03.ナジミの塔


 そういえばあの日。旅立ったあの日の朝、変な夢を見た。はっきりと覚えていないわりに断片だけは妙に鮮明で、あれからだいぶ経つのにあの声を簡単に思い出すことができる。
「あなたは根っこからの一匹狼だからです」
 思い出すことはできるが、しかしあの言葉はちっとも当たってはいなかった。
 洞窟を少し進み、たちまちMPの減少に恐れをなして引き返す。丘を登ったところで見えてくる町にほっとして、あわてて気をゆるめてはならないと自分に言い聞かせる。町に入って胸をなで下ろす。さっそく休息を取るために向かう場所は、母と祖父が暮らしている実家。
 確かに仲間はいないが、こんな一匹狼がどこにいるというのだろう。
 自分の部屋のベッドに寝転がり、天井を見ながらあの夢の断片をもう一度思い返した。変な夢だった。特別な日だったし、変な夢くらい見て当然なのかもしれないが…。
 廊下で足音がして、俺は考えるのをやめて体を固めた。母さんの足音だ。通り過ぎていく。足音が遠くなり、俺はほっと息をついて布団に潜り込んだ。生まれ育ったこの家に、俺は今日もまたこっそり入ってこっそり休んでいる。もしも母さんがこの部屋のドアを開けたら、それで目が覚めたような顔をして「あ、ただいま。勝手に休んでるよ」と言うつもりだ。それで取り繕えるだろう。旅立ったからといって、目的を果たすまで帰ってはいけないわけではないのだから。
 玄関でただいまと言って入れば「おかえり」と迎えてくれるのも分かっている。だが、俺の帰宅回数は我ながら異常だ。これで旅人を名乗るのはおこがましい…いやそんなことはどうでもいいのだが、陛下の許しを得て勇者として旅立ちながら毎日のように戻る息子を、母さんは一体どう思うか。そんな孫をじいちゃんはどう思うか。くだらないと思うが気にせずにはいられない。
(たまになら、帰るのもいいんだけど)
 久しぶりに帰り、俺がそれまでどんな旅をしていたか、一方町でどんなことがあったか、そんな話で笑い合うこともできるだろう。
(それに、まだ一回も借金返してないしなあ)
 家に帰るのとそれとは別に関係はない。俺が勝手に後ろめたくなっているだけだ。
 俺だって、少しずつだけど強くなっている。レベルも5になって、おおがらすの攻撃もだんだん当たらなくなってきた。もっと強くなってもっと自信がつけば、こんなことをいちいち考えないようになるのだろうか。

 洞窟に行き、また戻る。やはり塔には行き着けない。
 けど今回は洞窟の中の宝箱を回収できたので前進したと思うことにする。たびびとのふく。やくそう。換金したら手持ちの金が700Gを超えた。勇者の旅は儲かるという思いを新たにし、少し奮起する。自宅に忍び込んで回復し、再挑戦。洞窟から塔の地下まで行ったところでじんめんちょうに遭遇。マヌーサを食らったのでメラを使ったらMP消費したので走って帰宅。
 この調子では頂上に着くのは一体いつになるのかと情けなくなるが、レベルがまた1つ上がっておおありくいを一撃で屠れるようになったことで自分を慰めた。おおありくいに会っても消耗戦にならなくなったのは大きい。そんな時にまたおおありくいに会い、余裕で倒したらその戦闘の跡に宝箱が落ちていた。開けると、入っていたのはかわのぼうしだった。
「おー…」
 開けた箱を前に思わず声が出た。換金できる物でも嬉しいが、頭を守るものが何もなかった状態でこの落とし物は格別だった。こときれているおおありくいに、心の中で礼を言った。

