あの頃の私は世の中の何もかもが大嫌いでした。だから道でつまづいて転んだその時も、ひどい不幸に襲われたような気分で、自分の足を引っかけたものに目をやった、ような気がします。昔の気持ちを思い出すのは難しいから、あまり確かなことではないのだけど。
 それは石でもくぼみでもありませんでした。地面にしいたレジャーシートのはじが丸まって浮いているような、そういうものに私はつまづいたのでした。けれどそこは道ですから、当然レジャーシートなどはないのです。アスファルトの道路が、アスファルトの道路なのに、そこだけぺろっと皮がむけるようにめくれあがっていたのです。
 私は変に思ってそれにさわりました。薄い皮でした。皮の表はアスファルトの道路の手触りなのに、裏は真っ白でつるつるしていました。皮の下にあるのはやはりアスファルトの地面でした。けれど、皮の下の地面はなんだかきれいなのです。上の地面はくすんでいるような気がしました。
 私は、思いきって皮をひっぱってみました。皮はびーっとむけました。面白いようにむけました。下からどんどんときれいな地面が出てきます。私はうれしくなりました。どんどんむいてしまおう。どんどん。どんどん。世界中の皮を。

 私の皮むきを見た人がみんなで手伝ってくれて、世界の皮は大体きれいにむけました。世界は本当にきれいになり、私も楽しく暮らしています。
 ただ一つだけ、時々頭に浮かんでは少し悲しくなる記憶があります。みんなで皮むきをしていたあの時、誰かが私の足下の皮を勢いよくむきました。するとざあっと世界が変わった気がして、ふと気がつくと私はすっきりした気分でそこに立っていました。そしてそのすぐ目の前で、なんだか薄汚いぺらぺらした私が薄汚い顔で泣きながら、皮と一緒に捨てられていったのでした。
 俺の家の近くに、誰も通らないような小道がある。少し近道になるからたまにそこを通るんだが、他に誰かいるのを見たことがない。
 ところが、そこにどういうわけか古いたばこの自販機があるんだ。最初はこわれてるのかと思ってた。金を入れてもただ戻ってくるだけだったからね。
 あれはたしか4年くらい前だった。真夜中に俺はそこを通って、おやと思った。ずいぶん薄暗くて心細いものだったが、その自販機に灯りがついていたからだ。こわれているはずだし、そうでなくてもこの時間には自販機でたばこは買えない。不思議に思いながら試しに金を入れてみたら、買えたんだよ。妙なことにね。
 出てきたたばこを思わず確かめた。なんか怖かったからさ、真夜中だけ買えるなんて。でも普通のたばこだった。俺は1本取って、その場で火をつけた。普通のたばこだった。まあいいか、と思いながら煙を吐いたその時だよ。
 その煙がわあっと変なふうに固まって、化け物の顔の形になった。うん、化け物。昔の絵の、鬼の絵とか妖怪の絵とか、そんなのに似たやつさ。それが自販機の弱い灯りに照らされて、こっちをギロッとにらんだんだ。驚いたなあ。腰が抜けるかと思った。
 けどそれは一瞬だった。煙のように消えてしまった。ようにじゃなくて、実際煙なんだけどさ。だから、目の錯覚かなと思った。家に帰っておそるおそる、次の1本に火をつけてみたけど、何も起こらない。あの自販機の灯りの前じゃなきゃ出てこないのかもしれない、と思って、もうだいぶ怖くなくなってたからさ、わざわざまた例の小道に行って、次の1本にそこで火をつけてみたりしたけど、やっぱり何も起こらなかった。
 買った直後の1本目じゃなきゃだめなのかもしれないと思った。それからしばらくたって、俺はわざわざ真夜中に出かけてそこでたばこを買った。ばかばかしいと思いながらもちょっとわくわくして、火をつけて、吸って吐いた。
 出たんだよ。前と同じやつさ。化け物の、首から上だけ。やっぱり一瞬だった。ギロッと俺をにらんで消えた。

