駅前のコンビニの横の道を入ってしばらく歩くと、道の左右の建物が急に小さく汚くなり、その中に「めしぐるま」という定食屋がある。
 昼時でもいつもすいている。味だってそんなによくもない。しかし、安くも高くもない値段が並ぶメニューの一番下に、ちょっと目を引く一行がある。
「プリン 三千円」
 ぼくが初めてここに入ったのは中学生の時だったから、気にはなったけどさすがに注文する勇気はなかった。たしかその時はメニューをちらちら見ながら、全然うまくないオムライスを食べたのだった。そんなことはすぐ忘れるかと思っていたけど、それから数ヶ月後、お年玉をもらった時に、一番に思い浮かべたのはあのメニューだった。
「えーと……プリン」
 三が日が終わってすぐに行ってみた「めしぐるま」には、あいかわらず客はいなかった。もともと店員もいない。どう見てもプリンなんて顔ではないはげた店主が、一人で注文を取り、料理を作っていた。
「はい、プリンですね」
 ぼそぼそと注文の確認をして、店主は冷蔵庫からプリンが入っているらしい容器を出した。細い金串をそれに刺し、くるりと一回転させて皿にひっくり返した。
「お待たせしました」
 本当にプリンだけだった。他には何もない。高さが五センチ、上の円の直径が三センチ、下の円の直径が四センチというところだろうか。小さいなあ、とぼくは思い、値段のことを考えてゆっくり食べようと、ほんの少しだけスプーンに盛って口に入れた。
 スプーンを口に入れたまま、動かせなかった。舌も動かせなかった。へたなことをしたら今味わった幸せがこわれるような気がしたのだ。おいしい、などという言葉では言い表せなかったが、おいしい、という言葉そのものだった。口の中のプリンがふれた場所から、優しい甘みが手足の先まで広がってゆく。顔が勝手に笑い始める。頭の中で数万人が「おいしい」「おいしー」「おいしーいー」と大合唱を始めたようだった。
「三千円になります」
 ぼくは余韻を消さないよう、そっと静かに歩いて帰った。
 そうたびたびは行けないけど、それからぼくはつらいことがあると「めしぐるま」に寄るようになった。友達に誤解された時、部活がうまくいかなかった時、両親がたびたび不毛な言い争いをしていた時、失恋した時、大学受験に失敗して浪人したけどちっとも勉強する気になれなかった時。「めしぐるま」のプリンは幸せの味だった。本当においしい。おいしさが、ちぢこまっている心をまたやわらかく広げてくれるようだった。何があってもここのプリンを食べれば元気になれた。

 サイフをのぞいた。別につらいことがあったわけではないけど、その日はなんとなくあのプリンを食べたい気持ちだった。
「ま、いいか」
 サイフの中身はあまりよくもなかった。しかしとりあえず三千円はあった。
「いらっしゃいませ」
 店主の低い声が出迎える。座ってプリンを注文した。冷蔵庫を開けている店主から目を離し、ふと前の壁を見た。貼り紙があった。
「当店は今月末をもちまして閉店させていただきます。これまでご愛顧いただきありがとうございました」
 呆然とした。プリンを持ってきた店主に話しかけた。店主に話しかけるのは、多分これが初めてだった。
「やめちゃうの、この店」
「はい」
 ぼくはスプーンを握り、しばらく途方にくれていた。
「今までありがとうございました」
「あ、いや。こちらこそ……」
「お客さん、いつもほんとにうまそうに食べてくれましたね」
 プリンを少しすくい、食べた。血が巡るよりも早く、体中に幸せが広がってゆく。
「だってほんとにうまいんだもん」
「ありがとうございました。嬉しかったですよ」
 口の中にこの味があれば、世界中が幸せに満ちているように思えた。これをもう、食べられなくなるのか。
 一口ごとに思い出した。友達に誤解された時、部活がうまくいかなかった時、両親がたびたび不毛な言い争いをしていた時、失恋した時、大学受験に失敗して浪人したけどちっとも勉強する気になれなかった時のこと。そして、そのたびにここのプリンを食べたこと。この味だった。この味に何かの力をもらって、あの中に戻った。いつしか、苦しいことは過ぎ去っていった。そんなことが、全部いっぺんに脳裏によみがえった。