 かわのぼうしのおかげなのか、今度はあっさりと塔の中に入ることができた。魔物がうろうろしている塔だが、なぜか入り口近くに宿屋があった。
「いらっしゃいませ。上に行かれるんでしたら、その前にこちらでしばしご休息下さい」
「いくら?」
 無料ですと言われたら喜んで泊めてもらうが、そんな虫のいい話があるはずがない。
「2ゴールドです」
「…じゃあ、いいや」
 主人は妙な顔をした。この値段でそんな反応をされるとは思わなかったのだろう。
「お安いと思いますがね? 上の階にも魔物は多いですよ」
 俺だって安いと思う。しかし1ゴールドでも100ゴールドでも、泊まれないという意味では俺にとって同じだった。宿屋の主人はもう一度俺を見て、ますます不思議そうな顔になった。
「…お客様。失礼ですが、ずいぶん身軽でいらっしゃいますね」
 腰のベルトにどうのつるぎと金袋を下げているだけで、あとは手ぶら。家の近所を散歩する奴でももう少し荷物を持っているかもしれない。変な目で見られるのも無理はなかった。
「どくけしそうをお持ちではないんですか? この塔にはバブルスライムのすみかがありますよ。毒をもらってしまったら宿でも治せません」
 バブルスライム。
 名前を聞いて、頭が冷えるような気がした。
(この塔にはバブルスライムがいるのか)
 バブルスライムは毒を持つタイプの魔物だ。かすり傷をつけられても毒におかされることがある。いつかはこの日が来ると思っていたが、予想外に早く毒を持つ魔物に遭遇することになりそうだ。
 毒は俺にとって、文字通り死ぬほど深刻な問題だ。どくけしそうも金も使えないと、毒を治す手段がない。一度死んで蘇生するしかないのだ。死んだらここまで貯めた金が半分になってしまう。それだけは絶対に避けなければならない。
「一度お戻りになった方が…」
 深刻な顔になった俺をどう思ったのか、宿屋の主人はそう忠告してくれた。
「いや……まだ回復する分のMPはあるから」
「はあ、そうですか。どうぞお気をつけて」
「うん。ありがとう」
 町に帰っても状況は変わらない。俺は覚悟を決め、いざとなれば何階からでも飛び降りよう、その時に金をこぼさないようにしなくてはと考えながら上の階に向かった。

「おお、やっと来たようじゃな。わしは幾度となく、お前にこの鍵を渡す夢を見ていた」
 悲壮な覚悟は空振りに終わり、俺は塔の最上階にあっさりと到達した。バブルスライムはおろかフロッガーにも遭遇しなかった。塔に住んでいるという老人に、眠そうな顔の出迎えを受けた。
「だからお前にこの鍵を渡そう。受け取ってくれるな?」
 死を覚悟してここに来たのはその鍵のためだ。俺がうなずくと、老人は満足そうに俺に鍵を手渡して付け加えた。
「それはそうと、この世界にはそなたの性格を変えてしまうほど影響力のある本がある」
「は?」
「もしそのような本を見つけたら、気をつけて読むことじゃな」
 何を言い出したのかと思ったら、老人はもういびきをかいて眠っていた。寝言だったのだろうか。
 本の話をした老人のすぐ後ろに本棚がある。調べてみるとやはりというべきか妙な本があった。
「おてんばじてん」
 なるほど、これは性格を変えたい人間のための本なのか。レーベにあったあの本も同じ種類のものだったのだろう。なんにせよ俺には使うことはできない。ありがたく換金させてもらうことにしよう。
 老人はぐっすり眠っている。
(夢を見たから鍵を渡す、か…)
 自分が見たあの夢のことを、なんとなくまた思い出した。

