あいつは雲にぶらさがってどこかに行ってしまった。右手は雲の中だった。
 あれが雲をつかむというやつなんだろうな。
 まったく、あいつらしい。
「……苦しいね」
「ああ」
「私……毎日繭のことばかり考えてる」
「俺もだ」
「昨日、繭の夢を見ちゃった。きれいだったよ。白くて、丸くてね……」
「やめろよ」
「ごめん」
「……繭を作ったら、俺たちは殺されるんだぞ」
「わかってる」
「繭を作れば、ぐらぐら煮立った湯の中に投げ込まれるんだ。湯の中で糸がほどけて、その糸を巻き取ってキモノが作られる。俺たちはそのために飼われているんだからな」
「わかってる。だから繭は作らない。作らないで一緒にサナギになろうって、約束したもんね。がんばるよ」
「わかってるならいいんだ」
「でも、やっぱり苦しい……ふう……」
「もう少しだ。ここさえ乗り越えれば……あ、おい!」
「どうかした? ぷふーしゅー」
「ば、馬鹿お前それ! やめろ、出すな! 飲み込め!」
「あ、あ……ぴしゅー無理、だめ、もう私だめしゅしゅー離れて! あなたまで巻き込まぷしゅー」
「落ち着け! 落ち着いて歯で糸を切ってゆっくり……」
「だめ、もうしゅしゅー止まらふしゅーしゅーしゅー」
「くそっもうこんなに糸が」
「お願しゅーしゅー離れしゅーしゅーあなふしゅたまでしゅしゅしゅー」
「……へへっ。もう離れたって同じことしゅー」
「え?しゅーしゅしゅーしゅー」
「驚いた勢いで俺の腹の糸も出てきしゅーもう止まりそうもしゅーしゅー」
「そんな……わたしゅーのせいであなたしゅーまでしゅーしゅー」
「気にしゅーいっしゅーにいられれば俺はしゅー」
「ううっしゅーしゅーしゅしゅーしゅー」
「しゅーしゅしゅーしゅーしゅー」

 たくさんの繭の中に一つ、やけに大きなものがありました。
 こころなしかそれは、ハートの形にも見えたといいます……。
 伝兵衛とは幼なじみで、道場にも一緒に通っていたのだが、俺はあいつが勝ったところを見たことがない。いつもろくに動けもせずに一本を取られる。剣を習いたての子供にも打ち負かされる姿を見ていると、俺の方が恥ずかしくなったものだ。本人はあまり気にしているようには見えなかった。いつもぼんやりとした優しげな顔のままだった。
 その伝兵衛がどういうわけか、据え物斬りとなると目を見張るような鋭い剣筋を見せるのだった。いや、目を見張るひまもない、気づくと斬れている。岩だろうが綿だろうが、同じようにやすやすと斬った。
「まあ、動かないからなあ」
 人間相手の時とはあまりに違うその腕を不思議に思って聞いてみたが、伝兵衛は少し困ったようにそう言うだけだった。

 御前で据え物斬りを披露して以来、伝兵衛は殿にいたく気に入られたようだった。誰かが切腹するとなると、伝兵衛が呼ばれて介錯を命ぜられた。
 正直なところ、あの殿はあまりまともとは言い難い。何かというと家臣に切腹を申しつけ、それを自分の前でやらせるのだ。血を見るのが好きなのか、人が死ぬところを見るのが好きなのか。切腹が好きなのか、斬首が好きなのか。
 伝兵衛は特に嫌がっている様子もなかった。動いてなければ人間でも平気なんだな、と思ったが、口には出さなかった。しかし同じことを思い、それを伝兵衛に言う者はいた。
「まあ、動かないからなあ」
 伝兵衛はいつかと同じく、少し困ったようにそう答えていた。

