08.アッサラーム
死ななければならない時にためらいなく死を選ぶようになったからといって、死ぬことに抵抗がなくなったわけではない。死ななくてすむなら死にたくないし、本当は死に方だって選びたい。ロマリアから東に向かってみてさっそく死んだ時、つくづくそう思った。あばれざる3匹に三方向から殴られての死だった。あんな死に方はもう二度としたくない。思えばアルミラージのラリホーで寝ている間に、とか、キラービーの尾で一瞬のうちに、とかは楽な死に方だった。
例によって王の間から下がりながら金を数える。89ゴールドだった。まだ被害額は少ない方だ。気を取り直して再挑戦。あばれざるとバンパイアにさっそく殺された。97ゴールド。もうあの茶色い毛並みは見たくない。
エルフの里は後回しにするつもりだった。人の町ではないからどうせタンスも壺もないだろうと思ったからだが、東に行くよりそちらが先の方がいいのかもしれない。ノアニールに飛び、西に向かった。隠れ里というわりに分かりやすいその場所には、予想通りそういう物はなかった。
エルフの女王は、王女が人間にたぶらかされたといたくお怒りだった。里の宝であるルビーが持ち出されたことで、男がそれを目当てに王女に近づいたと考えているらしい。
「いや、そんなことはしない…と思いますが」
駆け落ち相手がどんな男か知らないので弁護にも力が入らないが、とりあえず言ってみた。
「いいえ、アンはだまされたに決まっています。人間とは、希少な物や力を持つ物を手に入れるためならば、どんな手段も使う生き物です。そして、それを恥じることもない」
「誤解です。そんな人間ばかりではありません。…ところで、そのゆめみるルビーというのは、そんなに希少なものなんですか?」
女王に無言でにらまれたので、俺はとりあえず里を退散した。
もし駆け落ち相手の男が、女王の言う通りに本当に宝目当てで王女に近づいたのだとしても、俺にはそいつを責めることはできない。今何かの拍子に俺がそのルビーを手に入れて、それが町の道具屋で換金できる物だとしたら、俺はそのルビーを里に返すことはできないのだから。
隠れ里から少し南に、洞窟がぽっかり口を開けていた。エルフたちは何も言っていなかったが、ここにも何かあるのだろうか。入ってみる。一本道の脇に小部屋が並んでいて、必ず宝箱がある。少し興奮したところでバリイドドッグとバンパイアに襲われて死んだ。手持ちが212ゴールドになった。
洞窟と、ロマリアの東。今後どちらに挑戦するか。迷ったが結局ロマリアの東にした。洞窟で死ぬと宝箱で拾った金まで半分になるから、もう少し強くなってからの方がいいと思う。東にもルーラで行き来できる町くらいあるだろう。とりあえずその町に着くという方がまだ簡単そうだ。
心を決め、さっそくロマリアから東へ向かう。さっそくバンパイアとキャットフライに襲われ、魔法を封じ込められてヒャドやら何やらで死んだ。手持ちが126ゴールドになった。さっそく自分の選択に不安を覚えた。
まあ何回かは挑戦しよう、と思い直す。危険になったらルーラで逃げ、ロマリアから再スタート。それを繰り返してようやく次の町に着いた。アッサラームという町だ。手始めに家を物色したらどくがのこながあった。これは換金すると高い。これでまた借金を返済できる。
とうぞくのかぎでは開かない扉がいくつかあった。前にも見たことのある種類の扉だが、民家についているのは初めて見た。少し腹が立つのと、いつかこの扉を開けることができる鍵を手に入れたらさぞ、という期待が混ざった気持ちになった。
扉はないが、入口のところにやたらと太った男がいて入れない家があった。夜まで待つか。
来る時に苦労したわりに、夜まで待つのは苦労しなかった。夜になって入ると、アッサラームの空気は一変していた。
(なんか、甘い匂いがする…)
あまりいい気分ではない。こういう雰囲気が嫌いなわけではないが、こういう雰囲気は、金がない奴にたいてい冷たいものなのだ。
「あーら、すてきなお兄さん」
例の家に向かおうとしたら、いきなり腕を捕まれた。香水の匂い。俺の腕を抱くようにして、上目遣いの女が笑っている。ピンク色の髪がふわりと揺れ、ささやくような声がした。
「ねえ、ぱふぱふしない?」
一瞬行こうかなという気になる。あっちから来たんだし、俺だって払いたくなくて金を払わないわけじゃない。
しかし、会計の時に俺の手から金が離れない状況と、その時の嫌な感じの騒ぎを想像すると、さすがに本当に行く気にはなれなかった。
「金ない」
「安くするからあ」