「ほんとにおいしいよ。世界一の味だよ」
 自分の声が震えていることに気づき、次の一口を少し多めに食べた。顔が自然に笑い始める。のどの奥にせり上がってきた涙のかたまりも、おいしさに溶かされて幸せといっしょに、体の中に広がっていった。
 ぶよぶよした人が駆け込み乗車してきた。電車内は混んでいたので、扉のそばに立っていた私はぶよぶよした人のぶよぶよに押しつけられる形になった。ぶよぶよした人は縦にも横にも大きかったので、私はすっかりぶよぶよに包まれてしまった。
 ぶよぶよが吸いつくようだった。つきたてのおもちの感触だ。五分もすると私はひどく疲れてきて、座りこみたいような気分になった。ぶよぶよに包まれているから気分が悪くなったに違いない、次の駅で場所を移動しなければ、と考えていたが、途中からどうもこれはただごとではないと思い始めた。
 ぶよぶよが私の生気を吸い取っている。そうとしか思えなかった。ただの疲れではない、自分がひからびてゆくような疲れなのだ。このままではまずい。誰かに助けを求めよう、と一瞬考えたが、しかし「ぶよぶよに生気を吸い取られています」などと大声をあげても誰も信じてはくれないだろう。自分で何とかするしかないのだ。そうだ。まず落ち着こう。呼吸を整え、腹の下の方に意識を集中し、力を入れる。よし、と思った。それだけで、吸い取られる感覚がなくなったのだ。
 しかしこれだけでは不十分だ。私は目を閉じ、腹に力を入れたまま、生気が自分の中へ中へと入ってくる状態をイメージした。むしろぶよぶよから生気を吸い取ってやる。効果はてきめんだった。私はたちまちぶよぶよが乗ってくる前よりも元気になり、ぶよぶよは次の駅で、おびえたような視線でちらっと私を見て、逃げるように駆け去っていった。
 勝った。気力が充実しているのと満足感とで、私はいい気分で深呼吸した。おやと思った。呼吸する時のおなかの動きが、いつもと違うように思えたのだ。そっとさわってみると、おなかの肉はいつもと比べて、やたらとやわらかく湿っていた。まるでつきたてのおもちのようだった。
 落とし穴に落ちた。穴は俺の身長より深く、俺が大の字で寝ても少し余裕があるくらい大きかった。俺を狙って落としたわけではないだろう。誰でもいいから落とそうとして掘られたのだ。
 出ようと思えばすぐ出ることができたが、俺は穴の底で寝ていた。出たらきっと掘った奴らがいて、俺のことを笑うだろう。そんな目にはあいたくない。出ないでいれば心配するはずだ。そっとのぞくと俺が寝ている。「救急車を呼ばなくては」「こんなことになるなんて」「ちょっとしたいたずらのつもりだったのに」。連中は後悔するだろう。その方がいい。
 しばらく寝ていたが、何も起こらなかった。掘っただけで帰ってしまったのだろうか。そうだとしても出た瞬間に誰かが通りがかるかもしれない。もう意地でも誰かに見つかるまで出ないぞ、と考えながら、俺は薄目を開けて上を見た。誰もいない。空があるだけだ。穴の底から見る空は、普段見ている空とはまた違った雄大さがあった。自分の小ささが恥ずかしくなり、俺は念のためにもうしばらく寝てから穴の外に出た。誰もいなかった。ほっとした。穴の中に唾を吐いてから帰った。
 僕はクタビラのおとぎ話の翻訳をしている。クタビラは世界史にほんのわずかな期間だけ登場した国だ。クタビラ語は文法は簡単だが、クタビラ人の文化や風習などは現代とはだいぶ違うため、読み解くのはかなり大変な作業だ。

『プムーという名の若者がいました。プムーは死にました。しかし葬式で木につるされている時(訳者注・クタビラの葬式では死者は首に縄をかけて木につるしておく)、生き返ったので、「生きているぞ!」と叫ぼうとしましたが、首に縄がくいこんで、死にました。
 葬式に来た人々が、「死者の肉はうまそうだ」を歌い(訳者注・クタビラの葬式でもっとも多く歌われる歌の一つ。故人の肉がうまそうだが、すばらしい人だったので我慢しますという内容)、一人一人プムーにさわりながらよだれをたらしていると(訳者注・よだれは自然に出るわけではなく、この歌を使った葬式での礼儀)、プムーはまた生き返り、「生きているぞ!」と叫ぼうとしましたが、首に縄がくいこんで、死にました。