 俺は伝兵衛の介錯を実際に見たことはない。しかし噂はよく聞いた。据え物斬りのあの腕は、妙な噂を生んでいるようだった。腹に少し刃を入れた時点で伝兵衛が首を斬る、だが首を落とされた者はそれに気づかずに腹を切り続けたなどという噂だった。噂は次第に大仰になり、落ちた首がしゃべっていたとか、まったく血が出なかったなどという話になった。殿はそんな剣の冴えを見るたびに、上機嫌で伝兵衛にお褒めの言葉を賜るのだという。
 その噂が別の方向に動きだしたのはいつ頃からだったろうか。
「前にあいつが大根を斬ったのを見たことがあるんだが」
 数人で酒を飲んでいた時、一人がふと言い出した。
「あれは不思議だった。斬った大根をあいつがこう、もう一度くっつけたらな、ぴったりとくっついて元通りになったんだ。どこを斬ったのかもわからなくなった」
「ほう」
 誰も笑いもしない。伝兵衛のその手の話はいくらでもあった。こんなのはまだおとなしい方だった。
「斬った首も元通りにあわせれば、生き返るかもしれんなあ」
「しかし腹の方は伝兵衛が斬るわけではないからな」
「それはそうだ。ははは」
 その時は、まだ笑い話だった。

 どこでどうなったのか、去年腹を切ったやつが城下にいたなどという話になった。それがしばらくして、殿のたび重なる無体な切腹申しつけを見かね、伝兵衛と他数人の協力者が彼らを救おうと立ち上がった、という話になった。伝兵衛たちは腹を切る者と事前に秘かに連絡をとり、血袋を腹に仕込ませる。切腹の日が来る。伝兵衛が首を斬る。見事な切り口。血も出ない。殿のお褒めの言葉。死体が運ばれてゆく。協力者が死体をすりかえる。首の切り口を元通りあわせる。生き返って逐電。
 まったくくだらない噂だったが、それはまるで本当のことのようにささやかれていた。ぼんやりとした優しげな顔の伝兵衛と、殿の気まぐれで死なねばならぬたくさんの者たちの首を斬る伝兵衛、そしてあの尋常でない据え物斬りの腕を持つ伝兵衛。それが合わさったところでその噂は育っていたのだろう。しかし、このような噂が広まることが伝兵衛にとってよいことになるとは思えず、俺はどうも不安だった。
 伝兵衛と他数人が切腹を申しつけられたのはそれからまもなくのことだった。あの噂が殿の耳に入ったためにそうなったのは明らかだった。俺は伝兵衛の介錯を命ぜられた。幼なじみだと知っていたからだろう。あの殿らしいことだった。

 切腹の日。俺たちは何の言葉も交わさなかった。何度も人の切腹を見てきたからなのか、伝兵衛は落ち着いた様子で腹に刀を突き立て、きりきりと一文字に切った。その首を斬る、そのことにためらいはなかった。頭のどこかにあのくだらない噂があった。
(見事な切り口)
(血は出ない)
(首の切り口を元通りあわせ)
(生き返って)
 伝兵衛の据え物斬りを思い出す。あれと同じように。そう念じながら斬った。おそらくは、これまでで一番鋭い剣筋。伝兵衛の首は前に落ちた。
 血が吹き出た。体がゆっくりと倒れる。
「つまらぬのう」
 見ていた殿がぼそりと言った。

 死体を運んでゆくのを呼び止めた。つくづくとながめる。生気のない、ただの死体だった。ふと思いつき、腹をさぐった。
 血袋が入っていた。腹には傷一つない。
 死体が運ばれ、誰もいなくなっても、俺は長い間そこに立ちつくしたままだった。
 ガオマスアルファは新時代の万能薬です。すり傷、切り傷、湿疹、かぶれはもちろんのこと、しみ、しわ、たるみといった老化現象に至るまで、これさえ塗ればたちまち改善、美しい肌となり、しかも効果はそれだけではありません。体に塗れば血行を良くし、こりをほぐし、余分な脂肪を燃焼させ、内臓疾患は治り、ガン細胞は消滅、あらゆる病気の苦しみから、この薬一つでお別れです。さあ、今すぐご注文を。