「1ゴールドもないんだ」
「嘘。音がしたもん」
音って何だ、と思ったら、女の目が俺のベルトからぶら下がっている袋に注がれていた。ゴールド貨幣が鳴る音のことのようだ。ずいぶんいい耳をしている。その音で俺に狙いを定めたのだろう。
けど、俺が使える金じゃない。そこまではわからないよな。なんとなく苛立って思わず舌打ちをすると、女がむっとしたような顔になった。その表情を見て、あれっと思った。まぶたが派手な紫色になっているようなきつい化粧をしているが、もしかしたら俺と同い年くらいかもしれない。
「…年いくつ?」
「エロ親父みたいなこと言わないでよ」
年を聞いたらエロ親父なのか? まあ本当はどうでもいい。どうせ金がなければ縁のない相手だ。
「俺のじゃないんだよ、この金は。これから返しにいくところ」
「へーえ。借金持ち? 若いのに」
「そう。だから駄目だ。じゃあな」
「ちょっと待って」
さっきまでの、鼻にかかったような声とは違う、鋭い声だった。振り返った俺の顔をまじまじと見て、彼女は驚いたように目を見開いた。
「…あんた、『とりたて』かかってるの?」
『とりたて』がかかっているかどうかわかるのは、商人だけだと聞いていた。
「…よくわかったな。本職は商人?」
「違うわよ!」
なぜか怒鳴られた。
「死んだ父親が商人で、あたしも子供の頃にちょっと勉強したの。才能はあるって言われたけど、でもあたし、商人になんか絶っ対ならない!」
そんなことを宣言されても、そうですかとしか言いようがない。
「あーあ、馬鹿みたい。こんな奴に声かけちゃうなんて。…あんた、今日だけは『とりたて』かかっててよかったかもよ。ついてきてたらマッサージ代として、そのお金ほとんどもらってたから」
「マッサージ代…?」
「そ。ほら、あの家。あの上の階、あたしが借りてるの。今も相棒が待ってる」
指さした方向にあったのは、俺が向かおうとしていた例の家だった。
「…何よ、その顔」
「いや別に。相棒って?」
「あたしがお客を連れてきたら、かわりにぱふぱふしてくれるのよ。ぜい肉がいい具合の男なんだけどね。で、頃合いを見計らってあたしが灯りをつけて、『紹介します、あたしのお父さんです。あたしよりマッサージがうまいので代わりにやってもらいました』、驚いている隙にマッサージ代として料金を頂くわけ。そういうぼったくり要素ありのぱふぱふ屋をやってるの」
要素も何も、ぼったくりよりだいぶひどい。
「儲かるのか? それ」
「まあね。でも当然相棒にも分け前は払うし、あたし借金があるからそれ払わなきゃいけなくて、手元にはほとんど残らないわ」
借金。少し親近感がわいた。それが顔に出たのか、不機嫌な顔をされた。
「あんたと一緒にしないでよ。『とりたて』かかってるわけじゃないし、あたしのは死んだ父親の借金なんだから」
それも同じだ。が、一緒にするなと言われたので黙っていた。
「ほんと馬鹿みたい。あたしの父親、人にお金貸すために別のところから借金したのよ。絶対儲かるとか言ってさ。でも返ってこなかったのよね」
「返ってこなかったって…」
『とりたて』なんてものがあるこの世界で、借金を踏み倒すことができるものなのだろうか。
「死んじゃったのよ、貸した相手が。しかも死んで分かったんだけど、そいつ他にもあちこちで借金してたの。魔王に立ち向かう勇者だか戦士だか…有名な人で、その名前でお金集めてたらしいわ」
…まさか…。
「今はその借金、家族が継いで『とりたて』かけられてるらしいけど、ひどい話よね。かわいそ」
どうやら間違いない。というか、そんな話が他にあったら嫌だ。
「そんなお金、誰が継いだって返せるわけない。あたしの父親もそれでがっかりして、それから元気なくなって死んじゃった。父さんが死んだ後にもちょっと借金残って、それをあたしがなんとか返してるわけだけど、まああたしのはそろそろ返し終わるし、そのめちゃくちゃな借金してた奴の家族よりは悲惨じゃないわ。そいつ、借金の総額が二百万ゴールド超えてたらしいから」
「二百万…?」
「多分、家族に残された借金はその半分くらいだろうけど」
「…なんで半分になるんだ?」
「ほら、『とりたて』には利子は付かないでしょ?」
そんな話は初めて聞いた。
「そうなのか」
「あんた、自分に『とりたて』かかってるのにそんなことも知らないの? あれ、わりと非人道的っていうか、もう最終手段だからね。利子分は諦めるから元金だけ返ればいい、って時だけ使えるの。『とりたて』を使った時点で、債権者側は利子分の返済を求める権利を失うのよ」
