エピローグ3  百万ゴールドの男


「結局、自力で完済ですか」
「一体どうやって金を調達したんでしょうな」
「いや、たいしたものだ…」
 商人たちは少しあきれ気味に、勇者センドのもう一つの偉業を語り合った。
「完済した後で、ようやくアリアハンの国王様の前に現れたそうです」
「ほう? 完済の報告のために?」
「それもあったでしょうが、もう一つ。勇者の称号の返還のためだったようですね」
「えっ」
 ターバンの商人が、珍しく驚きをあらわにした声をあげた。
「…称号の返還、ですか…。それはまた…」
「世界を救った彼ほど、勇者の称号がふさわしい人もいないと思いますがね」
「どうやら彼は、これから先勇者として生きるつもりはないようです。勇者の称号を持っているとダーマ神殿での転職を断られてしまうから、と言っていたと」
「転職? 何の職業に転職しようというのですか?」
 アリアハンからの手紙を受け取った商人はその問いににやりと笑い、もったいぶった沈黙の後に言った。
「商人、だそうです」
 一瞬の間を置いて、室内は爆発するような笑い声に満ちた。
「これは恐ろしい!」
「大変なことになりましたな。どうやら復讐の幕が開いたようだ」
「我々を一人一人破産させようというのでしょう」
 その中でともに笑いながら、ターバンの商人は一人、別のことを考えていた。