 全世界に衝撃が走ったあの日以来、ガオマスアルファは売れに売れた。製造工場は毎日フル回転だが、それでもとても追いつかない。会社は新しい生産ラインの確保に必死だが、追いつくようになるまでには当分かかるだろう。
 ごうんごうんという音が工場に響く。巨大な容器の中の緑がかった白いものを、巨大な棒がかき回している。一人の作業員がそれをのぞきこみながら様子をチェックしていたが、突然足をすべらせた。
「あっ!」
 作業員は容器の中に落下した。たちまち工場内にサイレンが鳴り響き、かけつけた人々が救出活動を始める。
「馬鹿野郎!」
 救出された作業員は、まず工場長に怒鳴りつけられた。
「これでどれくらい生産が遅れると思ってるんだ!」
「すみません!」
 泣きそうになりながら何度も頭を下げる作業員の肌はつやつやと輝いて三十歳ほど若返り、持病だった下痢と腰痛も解消、眼鏡なしでもものがはっきり見え、持ち場へ戻る足取りの軽さには自分でも驚きました。さあ、今すぐご注文を
 かっこいい旅行カバンを持っているので、ぼくはしょっちゅう旅行に出かける。家の中にあのカバンがあると、なんだかもったいないような気がしてくるのだ。ほんとは旅行なんか好きじゃないけど、だからぼくはしかたなく出かける。
 展望台から湖が見える。いい景色だ。旅行らしいなあと思う。次はどこに行こう。手に持ったカバンをちょっと見た。かっこいい。まだ家には帰れない。ほんとは旅行なんか好きじゃないけど、ぼくはこのカバンとどこまでも行く。
 読経の声で目が覚めると、棺桶の中だった。ご臨終ですという言葉を少し前に聞いた気がする。そうだ、俺は死んだんだ。しかしどうやら生き返ったらしい。
 首が動く。手が動く。棺桶を叩いて声を出せば、助けてもらえるだろう。感動の再会なんて苦手だけど、黙っているわけにもいかない。
 読経が続いている。なんとなく声を出しにくい。読経が終わってからにするか。それだと遅くなるかな。次にあの金物をガーンと鳴らした時にしようか。あまりいいタイミングというのもおかしいかな。でもそんなこと考えてたらいつまでたっても声を出せない。まさか最後の対面でふた開けた時にバアなんて言うわけにもいかない。色々考えているうちに、横になっているせいかしだいに眠くなってきた。

 目が覚めると空に浮いていた。少し離れたところに煙が立っていて、あ、もう燃やされてしまった、と気づいた。
 たとえようもない絶望と後悔と自己嫌悪が襲ってくる。何もかも終わった。馬鹿だ。本当に馬鹿だ。あんなチャンスをふいにするなんて。
 もう何も思い出せない。自分の名前も、これまであったことも。未練がましく思い出そうとしたが、急にいやになって考えるのをやめた。
 合計二回死んだ。なんだか、一回目に死んだのも、俺のこの性格が原因だったような気がしてならないのだ。
 なにげなく辞書を開いたら、知らない言葉ばかりだった。知っている字で書いてあるのに、知っている言葉は一つもなかった。めくってもめくっても知らない言葉ばかりなので、だんだんと息苦しくなってきた。
「あー、あーあー」
 意味のない声をとりあえず出しながら、さしあたって今、こういう状況の時に何と言えばいいのかを知りたいと思った。
 恋をしました。恋愛は苦手ですが、それでも好きな人はできてしまいます。あまりよく知らない人です。時々会うけど、緊張してしまって話ができないから。
 爪が伸びなくなりました。なぜかいつもそうです。恋をすると、わたしの爪は伸びなくなります。それどころかだんだん短くなります。といってもこれはすり減ってるだけで、体の中に戻っているわけではないようです。
 爪が割れました。痛いです。伸びないので割れたままです。とても痛い。痛みをがまんしながら暮らしていたら、あの人には恋人がいるらしいと聞かされました。
 その日の夜、爪があまり痛まないと思ったら、少し伸びていました。早くもわたしはあきらめてしまったようでした。
 まるでお湯を吐くライオンのように、僕はとめどなくとめどなくゲロを吐いている。ちょっと飲みすぎて吐いた、ただそれだけだったのに、それからずっと止まらない。もう一ヶ月くらい吐き続けている。
 最初は病院に運ばれたが、すぐに別の建物に移動することになり、今はそこで吐いている。太い管をくわえている。三秒で一リットル出ているので、細い管だと窒息死するそうだ。どこに行くのか知らないが、ポンプで送られてゆく。隔離されているらしく、部屋からは出られない。僕は上半身を起こしたベッドの上でずっと、涙をこぼしながら吐いている。何も食べていないのに、止まらない。