 しばらくはたばこはそこで買うようにしてたけど、毎回にらまれるだけで終わりだし、さすがにだんだん飽きてきた。よそでも買って、まあたまにそこでも買う、そんな感じになった。化け物は何の変わりもなかった。何か訴えたいことがありそうなわけでもなく、にらむけど怒っている感じでもなく、何なんだろうなあとは思ったけど、だんだんそれも気にならなくなった。
 けど最近になって、謎が解ける日が来た。別に解こうともしてなかったんだけど。
 夜中にたばこが切れたから、俺はあの小道に行った。買えばとりあえずそこで火をつける。家でつけると化け物はなぜか出ないんだ。
 いつものように煙は化け物の顔になった。ところがその日は消えなかった。それどころか全身が現れてはっきりと固まり、地面に降りた。
「よう」
「……おう」
 見慣れていたせいかな。あまり怖くはなかった。
「今までありがとうよ。だが、今日で最後だ」
「へえ? どうして」
「うん。それはだな」
 化け物は大きな鼻の横をごりごりとかいた。
「百物語というのを知っているか?」
「ああ。怖い話してくやつだろ」
「そうだ。火をつけたロウソクを百本立てて、一つ怖い話をするごとに火を一つ吹き消してゆく。百本のロウソクの火が全部消えた時、化け物が現れる、というやつさ」
「それがどうしたんだ」
「発想の転換というやつでな。おれは逆をやってみようと思った」
「逆……?」
「火をつけるごとに化け物が現れるというのはどうだろう、と思ったんだ。で、それが百本目というわけさ」
 俺はあきれて煙を吐いた。たばこを吸うと何も話さなくても間が持つからいい、というが、その通りだなと思った。
「さて」
 化け物は首を傾げ、困ったような顔をした。
「これからどうするかな。怖い話でもしようか」

 二人でたいして怖くもない怪談を1つずつ話した。俺は家に帰って、もう一本たばこを吸った。それで終わりさ。さまにならない話だったね?
「見ろよ、たまねぎ老人だ」
 吐き捨てるようなささやきに振り返ってみると、にこにこしたとても小さな老人が道を横切ってゆくところだった。
「いやなことがあるたびに過去を捨てて、あんなに小さくなったんだぜ。あ、ほら、また捨てた」
 老人は服を脱ぐように体から何かをはぎとって、丸めてぽいと道に捨てた。また晴れ晴れとした顔で歩いてゆく。
 なんとなく、いやな気持ちになった。誰か同じようにいやな気持ちになったのだろうか、老人めがけて石が飛んでいった。石は老人に当たり、老人の頭から血が流れた。
 あたりがしんとなった。
 すると老人はまた一枚過去をはぎ取って、丸めてぽいと捨てた。頭の傷ももうなくなって、老人はにこにこと歩いていった。
 あの家の前を通るたびにカレーのにおいがする。いつ通ってもカレーのにおいがする。ただのカレーのにおいじゃない。すごくうまそうなカレーのにおいだ。
「貧乏だった頃にはよく飯だけ炊いて、あの家の前で食べたもんだ」
 どこかで聞いたようなエピソードの持ち主が、この町にはたくさんいる。
 あの家に住んでいるのは多分八十歳は越えてるだろうじいさんで、カレーのにおいが始まったのはもうずっと昔のことだ。
「三十年くらい前に越してきたらしいよ。それで翌日からもう始まったんだって」
「へええ」
「カレーって煮込めば煮込むほどおいしいって言うじゃん」
「うん」
「あれは多分、五十年くらい煮込んでるね」
「いやいや、多分七十年くらい……親から受け継いでさ」
 そんなことを冗談で言い合いながらも、心の中では全然冗談とは思っていないくらい、あのカレーのにおいはすばらしい。たまらない。
 あの家に住むじいさんは頑固で偏屈で、誰にも心を開かない。ずっとこの町に住んでいるのに、じいさんの声を聞いたことのある人間すら少ない。
「あ、こんにちは」
 挨拶すると、嫌そうな顔でちらっと見る。
「いい天気ですね」
 フンと鼻を鳴らして去ってゆく。
 それでもこの町の人々は、じいさんに笑顔で話しかけるのをやめない。偏屈だが、根はいい人なのだということになっている。みんながじいさんのことを愛していて、じいさんが三日も姿を見せないとなると、たちまち心配して相談が始まる。
「ドアを破って中の様子を見た方がいいんじゃないか」
 そんな時の町の人々の目は何かの期待で輝いているが、それはしかたのないことだと思う。
「あんたはいつもいい位置にいるねって、よく言われるんだ」
 あの時、珍しくたくさん飲んでいた可奈子はそう言った。
「いい位置?」
「おいしい立ち位置だって。やっかいなことには巻き込まれないで、いいことには参加してる、みたいな」
「あー」
 私は思わずうなずいてしまった。たしかに可奈子はそういうところがある。
「うらやましいとか言われちゃった。たしかに自分でも、いつもいい位置にいるなあとは思うけど。なんか自然にそういうとこ行っちゃうの」
「いいことじゃん」
「うん。でもね、いい位置にいるってすごく寂しいんだよ」