 最初の時も今度も、プムーの体が動いたのを見た者は何人かいました。けれどそれを言うわけにはいかないので(訳者注・クタビラの葬式では決められた歌以外口にしてはならない)、彼らは歌を早く歌い、葬式を早く終わらせてプムーを下ろしてやろうとしました(訳者注・歌を歌い終わるまで葬式は終わらない)。
 しばらくしてプムーはまた生き返りましたが、首に縄がくいこんで、死にました。今度はたくさんの人が動くのを見たので、みんなは歌をどんどん早く歌い、どんどん早く動きました(訳者注・葬式の歌はそれぞれ振り付けが決まっている)。あまりに早くて、老人たちは苦しみましたが、プムーがまた生き返り、首に縄がくいこんで、死んだので、みんなはがまんして、助け合いながら、いっしょうけんめい早く歌いました。
 やっと葬式が終わったので、プムーは木から下ろされました。手当てをしましたが、プムーは死んだままでした。「プムーが死んだ」「プムーが死んだ」とみんなはたいそう嘆き悲しみました。そしてプムーを木につるし、葬式を始めました。みんなとても疲れていたので、今度はゆっくり歌いました。(取材 モノセ記者)』

 あ。これはニュースだった。こんなこともあるのでこの作業は大変なのだ。
 ガムを口に入れたとたん、見知らぬ老婆が現れた。
「呪いをかけたぞ! そのガムを捨てたり飲みこんだりすればお前は死ぬ! 口の中のガムはいつかすり減り、なくなる。それまでおびえながら暮らすがいい!」
 勝ち誇ったようにしゃがれた声で笑い、老婆は理由も告げずに立ち去った。

 僕はガムをきちんと紙に包み、大切に机の中にしまいこんだ。
 何の理由もなく、眠る方法を忘れてしまった。それまで当たり前のようにできていたのにできなくなった。眠くて死にそうになっても眠れない。眠らせないという拷問があるそうだけど、それはきっとこういうものなのだろう。
 私は眠る代わりに気絶することにした。幸い私の神経は繊細で、これまでにもちょっとしたことで気絶したことが何度もある。そしてなにより、自分でおそろしいことを想像して気絶したこともあった。それを試してみることにしたのだ。
「信じられない……夫が浮気を?」
 大成功だった。私は気絶して朝まで眠った。しかし普通に眠る方法は思い出せないままだった。私はやむを得ず、次の日もまた次の日も気絶した。
「えっ……夫の乗った飛行機が消息不明?」
 すがすがしい目覚めだった。
「あなた! 足に毒蛇が!」
 むしろ以前より規則正しい生活になっていった。
「(銃声)離してください! 夫があの中に!」
 私は気絶するための想像にたいてい夫を使い、夫はしじゅうひどい目にあっていた。別に良心のとがめは感じない。そもそも私は結婚していないからだ。眠るための想像の中にしか、夫は存在していなかった。

「美里ちゃん、あなたお見合いする気ない?」
 叔母が突然言い出した。
「ありません」
「あら冷たい。あのねえ、この方は絶対気に入るわよ。美里ちゃんの趣味はわかってるんだから」
 そう言われると興味が出た。叔母が「美里ちゃんはだれだれが好きでしょう」などと芸能人の名を挙げると、それはたいてい当たっていたのだ。
「ほら、この方よ」
 写真を見せられ、顔を見て条件反射で気絶した。やはり叔母の目はたいしたものだ。写真の男は毎晩のように死んでいる、私の夫にそっくりだった。残念でならないが、とても会うわけにはいかない。
 私はその写真をもらった。それ以来わざわざ想像しなくても、写真を見ればすぐ気絶できるようになった。昔に比べれば便利になったものだと思う。眠る方法はいまだに思い出せない。
 外と遮断されたピラミッドの中で、俺たちは二人きりでファラオを守っている。いつも退屈しているが、ひとりぼっちでいるよりはだいぶましなのだろう、これでも。
「ファラオはいつ目覚めるんだろうなあ」
「さあ……。暇だなあ」
「そうだな。……あーあ。八十年前は楽しかったな」