『治らないんですか』
 口がふさがっているため、紙に書いて聞いてみた。白衣の男が表情を変えずに答えた。
「原因は全く不明です」
 そう言われてしまうと、もう何も聞くことはない。涙が出ているのはゲロが止まらないせいだけど、悲しいせいも少しはあるのかもしれなかった。
「でも不幸中の幸いでもあったんですよ」
 同情したのか、白衣の男が慰めるように言った。僕は男を見た。一体この状況のどこに幸いがあるというのだろう。
「実は、あなたの吐瀉物は猛毒なんです」
 男は淡々と言い、ぽかんとしている僕に、その毒はまだ分析できていないこと、生物の体内に入ればすぐに死に至らしめる上に処理のしようのないことを説明した。
「それがこのペースで出てくる。あなた自身は平気みたいですが、これは大変なことですよ。あのままだったらあなたはきっと……」
 そこで口をつぐんだ。殺されていた、と言うつもりだったのかもしれない。
『それで どうなったんですか』
「あなたとほぼ同じ時期に、同じ症状になった人がいるんです。その吐瀉物もやはり猛毒なんですが、なぜかあなたのものと混ぜると中和されることがわかりました。それでなんとか落ち着いたというわけです」
 同じような人が他にもいるのか。その人もやっぱりこんな管をくわえて、泣きながらゲロを吐いているのか。その人のおかげで僕は生きているのか。
『どんな人ですか』
「たしかあなたと同い年の女性です。この建物にいますよ。この部屋と同じように隔離されてますが……」
 僕の口につながった管から、猛毒のゲロがどこかに運ばれてゆく。中和して無害になったら、海にでも流されるのだろうか。
「根拠のない気休めと思うかもしれませんが」
 白衣の男がまた表情を変えずに言った。
「始まった時と同じように、いずれ止まるような気がするんですよ。ま、多分、二人とも同じ時期に」
 会いたいな、と思った。早く治って、その人に会いたい。
 会っても話すことなんか何もないだろうけど。お互いを見て、この人も自分と同じようにとめどなく吐いていたんだと思って、笑ったり恥ずかしくなったりして、やっぱり話すことは何もないだろうけど。でもそうだな、その人に会ったら、ありがとうくらいは言いたい。
 ゲロを吐いている時特有の、なんともいえないせつなくて悲しい気持ちで、僕はなんとなくそんなことを考えている。
 街から少し離れたところに広い荒れ地がある。岩がごろごろしているばかりで本当に何もない、遠出をする人がたまに通るだけの場所で、でもぼくは小さい頃からそこの景色が好きだった。一つの背の高い岩をぼくの岩にして、時々その上で座ったり寝転がったりしていたのだ。

 その日もぼくはぼくの岩にのぼって座った。しかしそこから見る景色はいつもと違っていた。誰もいないはずのこの土地に、みすぼらしい小屋が建っていた。錯覚かと思って、ぼくは目を凝らした。そんなものが、この場所にあるはずはなかった。
 小屋の中から男が出てきて、しばらくうろうろしていたと思ったらクワを大地に振り下ろした。ますますあり得ない光景だった。ぼくは岩からおりて、そこに行った。
「何やってんの?」
「ん? いや、畑を作るんだ。ここなら街から近いし、ただでいいらしいから」
 この男は正気だろうか。
「こんなとこ、畑になんかならないよ」
「なるさ。大丈夫だよ」
 男は作業の手を止めずに言った。クワは速く力強く動いていたが、男はのんびりとした表情で、それがどこかちぐはぐだった。
「大丈夫って……」
「今までにも何度か、こういうところを畑にしたことがあるからね」
 男はこともなげにそう答えた。