「へえ」
利子のことなんて考えたことなかった。百万ゴールドを返せば自由だと言われたから、そうなんだろうと思っていただけだった。百万ゴールドという額に思考停止していたらしい。利子なんかあったら旅に出る気力もなかっただろうな。
「まあどっちにしろ、どうにかなるような額じゃないからね。さすがにそっちに期待しようとは思わないわ。『とりたて』って返済は千ゴールド単位で、ゴールド銀行に入金があるたびに債権者にランダムで振り分けられるらしいけど、父さんの口座には一回も入金なかったもの。最近は見てないけどね」
そういう仕組みなのか。本当に俺は、自分の借金のことを何も知らない。
「なあ。お父さん、そいつにいくら貸したんだ?」
なんとなく興味を持って聞いてみた。
「2万5千ゴールド。大金でしょ。でもそいつの借金総額に比べたらたいしたことないわ。利子なしだといくらになるのかは知らないけど」
「…借金した奴の名前がオルテガなら、利子なしだと百万ゴールドだ」
その名を口に出すと、彼女は目を見開いた。
(やっぱりそうだったのか…)
なんだか脱力してため息が出た。
「…なんであんたが知ってるの? そいつのこと」
「いや。よく知らないけど」
そう、よく知らない。とんでもないものを俺にくれただけだ。
「オルテガの借金は、息子が継いだ。今は息子が少しずつ返済してる」
「…まさか、あんた」
「返すよ。まだ、先は長いけど」
彼女は無言で俺をじっと見た。俺はいたたまれなくなってその場を離れた。どうやらあの家の物色は諦めた方がいいようだ。
俺は町を出て、少し北にある洞窟に行った。洞窟内に魔物は出なかった。ここに住んでいるらしいホビットに出て行けと言われながら、こんぼうとけいこぎをもらってきた。
アリアハンに寝に帰り、アッサラームに戻る。夜にはあったあやしげな雰囲気は消えていた。太陽が上にあると、なくなってしまうものらしい。
(これからどうするかな)
この町ではもうやることもなさそうだ。あのノアニールの西の洞窟に行くか、この町からさらに先に進むか。
「ねえ、ちょっと」
声をかけられて振り返る。一瞬誰だか分からなかったが、昨日のぼったくりぱふぱふ屋だった。別人みたいだった。昨日はおろしていた髪を頭の上の方でまとめている。化粧もしていないようだ。それに。
(そういやぱふぱふって確か、胸で…)
昨日見た時はそれくらいできそうだったが、今はなんだかずいぶんしぼんでいた。俺の視線に気づいたのか怒声が飛んだ。
「どこ見てんのよ!」
「いや別に。昨日とだいぶ違うな」
「悪かったわね。どうせ4分の3はニセモノよ! しょうがないでしょ、ああいう勧誘なんだから!」
4分の1は本物なのか…いやそういうことじゃなく、そもそも「だいぶ違う」というのは胸だけじゃなくて全体的な意味で言ったのだが。今更そんなことを言ってもしかたないだろうな。
「何か用か? 直接借金取り立てなんてできないだろ」
「そんなことわかってるわよ。ねえ、これから時間ある? ごはんでも食べない?」
「だから金ないって」
「わかってるって言ってんでしょ。ごはん作りすぎちゃったのよ。相棒がたくさん食べるから作ったんだけど、今日どっか行っちゃったのよね。あんた、食べに来ない? 嫌ならいいけど」
断る理由もない。そういえば腹もだいぶ減っていた。
「はいはいどうぞ召し上がれ」
どんどんと並べられた皿は、テーブルにあふれそうな量だった。相棒というあの太った男は相当食べるらしい。
「いただきます」
そういえばここ最近、アリアハンには死に戻りが多かったので家にはあまり帰っていなかった。昨日寝に帰った時はこっそり入ったので寝ただけだった。町で飯を食うのは久しぶりだ。うまい。
早いペースで食べている俺を、ぱふぱふ屋は対面から珍しいものを見るような目で見ていた。
「いつも、ごはんどうしてるの? お金使えないんでしょ」
「あー…アリアハンの実家で食べたりもするけど、ほとんど外だな」
「外?」
「狩りをしたり、色々」
「…ふーん」
彼女は食べながらしばらく黙り、少し視線を上にさまよわせてからまた口を開いた。
「さっき、ゴールド銀行の口座見てきたの。父さんから継いだ口座」
「うん」
「まだ一回も返済されてなかったわよ」
「…ああ、そう」
100万ゴールドの中の2万5千か。俺が千ゴールド返すたびに、それがランダムで債権者の誰かの口座に入っていくのなら、まだ入っている確率は低いだろう。
「俺が返済したの、まだ9千ゴールドだから」