 相方はそう言って、壁に刻んだ日付を確認しながらちょっと懐かしそうにした。俺は笑った。
「俺にとっては最悪の毎日だったぜ」
「そりゃそうだろうな」
 相方も笑った。考えてみれば不思議なものだ。今ここで多分似たようなことを考えて同じように座っている二人のミイラが、八十年前には同じピラミッドの中で全く逆のことを考えていたというわけだ。
「俺のこと、まだ恨んでるか?」
 相方が少し気がかりそうにたずねた。
「まさか。八十年だぞ」
「そうか」
「自分から来たわけだしさ」
「それはそうだけど」
 俺は八十年前はまだ普通の人間で、ここには盗掘に来たのだった。ピラミッドの財宝はほとんど盗られていたが、偶然隠し通路を見つけてここに入り、だがここはファラオが眠る部屋で、俺はファラオを守るミイラに絞め殺された。
 気がつくと、なぜか自分までがミイラになっていた。俺を絞め殺したミイラが嬉しそうに言った。
「これからはともにファラオを守ろう。それから、外の話も聞かせてくれよ」
 何かの呪いがかかっているのか、ここから出ることはできなかった。何度もあがき、俺は少しずつあきらめた。ま、ここは涼しいし、相方もいいやつだ。
「おい。何か外の面白い話、ないのか」
「もう全部話したよ」
「そうだよなあ。八十年だもんなあ」
 今はもう、二人同じようにだらだらと退屈な日々を過ごしている。
「なあ、今度誰か来て仲間が増えたらさ」
 相方がふと言った。
「うん」
「その時は、二人で喜べるな」
 相方はくつくつ笑っていた。必死にここから出ようとして、相方がどう話しかけてもいつも怒りの言葉で返していた、あの頃の俺のことを思い出しているのだろう。俺もなんだかおかしくなって笑った。
「けど、来たやつはやっぱり嫌がって怒るんだろうな」
「ああ、そうか。ははは」
 二人で笑った。もう慣れたつもりだったけど、ここで笑うとやはり声がよく響く、と思った。
 やわらかいやわらかいベッドにぼくは横になり、どこまでも沈んでいった。もう何も考えずにどんどん沈んでいたら、いきなりやわらかくないものにぶつかった。人だった。ぼくの前に沈んだ人だ、と気づいて急にこわくなったが、でもベッドはやわらかくやわらかく、ぼくはその人よりももっと下に沈んでいくのだった。
 朝に鼻をしぼっても、夜になるともう鼻がうずく。放っておくと鼻の色が変わってしまうので、残業の日にはその前にしぼらなくてはいけない。
 鼻の化粧を落としてトイレの個室に入る。家でやる時は鏡を見ながらだけど、鏡が必要というわけでもない。鼻の上から下から、ぎゅっぎゅっと水分を集めるようにしぼってゆく。鼻の先の毛穴からどろどろと緑色のものが出てくる。こぼさないようにビンで受け、ふたをした。
 個室から出て鏡で鼻をチェックした。拭いたから緑色はなくなっているけど、やっぱり広がった毛穴は目立つ。化粧でもあまり隠せない。まあ、こんなことやってるからだなんて、誰も思わないだろうけど。

 ひまな休日、私は緑色のものをためたビンを持って病院に出かけた。
「わざわざすみません」
 鈴木先生は恐縮しているようだった。
「こちらから取りにうかがうのに」
「いえ、近くまで寄ったものですから」
 ビンを渡すと、鈴木先生はまるでおしいただくようにして受け取った。
 鈴木先生はなんとかという難病の研究をしている。半年くらい前に私の家に来て、その鼻から出るものをくれないかと言った。その難病によく効くのだそうだ。
「効くって……なんでわかるんですか」
「病院でその鼻の症状のことを相談されたでしょう? その時の医師が僕の同僚でして、それでまあ、色々と」
 たしかに病院には行った。緑色のものが出るのをなんとかしたくて、けれど原因不明と言われてあきらめたのだ。やはり珍しくて医師の間で話題になったのだろうか……いや、別にそれはいいけど、なぜ病気の治療に使おうなどと考えたのだろう。
「ゆきづまってると何でも試したくなるものです。いや、もちろんいきなり患者さんに投与したりはしてませんが」
 しかし確実に効果はあると鈴木先生は熱心に語った。