 自分の邸に戻り、ターバンの商人は一人で部屋にこもった。
(やりとげたのか、あの勇者は…)
 勇者に『とりたて』をかけた彼は、他の商人たちが知り得ないことを知っていた。
 目を閉じ、5年前のことを脳裏に蘇らせる。勇者の称号を持つ者に『とりたて』をかけるというのは、返済を強制する以外にもう一つの意味があった。契約書には記載されていたが、あの勇者はそれをきちんと読んだだろうか。
『死亡時の精神保護』
 勇者の称号を持つ者は、よほどのことがなければ死んでもまた蘇生する。しかし死とは想像を絶するものらしく、あまりにも何度も死を経験すると心を病み、やがて廃人になってしまうという。そういう死の衝撃から心を守る魔術があり、勇者の称号を持つ者は術者と契約して、それをかけておくことが多い。かけておけば、死の瞬間にそれが発動して心を守ってくれる。そして術の発動と同時に、報酬が術者に自動的に送られる。
『報酬は、死亡時に所持していた金額の半分』
 この契約の報酬の相場だ。『とりたて』は対象の心を縛り、ひたすらに借金返済をさせるものだが、心を縛る術には心が壊れないように守る効果もある。従って『とりたて』がかかっていれば、心を守る術の契約は不要になる。その分の報酬が『とりたて』の術者に回ってくるのは当然のことだ。ターバンの商人はそう考え、あの時にその契約も一緒に結んだのだ。
 とはいえ、その報酬に対しての期待などはほとんどなかった。ついでにという感覚だった。勇者オルテガが死んだなどという話は、あの火口に落ちる前には一度も聞いたことはなかったし、そもそも戦いでおくれをとったという話さえ聞いたことがなかった。
(まさか、あんなことになるとは…)
 商人は頭のターバンに手をやり、苦笑した。
 金が送られてくるのは、勇者の死の瞬間。話には聞いていたが、本当に突然空中に現れて、頭に降ってきた。少額の場合は金がそのまま、多額になると袋ごと降ってきたりもした。そして、その頻度、回数。契約を結んだ時の、時々金が降ってくるかもしれない、という程度の認識をはるかに超えるものだった。
「…74回」
 口に出してつぶやき、ため息をつく。現れた金の総額は、7万ゴールドを超えていた。利子の付かない『とりたて』に、こんな手数料がつくとは思わなかった。
 勇者の死と蘇生。聞いた話では、蘇生の方は時間帯が限られているらしい。真夜中に死んでも、蘇って城に戻るのは翌日の朝、国王様が王の間にお出ましになってからだという。しかし金が現れるのには時間帯制限などなかった。勇者の死の瞬間、どんな時間でもお構いなしに金が降ってくる。外を歩いている時も、書類と格闘している時も、風呂に入っている時も。気難しい相手との商談の時、張り詰めた空気の中でいきなりジャラジャラと頭に金が降り注いだ時もあった。
(あの時はさすがに、勇者を恨んだものだ)
 何というタイミングで死ぬのだ、と。勇者にしてみれば、言われても唖然とする非難だろうが。
(夜中に、あれで起こされることも多かったな)
 深夜、頭や顔に金が降り注いで目が覚める。ベッドや床に金が散らばっていて、商人は勇者がまた死んだことを知る。窓から入ってくる月明かりでゴールド貨幣が光っていた。
 その光景に、我にもあらず心が痛んだことを思い出す。また、勇者が死んだ。朝も昼も真夜中も、本当に時を選ばず彼は死ぬ。1日に何度も金が降ったこともあった。
 オルテガは敗北知らずの勇者だったから、その息子が父に及ばないことは知っていても、勇者の旅とはああいうものだろうと漠然と思っていた。金が降ってくるたびに、そうではないのだというあの年若い勇者の悲鳴が聞こえるような気がした。
 オルテガの訃報がもたらした衝撃ははかりしれない。彼こそが世界を救うのだと信じていた人々は恐慌を起こし、彼のたった一人の息子という存在にしがみついた。
 勇者の称号を持つ者は、よほどのことがない限り蘇る。だから重要なのは今の強さではなく、どこまで成長するかだ。勇者オルテガの血を引く者なら、素質は十分なはず。あとはただ、逃げ出さないようにすればいい。
(…『とりたて』は、枷だった)
 オルテガの息子である彼を、逃がさないためにあった。
 その結果がこれだ。降り注ぐゴールド貨幣を頭で受け止めながら、商人は何度も思った。あの勇者の旅の実態を知るのは、自分とアリアハンの国王様だけだったかもしれない。
(アリアハンの国王様は、あれほどに死ぬ彼をどう思ったのだろうか)
 初めに商人が抱いたのは、同情とはほど遠い感情だった。あまりに頻繁な死に、ふがいないと感じて失望した。見込み違いだったのかもしれない、彼は父親のような資質を持っていなかったらしいと思った。
 だが、金はそれからも商人のもとに現れ続け、1回に現れる額はしだいに大きくなっていった。何度も死んではいても、一応先に進んではいるらしい。商人はそう考え、勇者への評価を少し見直した。そのうち、勇者センドの噂が耳に入ってくることも増えてきた。有名な盗賊を退治した。呪われた村を救った。そんな噂にはいつも、彼ならば魔王を倒せるのではないかという期待が含まれていたが、勇者のあまりに高い死の頻度を知っている商人は、それには懐疑的にならざるを得なかった。
 そんな商人の心情とは関係なく、金はまた降ってきた。止まることなく、何度も金は降ってきた。そしてまたどこからか、勇者センドが魔物に支配されていた国を救ったなどという噂が聞こえてくる。
 いつのまにか商人は、自分が勇者を尊敬していることに気づいた。
 実際に会った時、本人にそう言ったことがある。彼は何を言ってるんだという顔をしていた。本気とは受け取ってもらえなかったようだが、事情を話すつもりもなかった。話しても、不愉快な思いをさせるだけだっただろう。
 それから間もなく、勇者センドがついに魔王バラモスを倒したという知らせが届いた。アリアハンの城が妙に沈んでいる様子なのが不可解だったが、ネクロゴンドと連絡が取れるようになり、確かに彼が魔王を倒したことが確認された。
 しかしその数日後。ターバンの商人の頭上から、またもや金が降ってきた。まだ終わっていないらしいことを、商人はそれで知った。
 奇妙なことに、魔王バラモスを倒した後、勇者の姿はどこの国でもほとんど見られなくなった。どこでどんな戦いをしているのか、噂もまったく聞こえてこない。しかし、商人の頭上からは金が降り続けた。一度に降ってくる金額はますます増え、首の骨を心配しなければならないほどになった。
 そのうち突然、世界中から魔物の姿が消えた。さてはと思ったが確証はない。金も降ってこなくなった。それから数日して、あの勇者からの8万ゴールドを超える返済があった。きっと不要な装備を換金したのだろう。商人はそれで、勇者が最後の敵を倒したことを知った。
(妙な形で、勇者の旅を追ったものだ)
 短期間に何度も金が降ってきた時は、強敵に挑んでいるらしいと無駄にやきもきした。それが止まった時は、倒したのだろうか、それとも他のことを始めたのだろうかと色々想像した。あまり金が降ることもなく、勇者がどこかの魔物を倒したという知らせが耳に入ってくると、死なずにそんな魔物を倒せるほど強くなったのかとひそかに誇らしく思った。どこの道ばたで金が降ってこようと、なるべく全て拾い集めることにしていた。
 もう、頭上から金が降ってくることはない。
 旅の途中だった勇者には、こんな話はできなかった。だが、同業者となった彼に、いつかまた会うことがあるのなら、この話をしてみたいものだと思った。彼は、笑ってくれるだろうか。

*                     *

 息子と孫がともに勇者として偉大な功績を残したためか、勇者の祖父はアリアハンの初等教育機関に特別講師として招かれるようになった。最近の子供は年長者を敬うことを知らんとぼやきながらも、子供たちを教え諭すことは性に合っているらしく、楽しそうだった。子供たちにも慕われているようだ。
 勇者の母の日常は、以前とさほど変わらない。息子は時々家に戻ってくる。ある日を境に、彼は剣やよろいといった戦うための装備を身につけずに帰ってくるようになった。そして同じ日に、父親の形見である兜を、預かってほしいと言って置いていった。