 それからぼくはたびたび男のもとを訪ねた。しだいに、男の言ったことは嘘ではない、と思うようになった。男の手で掘り返され、こやしを入れられてゆく荒れ地は、たしかに畑に変わっていった。まるで魔法のようだと思った。
「いい土地だよ、ここは」
 男は楽しそうに言った。
「きっといい収穫がある」
 荒れ地の中、くっきりと線を引いたように違う地面があった。死んでいた大地がそこだけ生き返ったようだった。昔からこの場所を見てきたぼくには信じられない光景だった。
「あのさ……。ぼくにも畑、作れるかな」
「さあ。道具だったらほら、そこにあるの使っていいよ」
 ぼくは自分の場所を決め、クワをふりおろした。カチカチの地面にはクワの跡すらつかない。悪戦苦闘しても地面に何の変化もないまま、次の日は体中が痛かった。

 時が過ぎ、男の畑から収穫があった。それほど大きくはないけどずっしりと重くてみずみずしい野菜で、驚くほどおいしかった。
 ふとまわりを見渡せば、そこはやはり岩がごろごろしているばかりの何もない枯れた大地だった。ぼくは不思議でならなかった。
 男の畑に野菜ができるようになっても、ぼくの場所は相変わらず荒れ地のままだった。その日、ぼくがいつものようにそこにクワをふりおろしていると、男の小屋に来客があった。
「誰?」
 帰っていく客を見送っている男に聞いた。
「街の人。ここに畑作っちゃいけないんだってさ」
「えっ」
「いや、別に出ていけっていうんじゃなくて、使用料を街に払ってくれって」
「ただでいいんじゃなかったの」
「うん、そう聞いてたんだけど……」
 何もない荒れ地ならどうしようと勝手でも、いい収穫がある畑だとそうはいかないのかもしれない。でもここは、本当なら畑になんてならないはずの土地なのに。
「しょうがないよ」
 男は少し寂しそうに笑った。
「払うの?」
「いや、ここを出ていこうと思ってる」
 ぼくは言葉が出なかった。
「最近はここの畑を売ってくれという人も多いからね。色々面倒になりそうだし、ここを売って別のところに行って、そこでまた畑を作ることにするよ」
 男に初めて会った時のことを思い出した。あの時男は、今までにも何度かこういうところを畑にしたことがある、と言っていた。そのたびにこうやって人手に渡してきたのだろうか。
 一緒に行きたい。突然、そんな思いがこみ上げた。どこに行っても、どんなに枯れた土地でも、この男が行けばそこは畑になり、収穫があるのだろう。それは世の中で一番すごいことのように思えた。
 でも、行けるわけはなかった。ぼくはまだ、ここにある自分の場所を畑にすることもできていないのだ。
 旅立つ男の荷物は小さかった。
「道具はやるよ。元気で」
 そう言われて、ぼくは小さくうなずいた。

 男が畑にした場所は今は別の人のものだけど、今も変わらずにいい収穫がある。少し離れたところにあるぼくの場所は、少しずつ畑にはなり始めたけど、まだほとんど収穫はない。いつか。いつか。そう思いながら耕している。
 荒れ地が続く地平線に向かってだんだん小さくなっていった、あの男の後ろ姿を今でもよく思い出す。どこか遠い、ぼくの知らない土地。ここと同じように荒れ果てたその土地にも、みずみずしい収穫があがる畑がぽつんとあるのだろうか。その光景を思うと、なぜか泣きたいような気持ちになる。いつか。いつか。そう思いながら、ぼくはぼくの畑を耕す。