 可奈子が行方不明になったと聞いたのはそれからまもなくのことだった。気にはしたが、それほど心配したわけではなかった。可奈子と私は特別親しいわけでもなく、というより、いつもいい位置にいた可奈子には、特別親しい友人なんていなかったのかもしれない。
 けれど、もう忘れかけていた頃になって、私は可奈子を見た。そしてあの時可奈子が言っていたことを、わけのわからない納得とともに思い出した。雨上がりの空に見たこともないほどくっきりとした虹が浮かんでいて、可奈子はその虹に、まるで絵本みたいに腰かけていたのだ。
 二人の友人から別々に誕生日プレゼントが届いた。
 一つを開けてみて、おやと思った。カードが入っていたが、「誕生日おめでとう」という字が変なところで切れている。もう一つを開けてみると、やはり変なところで切れたカードが入っていた。二つを合わせると、ちゃんとした一枚のバースデーカードになった。
「へえ」
 カードだけではなかった。箱の中には半分ずつに切れた図面と、なんだかわからない部品がそれぞれいくつか入っていた。組み立てろということらしい。いいね。俺はこういうのは大好きだ。あいつらも、そのことがわかってるからこんな手のこんだことをしたのだろう。
「ようし、やってやる。なんだ簡単じゃないか」
 すいすいと組み立て、もう完成というところではっと我に返った。危なかった。どう見ても爆発物だ。くそ。
 海をずっと行くと世界の果てがあって、海の水が滝になって落ちている、とじいちゃんは言っていた。それは誰もが知っていることだったけど、じいちゃんはそれを見たと言ったので、みんなはじいちゃんをほらふき呼ばわりして笑ったのだ。
「世界の果てを見ようと思ってな。わしは小さなボートで海へ出たんだ……」
 人にたくさん笑われて、じいちゃんはあまりその話をしなくなったけど、ぼくがせがんだ時だけは、なつかしそうに目を細めて話してくれた。
 ぼくはじいちゃんの話が大好きだった。世界の果てまでの大冒険。沖へ沖へとボートをこぐと、次第に波が高くなる。嵐が来た。暗い中の雷鳴。ボートがおそろしく高く跳ね、また海面に落ちる。激しい衝撃。ボートは不思議にひっくり返らない。ひっくり返ることはないのだと信じてひたすらしがみつく。まわり全てが、何か自分の考えの及ばぬほど大きなものの手のように思える。もうやめてくれ。助けてくれ。嵐は少しずつおさまる。そこへ紫色の巨大なタコが……。
 ぼくはいつも、身じろぎもしないで聞いていた。何度聞いても飽きなかった。そして長い冒険の末、じいちゃんはついに世界の果てにたどりつく。海の水がすさまじい勢いで落ちてゆくその場所。
「果てを見ると、この世というものの偉大さがわかる。見てはいけないものだったのかもしれんが……」
 じいちゃんは少し笑ってそう言った。何かすごいものを見た人の顔だ。ぼくはそう思った。世界一尊敬していた。

 そのじいちゃんが死んだ。じいちゃんを葬りにゆく間、ぼくは何度も何度も聞いたあの話を、また頭の中で繰り返していた。
「よ、おつかれ」
 夕飯を食べ終わった後、父さんがふざけたようにぼくに言った。ぼくが悲しそうにしているのでなぐさめようとしてくれたのだろう。じいちゃんは父さんの父さんだから、父さんだって悲しかったに違いないのだけど。
「親父はお前のこと、孫の中で一番かわいがってたからな」
「うん」
 それは自分でもよくわかっていた。でも理由はよくわからなかった。
「お前は親父のほら話、いつも聞いてやってたしなあ」
「……ほら話?」
「なんだ、お前、信じてたのか?」
 父さんはあきれたような顔をした。
「親父はずっとこの町で、鍋を作るのを仕事にしてたんだ。海に出たことなんか多分一度もないよ」
 ぼくはその晩、眠れなかった。嘘なんかじゃない、嘘なんかじゃない、と泣きそうな気持ちで何度も思った。すっかり夜もふけた頃、ぼくはそっと家を出た。走って海に行って、誰のか知らないボートを出した。
 世界の果てに行くんだ。じいちゃんは嘘なんかついてないって証明するんだ。それだけしか考えられなかった。沖へ沖へとこいだ。次第に波が高くなり、嵐が来た。雷鳴。跳ねるボート。必死にしがみつく。なんだかまるで、何か大きなものの手の中にいるようだ……。
 ほらみろ。じいちゃんの言ったとおりだ。じいちゃんはたしかにボートで海に出たんだ。喜びが死の恐怖と同時にあった。嵐は少しずつおさまり、そこへ紫色の大ダコが現れ、その足でボートをしめつけようとした。ボートがきしむ。オールで殴った。勇敢に戦うんだ。そうしないと世界の果てになんか行けっこない。
 冒険は何日も続いた。腹が減る。体がひからびていくようだった。けれどもう進むしかなかった。矢のように細い魚が飛び交う場所があった。海の泡が空に浮かんでゆくのも見た。大きな渦があり、そこから竜巻が生まれていた。突然の大波の原因は、鯨同士の決闘だった。ぼくはひたすら進んだ。そしてついに世界の果てにたどりついた。
 話に聞いたとおり、海水がすさまじい勢いで落ちていた。これが世界の果てだ。しかし、感動している余裕はなかった。小さなボートは落ちてゆく海の流れに逆らえない。流れに巻き込まれる。必死で逆方向にこいだが、無駄なあがきだった。
 滝となった海の水とともにボートは落ちた。その瞬間、ぼくは世界全体を見た。すごい、と思ったのが、冒険の最後だった。