「母さん、じいちゃん」
 その日、戻ってきた勇者は、少し改まったように言った。
「『とりたて』、解けたよ」
 人数の少ないこの家はたちまち大騒ぎになった。しかし『とりたて』の解除は、この家に彼が帰ってくるということを意味してはいなかった。これからも時々はこの家に戻ってくるだろう。けれど彼は旅の途中で、他に帰る場所を見つけたのだ。
 とても遠いところにある新しい町で、商人の修行を始めたと彼は話した。遠いというより別の世界にある町で、魔王を倒した彼以外はこちらとの行き来ができないらしい。
「お前が決めたことなら文句は言わんが……商人か」
 勇者の祖父は複雑な顔をしていた。勇者の母は、きっと自分も同じような顔をしているだろうと思った。この家の人間にとってはあまりいい印象のない職業だ。
「色々あったんだ。もう少し落ち着いたら、この旅のこと、全部話すよ」
 そう言って、勇者は一瞬痛みをこらえるような顔をした。大人びた表情だと、勇者の母は思った。旅立つ前とはだいぶ違う。
 旅に出た後も、息子はこの家に帰ってきた。最初は頻繁に帰宅していたが、まるで忍び込むようにこっそり入って何も告げずにそっと出て行くことも多かった。そんな時は気づかないふりをした。声をかけることで、家に帰りづらくなるようなことがあってはならないと思ったからだ。帰宅の頻度はだんだんと減っていったが、代わりに玄関から普通に帰ってくることが増えた。
 旅立つ時にはこわばっていた表情は、次第にやわらかくなったように思えた。家に帰って、旅の話をしながら笑っていた。仲間だという同年代の女の子と一緒に帰ってきたこともある。つらいだけの旅ではないのかもしれないと思った。そう思いたかった。
「明日お城に行って、勇者の称号を返してくる。あれがあると転職できないんだ」
「ほう…」
「他の国でいただいた称号もあるから、もしかしたら正式な転職は無理かもしれないけど」
「他の国? そっちはお返しすることはできんのか」
「返せるようなものじゃなさそうだし、もし返したらこっちに帰って来れなくなるからなあ」
「それは困る! どうするつもりじゃ?」
「まあ正式に商人になれなくても、商売できないわけじゃないみたいだし」
 勇者はそれなりに嬉しそうではあったが、これから先のことを考えているせいか、あまりはしゃいだ様子は見せなかった。
 翌日。勇者は旅の間にそうだったように、朝食を食べ終わると立ち上がった。しかし彼は、これまでのように「行ってきます」とは言わなかった。
「じゃ、また来るから」
「センド。これは持っていかなくていいの?」
 勇者の母が指したのは、オルテガの形見である兜だ。他に帰る場所ができたのなら、そちらに置いた方がいいのではないかと思った。勇者は振り返り、兜を見つめた。
「預かっといて。いつか、一人前の商人になったら、その時は……」
 兜をじっと見つめたまま、彼は笑った。
「その時は、俺の宝物にする」
 家を出る背中を、勇者の母はいつものように見送った。
(…センド。あなたはお父さんを、恨んではいないの?)
 部屋に戻り、彼女はオルテガの兜にそっと触れた。
 商人たちが来たあの日以来、この家でオルテガのことが語られることはほとんどなくなった。一度だけ、お父さんを悪く思わないでほしい、と言ったことがある。息子は黙ってうなずいた。彼が父をどう思っているか、考えただけでも悲しかったが、重荷を背負わされた当人である息子に、何度も言えるようなことではなかった。
 初めて、この兜を持って帰ってきた日。彼はやはり、どこかうとましそうな目で兜を見ていたと思う。今はそうではなかった。父への思いも変える出来事が、彼の旅にはあったのだろうか。もう一度兜に手を触れると、なぜか涙がこぼれ落ちた。
(あなた。あの子、あんなに成長したんですよ)
(ずいぶん大きくなったなあ。私が旅に出る時は、まだこんなに小さくて…)
 どこからか、懐かしい声が聞こえたような気がした。 

 アリアハンの城下町のはずれに、ひっそりと建つ家がある。この家からは、かつて2人の勇者が旅立った。先に旅立った1人は魔王の恐怖におびえる世界の人々を勇気づけ、後に旅立った1人は、魔王を討ち滅ぼして世界を救った。


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 センド : 勇者ロト
 レベル : 81

 財産 : 284 G
 返済 : 1002000 G
 借金 : 33000 G


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「百万ゴールドの男」   終