 当然の話だが、鍵は目的ではなく手段だ。いよいよこれから目的の方をを果たす。
 アリアハンとレーベにある鍵つきの扉を開け、中を物色する。どうやって入ってきた、ととがめられたりもしたが、鍵を見せると納得された上、「まほうのたま」という物をもらった。海の向こうへ行くための、旅の扉の封印を解くのに必要な物らしい。
 そういえば俺は、はるか遠いところを拠点にしている魔王を倒すために旅立った勇者なのだった。どうもそのことを時々忘れる。というよりほとんどいつも忘れている。もっとも、自覚があればいいというものでもないと思う。今は金や金に変わる物を無駄なく回収する方に集中しよう。ナジミの塔の地下にも扉のある場所があることを思い出してそちらに向かった。バブルスライムと遭遇する危険はない場所だ。そういう場所に町の中と同じような感覚で行けるくらいには、俺も強くなった。
 きのぼうしがあった。おおありくいが落としたかわのぼうしから、早くも装備を変更した。少し贅沢な気分だ。
 能力を向上させる種がいくつかあった。相変わらず売るのは気が重いがどうしようもない。一巡りして町に戻ったら、手持ちの金が千ゴールドを超えていた。とうとう借金返済の第一歩を踏み出すことができる。
「いらっしゃいませ。ゴールド銀行です。ご返済ですか?」
 いつもそこにいる男が笑いかけてくる。俺は数えた千ゴールドをカウンターに置いた。俺が金を手放すことができるのはこの場所だけだ。男は金を数え、受領証を出した。
「ありがとうございました。しかし、ハイペースですね。もうご返済いただけるとは…」
「いいよ、そんなこと言わなくて。このペースじゃ全然間に合わないことは分かってる」
「いえ、どなたも最初の千ゴールドを集めるのが一番大変なんです。それをこの早さでご返済に来られた。いや実にご立派です」
 俺は苦笑した。そんなほめ方されても嬉しくない、と言いたいところだが、実はけっこう嬉しかった。
「残り99万9000ゴールドです。がんばってくださいね」
「うん」
 そんな額を言われたら絶望していまいそうなものだが、俺はいい気分のままだった。やっと本当に旅が始まったような気がする。気持ちまでも軽くなる。千ゴールド返済した。これでいつ死んでも大丈夫だ。バブルスライムの毒も怖くない。塔の残りの宝箱をあさりに行くかな。
 その前にひとまず回復だ。いつものように音を立てずに家に入り、2階に上がろうとしたところで思い直した。
「ただいま」
 物音のする台所に向かって声をかけてみる。すぐに母さんの顔がのぞいた。
「あら、お帰りなさい! まあまあ、無事でよかったわ。もっと帰ってくればいいのに…」
 本当は2日に1回は帰っている。もっとも、母さんの顔を見るのはしばらくぶりだった。
「ごはん食べるわよね? 今日は泊まっていけるの?」
 母さんはあまり陰のない顔で笑っていた。
 5年前、父さんの死の知らせが来たあの日から、母さんはいつも悲しそうだったと思う。あれはきっと、父さんの死のせいだけじゃない。俺にかかった『とりたて』のせいもあるのだろう。俺が旅立ったことで時がようやく動き出した感覚が、母さんにもあるのかもしれない。
 母さん、じいちゃんと3人で食卓を囲む。家で食べる飯はうまい。久しぶりならなおさらだ。しゃべるのも忘れて食べていると、母さんが俺を見て笑った。
「センド、なんだか嬉しそうね。何かいいことあったの?」
「え?」
 どうやら顔に出ているらしい。
「ああ……そうそう」
 初めて借金を減らせたんだ。そう言いかけてやめる。喜んではもらえないような気がした。もしかしたら喜んでくれるかもしれないが、今ここであの莫大なマイナスのことを持ち出したくなかった。
「…旅を続ける上で、必要なアイテムが手に入ったんだよ」
「ほう」
 声を上げたのはじいちゃんだった。
「どんなものじゃ?」
「ええと、色々…。海を渡って遠くの国に行くための道を開いたりとか」
「まあ! すごいわね」
「さすがはわしの孫じゃ」
 母さんはしきりと感心している。じいちゃんはじいちゃんにとっての最上級の賛辞で俺を持ち上げた。
(…嘘は言ってないよな)
 盗賊の鍵を手に入れた。魔法の玉を手に入れた。これで旅の扉から、海の向こうへ行くことができる。
(嘘は言ってない。けど…)
 けど本当は、千ゴールド返せたことの方が、その何倍も嬉しかった。それが借金全体の、千分の一にすぎなくても。


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センド : 勇者
レベル : 7
E どうのつるぎ
E たびびとのふく
E きのぼうし

財産 : 324 G
返済 : 1000 G
借金 : 999000 G