そう言うと、驚いたような顔をされた。
「そんな顔しなくてもいいだろ。まだ返済の旅を始めてそんなに経ってないし、これからだよ」
「違うわよ。けっこう返してるんだなと思ったの。返済の旅って言ったわよね? 旅しててそんなに返せるものなの?」
「勇者ってけっこう儲かるんだよ」
だから父さんにもみんな貸したんだろうと思う。けど貸しすぎだ。父さんが死ぬまで、総額がいくらになっているかは誰も知らなかったのかもしれないが。
彼女は少し笑った。
「けどいくら儲かっても、あんたは使えないわけね」
「そう」
「お金だけじゃなくてアイテムも使えないのよね? 換金しなきゃいけないんでしょ?」
「まあな。装備は別だけど。…あ、あと換金できるけど使えるアイテムもある」
「へえ。何?」
「すごろく場って知ってるか」
「ああ、うん」
「あれの券」
「ふーん。…なるほどね、たしかにあれなら、換金するより使った方がいいのかな…」
彼女は少し考え、「ちょっと待ってて」と隣の部屋に行った。
「これよね、すごろくの券て」
戻ってきた手に見慣れた紙がある。
「あ、それだ」
「いる? あげてもいいわよ」
「…いいのか?」
「いらないもん、あたし」
「ありがとう」
礼を言うと、彼女は急に不機嫌な顔になった。
「勘違いしないでよ! あんたがすごろくでいい物取ったら、結果的にはあたしにお金が返ってくるからあげるんだからね! すごろく場にわざわざ行くのも面倒だし!」
そんなことは言われなくてもわかる。俺はルーラが使えるが、歩いて行くにはこの町からカザーブは遠すぎるだろう。
「わかってるよ。勘違いも何も、他に解釈しようがないだろ」
そう言うと顔を赤くしてにらみつけてきた。怒ったらしい。怒るポイントがよく分からない。何か言った方がいいのかと考えていたら、彼女はふと視線をそらし、つぶやくように言った。
「あんたさ…そんなお金、ほんとに返せると思ってるの?」
言われて改めて考える。旅に出る前も、出発直後も、本当は返せるなんて考えていなかったと思う。魔王討伐よりもほとんど借金返済のための旅だというのに、本気でそのことを考えるのは避けていた。
だけど、今は。
「思ってるよ」
返済できた額は、借金総額と比べると未だに微々たるものだ。返済し始めて、百万ゴールドという額の途方もなさをさらに実感した。それなのに今は、返せると本気で思い始めている。
彼女はなぜか、ふてくされたようにそっぽをむいた。
「馬鹿みたい」
「そうでもない」
「自覚してないんだ? みたいじゃなくてほんとの馬鹿ね」
「ゴールド銀行の口座、時々見てくれよ。多分いつかは入るから」
「…期待しないで待ってるわ。期待しないけど、絶対返しなさいよ。せいぜい死なない程度に努力することね」
「うん」
ま、俺は死んでも死なないけど。父さんみたいな変な死に方にだけは気をつけないとな。
「ごちそうさま。うまかった」
「それはどうも。…また町の料理が食べたくなったら、作ってあげてもいいわよ」
「そりゃ嬉しいな。飯代として借金が増えるんじゃなければ」
「あんたあたしを何だと思ってるのよ。大体『とりたて』の額は後で増やすことはできないってば」
「ああ、そうなのか」
「ほんとに何も知らないのね。ま、新規に借金することはできるけど、『とりたて』が終わるまで絶対返せない人になんか、誰も貸さないわよ」
「ふーん。じゃあタダ飯?」
「なんか嫌な言い方ね。でもまあ、そういうこと。…あたしだって、そんな馬鹿馬鹿しい額の借金返すまでお金使えないなんて人にはちょっとくらい同情するわよ」
「それはどうも」
同情か。アリアハンでもよく人に同情されたものだ。そういう言葉をかけられたり、そういう目で見られたりした。そのたびに気持ちは重く、苦しくなった。今は重くも苦しくもない。あの頃は何もできなかったから苦しかったのかもしれない。今は少しずつでも返済しているから、同情も苦しくないのだろうか。
(同情してくれる相手にもよるのかな)
テーブルの対面の相手を見て、ふと思った。そういえば誰かとこんなに話したのは久しぶりだ。
「それじゃ。ごちそうさまでした。多分またごちそうになりに来るよ」
「わあ図々しい。なんてね。いつでもいいわよ。何人分でもたいして変わらないから」
家を出て、さっそくカザーブにすごろくに向かう。ルーラを唱えた瞬間、まだ彼女の名前を聞いていなかったことを思い出した。また来た時は聞こう。
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