど、でも眠る時はやっぱりとぐろを巻きたいわね。これはポリシーなのよ。

 そう言って部屋のすみに行った女は、たちまち姿を変えて一匹の大きな蛇になり、言葉通りにとぐろを巻いた。
 こんな性格のやつが、妖怪になったり二百年生きたりしながら抱えている怨念とは一体なんだろう。世の中には、まだまだわからないことがあるものだ。