07.ノアニール


 カザーブには長く滞在したが、ようやく旅立つ時が来た。といっても村の中に滞在していたわけではないから、誰かと別れを惜しんだりするようなことはない。そもそも村人とはほとんどろくに話もしていないような気がする。
(…そういえば、一番長く話した相手は…)
 村から出たところで、ふと教会を振り返った。
 例の、どくばりとこんぼうを回収したあの夜。昼に墓の前に陣取ってどかない男がいたのを思い出し、夜ならあの場所を調べることができるかもしれないと墓場に行ってみた。男は同じ場所で横になって寝ていて、結局その場所を調べることはできなかったが、墓標の後ろにもう一人、別の男が立っていた。寝ている男を見て笑っている。昼には見なかった顔だった。
「あの、あなたは?」
 声をかけた。それで初めて、彼は俺がいることに気づいたようだった。
「私は偉大な武闘家。噂では素手で熊を倒したことになっておる」
「…え?」
 昼に聞いた限りでは、もう死んだという話だったが…。目をこらすと、男の輪郭は夜の闇に溶けてぼやけていた。
 なるほど。幽霊というやつか。
 恐怖は特にない。自分がもう何度も死んでいるからかもしれない。
「お会いできて光栄です。そこまで自分を鍛えることできるなんて、尊敬しますよ」
 本心だった。幽霊にお世辞を言ってもしょうがない。
 昼間ここで、偉大な武闘家の話を聞いた時、「甘えるな、自分を鍛えろ」と叱咤されたような気になった。「努力すれば装備なんてなくても大丈夫だ」と励まされたような気にもなった。
「わっはっは」
 武闘家は突然大声で笑った。何事かと思ったが、彼は笑いながら言葉を続けた。
「噂では、と言ったろう。事実ではない」
「は?」
「熊は倒した。しかし素手ではなかった。実は鉄の爪を使っていたのだよ」
 武闘家は面白そうに言う。
「なあ少年よ、装備は大切だぞ。戦い続けるのならば、最善を尽くせ。身につける物を含めての自分自身だ。今装備できる、最上の物を身につけるよう心がけよ。それは自分を鍛えるのと同じことなのだからな」
 俺にとっては何の助けにもならない言葉だった。好きな物を選んで装備する自由など、俺は持っていない。けれど武闘家は、話しながらずっと愉快そうに笑っていて、俺は何となくそれで心が軽くなるのを感じたのだった。

 カザーブの北に、村中眠っている村があるという。それは好都合…とは言わないが、とりあえず次に向かうのはそこだ。
 村は案外近かった。歩いてすぐだ。入ってみると、本当に村中が眠っていた。立ったまま寝ている村人も多い。眠っているのでは話もままならないので、まずは民家の物色から始める。起きていたとしても同じだったかもしれないが。
 かわのこしまきを見つけ、最初の装備だったたびびとのふくからようやく着替えた。やたら守備力が上がる。ありがたい。
 物色しながら民家にひとつずつ入っていくと、一人だけ起きている老人がいた。
「ああ、失礼」
 つい立ち去ろうとしたら、待ってくれと追いすがられた。
 ここ、ノアニールがなぜ眠る村になったのか。ここから西にあるエルフの里から宝物のルビーが持ち去られ、怒ったエルフが村に呪いをかけたらしい。何とかしてくれと頼まれる。いずれは行くことになるだろう。ただ、魔物が強そうなのでそっちは少し後回しにさせてほしい。

 一通り物色してから、一度は中を見た宿屋の前をまた通った。宿屋の主人もカウンターで眠っている。ふと、今なら勝手に部屋に入って休んでも誰もとがめない、ということに気づいた。野宿の時はHPもMPも回復しないが、ここならどうだろう。やってみる価値はある。
 俺は部屋に入り、ベッドに潜りこんだ。長い間使われていないはずだが、別に埃が積もっていたりはしなかった。埃も空中で眠っているのかもしれない。

「…私はかまいませんが…」
「…頼む。このままではどうにもならないからな…」
 人の声がして目が覚めた。部屋の中央にあるテーブルで、二人の男が何か話している。
 人が寝ているところに何を勝手に入ってきてるんだ、と考え、そういえば俺は金を払ってないから客じゃなかった、と考え直し、それからようやく、この村はあの老人をのぞけば全員眠っていることを思い出した。呪いがとけたのか。それとも村の外からの旅人か。俺は急いで起きあがろうとした。
 が、体が動かない。声も出なかった。話している二人は、起きあがろうとしている俺のことなど気にもとめていない。いや、俺がここにいることさえ気づいていないようだった。
「では、さらに10万ゴールドご用立てしましょう」
「助かる」
「利子は…」
 金の貸し借りの話らしい。あまり聞きたくない種類の話だが、勝手に耳に入ってくる。
「不吉なことは申し上げたくないが、あなたの身にもしものことがあれば、支払い義務はご家族に行きますよ」
 ますます嫌な話になった。もうやめろと言いたくなる。
 金を借りようとしている男は、俺に背を向けて座っていた。顔は見えない。堅そうな黒い髪と、がっしりした体躯を持っていることはわかる。わかってもあまり意味はないが。
「大丈夫だ。俺は死なん」
 低い、柔らかい声だった。どこかで聞いたことがあるような…。
「一刻も早く平和を取り戻さなければならない。それが家族のためにもなる」
「ま、オルテガさんなら大丈夫でしょうが…」
 何? 今何て?
(ちょっと待て。今…)
 突然のことに混乱する。確かに今、俺が知っている名前が聞こえた。
「ではこの契約書にサインを」
「ここでいいんだな」
 男は手を伸ばしてペンを取り、ためらいもせず、
(やめろ!!)