「じいちゃん」
 呼ばれて我に返った。たった今、世界の果てから落ちたはずだったのに、ぼくは海岸に立っていた。目の前に海、隣にぼくを呼んだ孫がいる。孫? ぼくは自分の記憶をたぐった。そうだ、ぼくはこれまでずっと鍋を作りながら暮らして、子供にも恵まれ、七十も過ぎた今はこうやってのんびりと孫と海岸を散歩したりしている。それは間違いのないことで、しかし今、世界の果てから落ちたのも本当なのだ。
「じいちゃん。この海をずーっと行くと、何があるの」
「ずーっとかい。世界の果てがあるよ」
「どんなふうになってるの」
「海の水が、滝のようになって落ちているんだよ」
 今見てきた光景を思いながらぼくは言った。その声の調子に何かを感じたのか、孫が不思議そうな顔をした。
「じいちゃん、見たことあるの」
「ああ。昔、世界の果てを見ようと思って、ボートに乗って海に出たんだ……」
 それは本当は、ついさっき終わった冒険だった。孫は目を輝かせた。
「それで? それでどうなったの?」
「沖に行くにつれて波は高くなってな。そして……」
 あれは、見てはいけない光景だったのだろうか。だとすればこれは話してはいけないことなのかもしれない。これを聞いた孫は、きっといつかボートで海へこぎ出すだろう。よく思い出せないが、この孫の顔はきっと、かつてのぼくの顔だ。
「嵐がおさまりかけ、少しほっとしたところに現れたのは紫色の……」
 けれども、話さずにはいられなかった。ぼくはたしかに世界の果てを見たのだから。そして、世界の果ては。
「見てはいけないものだったのかもしれんが、それでもあれは」
 なんと言っていいのかわからず、言葉がとぎれた。孫は興奮に顔を赤くして、目を丸くしてぼくを見つめていた。
 ママミ国の女王が今一体何歳になるのか、いつから生きているのか、誰も知りません。三百歳は越えている、いやもっとだという話もあります。けれども女王は今でも若く美しく、その秘訣は使っている家具にあるのだそうです。

 朝、女王は男たちが組み合わさってできたベッドの上で目覚めます。男たちが組み合わさってできた布団をはぎ、床に立って、うーんと伸びをします。猫のようにしなやかで美しい女王の体の曲線に、ベッドと布団はため息をついて見惚れます。
 女王はベルを鳴らします。男たちが組み合わさってできたドアを開け、召使いが入ってきます。
「お目覚めですか」
「ええ」
「本日のお召し物はこちらなどいかがでしょう」
 召使いの一人が、男たちが組み合わさってできた箱をいくつか開け、中にある女王の服を見せます。
「そうね、これがいいわ」
 女王はあまり迷いません。召使いも女王に見惚れ、陛下は何をお召しになっても美しいが、このお召し物はまた一段と陛下の美しさを引き立たせる、と毎朝思うのです。