「別にかまいませんけど……。何かに入れてとっとけばいいんですよね」
「はい! ありがとうございます!」
 それから鈴木先生は時々私の家に来て、あれを持っていくようになった。私も時々病院に行った。
「患者さん、見ていきます?」
「はあ……ちょっとだけ」
 あんなものを投与されているという患者さんのことは、やはり気になっていた。鈴木先生は事情は言ってないそうだし、話すこともないので会う気にはなれなかったが、病院に来るたびにちょっとだけ様子を見る。鈴木先生が病室に入っていく、そのドアの隙間から中をのぞくのだ。
 患者さんはユウタくんという六歳の男の子だ。年よりもっと小さく見えて、とてもやせていて顔は老人のようにしわだらけで、でも久しぶりに見たユウタくんは、前よりも元気そうだった。きっとあれが効いているのだ。
 私は昔から見舞いが苦手だ。たいしたことない症状でも、病院のベッドで寝ている人を見ると胸がつまって泣きたくなる。ましてやあんな小さい子が。
 家に帰ると、おさえていた涙がいっぺんに出てきた。私は声をあげて泣き、勢いよく鼻をかもうとして、気をつけてそっとかんだ。
「あーいやだいやだ。カップルが気にさわって仕事も手につかない」
「警部! からしまランドで殺人事件です!」
「からしまランドだと? ふーん、あのカップルだらけの遊園地でねえ」
「警部、カップルにこだわるのはやめてください」
「殺されたのは二十二歳の女か……一人で来てたのか?」
「いえ、交際中の男と」
「じゃあそいつが犯人だ」
「警部!」

「とぼけるな! どうせお前みたいなやつは他の女と二股かけて、それがバレて怒った彼女が邪魔になったんだろう!」
「そ、そんな。違います、僕は彼女と真剣に」
「それじゃなんでカップルで来ていたくせに彼女が一人で殺されたんだ!」
「ちょっとケンカして離れてたんですよ」
「ケンカだと! わかったぞ、その時に二股がバレたんだな! この野郎!」
「違います違います! 苦しい!」
「警部、落ち着いてください」
「彼女はトイレで殺されていた。状況から見て殺されたのは二時半から三時頃! その間、お前はどこにいた!」
「え、ええと……あ、その時間なら迷路にいました」
「迷路?」
「は、はい。すごく難しい迷路なんです。二時頃に入って……出たのは三時半頃でした」
「バカにするのもいいかげんにしろ! お前みたいにすぐカップル成立させるやつは、いつもそうやって他人を見下し」
「警部、落ち着いてください! 彼が二時頃に入ったのは本当です!」
「何い……」
「からしまランドの大迷路は入る時に写真を撮るんです。確かに二時五分、彼は迷路に入ってます」
「出た時間も正しいのか」
「いえ、出口では希望者しか写真撮らないのでわかりません。でも、からしまランドの大迷路は難しいので有名です。たいていの挑戦者が一時間はかかります」
「この野郎! 自分の恋人を殺すのにアリバイ工作なんかしやがって!」
「く、苦しい」
「警部、やめてください」
「わかったぞ! 事前に入って道順を覚えていたな!」
「警部、それは無理です。あの大迷路は週に一度道順が変わります。あの日はちょうど変わった日でした」
「同じ日、午前中とかに入ったんだろう!」
「警部、彼は一回しか迷路に入っていません。入り口で撮る写真はチェックしました」
「むうう……」
「だから、僕は犯人ではないと……」
「いいや! お前が犯人に決まってる! おい、その迷路、早ければどれくらいで出られるんだ」
「三十分以内に出られれば賞品があるそうです。でもめったにいないとか……。入り口で撮る写真はその時間チェックのためでもあるそうです」
「三十分以内で賞品! それだ!」
「!?」
「お前は一回しか入ってないが、彼女はその前に入っているはずだ! お前は彼女にこう頼む、『賞品欲しいんだよ。地図書いといてくれよ』彼女は笑って『もう、子供みたーい』この野郎!」
「いてててて、すいませんすいません」

「あーいやだいやだ。カップルが気にさわって仕事も手につかない」
「また警部のおかげでスピード解決したんだって?」
「まったくすごいね、あの人は」