 そこで目が覚めた。
(…夢か)
 やはりHPもMPも回復していなかった。しかし、そんなことはどうでもいい。
(なんで、あんな夢…)
 俺は父さんの顔を覚えていない。声も覚えていない。それなのに夢に出てきた後ろ姿だけの男は、気味が悪いくらい実在感があった。
 あれは本当に夢なのか。
 男がいたのはこの部屋だった。テーブルも椅子も、今目の前にあるものと同じだった。
 いつのことかは知らないが、この部屋で本当にあんなことがあったのではないか。
(…あったとして、それが何だっていうんだ?)
 あったとしてもなかったとしても、父さんが金を借りたのは事実だ。だから俺にそれが回ってきている。あれが現実でもそうでなくても、俺にとっては同じことだ。
 それなのに、あれが現実にあったことなのかもしれないと思うと、頭が熱くなるような息が苦しくなるような、そんな嫌な感覚に襲われるのだった。

 逃げるようにノアニールを出て、俺はカザーブの東にある塔に向かった。途中、例によってぐんたいがにやキャタピラーが出るが、たいして苦戦しなくなっていた。かわのこしまきの効果はめざましい。カザーブで夜を待つのも、こしまきを巻いていたらさほど苦労しなかったのではないかと思う。今更言ってもどうにもならないことだが。
 あっさりと塔に着く。ここに盗賊たちが住み着いているらしい。シャンパーニの塔という名前なのだと、中にいる男が教えてくれた。
 レベルが上がったが、2階に上がる前にキラービーのあれをくらって死んだ。手持ちが460ゴールドになった。いつの間にそんなにたまってたんだろう。痛い失費だが、そんなにショックを受けていない自分のスケールアップを感じた。かわのこしまきを巻いて以来、俺は少し変わったと思う。

 また塔に行く。宝箱を見つけて開けたら、430ゴールドが入っていた。1つの宝箱の中にだ。信じられない。さすがは盗賊の塔だ。勇んで上に進む。また宝箱があり、今度はせいどうのたてが入っていた。ついに俺の左腕に装備が付いた。俺はこの塔の盗賊たちを好きになりそうだ。
 さらに上ろうとしたが、何人かの話し声が上の階から聞こえたのでそこで上るのは中止した。今回は宝箱を取りに来ただけだ。
 下の方の階に取り残しはなかったかとうろついていたら、どくいもむしに毒をくらった。初めての毒体験だ。気分が悪いが、問題はそこではない。毒を治す手段がない俺の場合、近日中に死ぬのが確実だということだ。手持ちの金は659G。どうにか千までためて返済してから死にたい。
 こういう時に限って魔物は襲ってこない。ようやくぐんたいがにが出たので、仲間を呼ばせようと防御したりしてだらだら戦闘を長引かせたがなかなか呼ばず、しばらくがんばってみたものの、どうやらもともとぐんたいがにはそんなに金を持っていないらしくあまり意味のない戦闘になった。さらにうろつき、魔物を倒す。死闘の末、残りHPが一桁になったところで千ゴールドたまった。
「どうしたんですか? お顔の色が…」
 返済しに行ったらゴールド銀行のカウンターの男に心配された。
「何でもないよ」
 よけいなお世話だ。早く金を数えてくれ。俺は気分が悪いんだから。
 ようやく作業が終わり、俺は町を飛び出した。いっかくうさぎの角の上に身を投げ出すようにして死ぬ。気がつくと、またいつもの王の間でかしこまっていた。
「死んでしまうとはふがいない」
 陛下に怒られながら、俺は満足していた。こんなことは初めてだった。
 誰も知らなくても、俺は今回よくやったと思う。
 俺がこんなに立派な返済マシンになったことをあの商人たちが知ったら、あいつらもさぞ満足することだろう。


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センド : 勇者
レベル : 15
E とげのむち
E かわのこしまき
E せいどうのたて
E きのぼうし

財産 : 59 G
返済 : 8000 G
借金 : 992000 G