 女王は廊下を、男たちが組み合わさってできた敷物の上を優雅に歩いて食堂に向かいます。男たちが組み合わさってできた椅子に座ると、男たちが組み合わさってできたテーブルの上に、朝食が並びます。
 しかし、今日の女王は朝食に手をつけず、首をかしげます。
「何か、不始末でもございましたか」
 コックが不安げにたずねます。
「いいえ、そうではないのよ。……ジム!」
「は、はい」
 椅子の一部が返事をします。
「お前、体調が悪いのではなくて?」
「あ……いえ……は、はい」
「椅子が少しゆがんでいるわ。無理をしないで休みなさい」
 女王にはお見通しです。
「も、申し訳ございません」
「いいのよ。ゆっくり休んで、また戻ってきておくれ」
 女王が立ち上がると、椅子は男たちに分かれて去り、入れ違いに代わりの男たちが組み合わさってできた椅子が運ばれてきます。女王はそれに腰かけ、朝食を取り、コックに微笑みかけるのです。

 男たちが組み合わさってできた机に膨大な量の書類が積み上がっています。執務室の女王はそれを次々と片づけ、だいたい終わったところで立ち上がります。
「気分転換も必要ね。久しぶりに遠乗りに出たいわ」
 女王にはそんな活動的な一面もあります。すぐさま男たちが組み合わさってできた馬が引かれてきます。

 快い疲れを覚えながら女王は、男たちが組み合わさってできた玉座に腰かけます。
「陛下。本日をもってお役御免の者たちです」
 毎日この時間に、女王の前に男たちがずらりと並びます。女王の身の回りで組み合わさるお役目は、期間が決まっているのです。女王は一人一人の名を呼び、ねぎらいの言葉をかけます。男たちは深々と頭を下げ、退出してゆきます。
「陛下。明日からお役目に入る者たちです」
 またずらりと男たちが並びます。事前に彼らのことを書いた書類に目を通していた女王は、一人一人の名を呼び、激励の言葉をかけます。

 女王には膨大な蔵書があり、夕食の後の時間をいつも読書に当てています。今日は何を読もうかとしばらく見て回り、女王は声をかけます。
「一番上の段の、右から四番目の本を取っておくれ」
 男たちが組み合わさってできた本棚が、本をうやうやしく女王に渡します。
「ありがとう」
 女王は美しく微笑み、男たちが組み合わさってできた椅子に腰かけてその本を読み始めるのです。

 お湯の支度が整いましたと召使いが報告に来ます。女王は浴室に行き、服を脱ぎます。大きな鏡に映るその姿は若々しく麗しく、男たちが組み合わさってできた鏡の枠は、ため息をついて見惚れます。
 女王は男たちが組み合わさってできた浴槽に身を沈め、くつろぎます。

 そして入浴をすませた女王は、男たちが組み合わさってできたベッドに横になり、男たちが組み合わさってできた布団をかけて眠ります。ベッドと布団の男たちは眠りません。けれど、ベッドと布団以外の男たちはみな眠りにつき、城はやわらかな寝息であふれるのです。
 要陽坂には幽霊が出るという噂があった。出るのは五歳くらいの男の子の幽霊で、夜、坂をのぼってゆくと、まず声が聞こえてくる。
「ねえ。遊ぼうよう。遊ぼうよう」
 そして電柱の陰から姿を現す。しかし相手にしてはいけない。相手をすると連れて行かれてしまう。無視をしているとついてくるから、必ず「今忙しいからだめ」と言わなければならない。
「ふうん。忙しいんだねえ……」
 幽霊はさびしそうにそう言ってすうっと消える。

 要陽坂から歩いて十五分くらいのところに、男の家はあった。男は人生に絶望したので死ぬことにした。どうやって死のうかと考えた時、坂の幽霊の話を思い出したのだった。
 連れていってもらおうと男は考えた。さびしそうにしているなんて、かわいそうじゃないか。遊んでやろう。そう思い、夜、坂をのぼっていった。
「ねえ。遊ぼうよう。遊ぼうよう」
 電柱の陰から現れた幽霊に、男は笑いかけた。
「ああ、遊ぼう。一緒に遊ぼう。ずっと遊……おい、どうしたんだ。逃げないでくれ。な、遊ぼうって言ったじゃないか。待ってくれ……」

 要陽坂には幽霊が出るという噂があった。出るのは三十歳くらいの男の幽霊で、夜、坂をのぼってゆくと、まず声が聞こえてくる。
「遊ぼう。遊ぼう。な。おい、遊ぼうってば」
 あやつり人形を動かしている男が道ばたにいた。生きているように動くそのあやつり人形は、もっと小さいあやつり人形を動かしていた。小さい方のあやつり人形もまるで生きてるように動いていて、私はすごいなあと思った。
 けれどもそれほど長くは見ずに、私はその場から立ち去った。小さい方のあやつり人形は手ぶらで、もっと小さなあやつり人形を動かしていない。見れば見るほど、それがものたりなく思えてくるのだった。