11.ガライの町


 ルーラで戻るのはラダトームの城門の前だ。降り立ってすぐに歓声に出迎えられた。
 城壁の上からも、開かれた城門の内側からも、嬉しそうな顔の人々が俺に手を振っている。
「ロギン万歳」
「伝説の勇者、ロトの子孫」
「新たな伝説の始まりだ」
 歓呼に混じってそんな言葉が聞こえた。正直入りづらいが、そんなところでじっとしていても変な空気になっていくだけだ。さっさと通り抜けよう。卵を持っている身だから、もみくちゃにされるのは避けたい。
 卵は布でくるんで頭の上、というか兜の中に隠してある。道具袋に入れておくのは危なそうだし、城に返すことになるはずの鎧の中に入れておきたくもない。見られたところで竜王の子供だとは気づかれないだろうが、それは何かと聞かれた場合につく嘘が思いつかない。結局他に隠し場所はなかった。この兜だけは、確実に俺のものだ。
 城門を通って早足で進んだ。意外にも人々は押し寄せてきたりはせず、褒め称えながらもすぐに道をあけてくれた。
「さあ、王様がお待ちかねですぞ!」
 そんな声があちこちから上がっていた。そういえばこの人たちは王様が集めたんだっけ。
 城の中に入る。出迎えてくれた人々が後ろからぞろぞろついてきた。いつもならば城の1階の広間を抜けて王の間のある2階に上がるのだが、今日はそうならなかった。
 1階の広間で、王様が待っていた。あの部屋以外でこの人を見るのは初めてだ。ローラ姫もその横に控えている。そして旅立ちの日よりもさらにたくさんの人々がいて、俺が入ると歓声が沸いた。それを手を上げて制し、王様が口を開いた。
「よくぞ戻った、ロギンよ!」
 適当な距離まで近づいて、片膝をつき剣を床に置いた。王の間と違ってどれくらい近づいていいものかよくわからない。頭を下げながら、しくじったかなと思った。
(こういう状況なら、普通兜は脱ぐよなあ)
 王様の前に出るのはたいてい死んだ後だ。気がついたら説教されていて、兜がどうのと考えたりする必要などなかった。
(まあいいか)
 そのことには気づかないふりをすることにした。この状況で「無礼であるぞ」とか言われることもないだろう。そういえばロトも魔王討伐後に城に戻った時、ずっと兜を取らなかったらしい。人相を覚えられないようにするためだったようだが、変なところで一致するものだ。そんなことを考えながら、分けておいた500ゴールドが入った金袋を取り出す。
「陛下、お返しします。これが最後の500ゴールドです」
 袋を目の前に掲げると、王様は一つうなずいて自らこちらに歩み寄り、袋を受け取った。
「うむ、確かに」
 数えもせずに言う。分かってはいたが、竜王を倒せれば金のことはどうでもよかったのだろう。
「これでそなたにかけられた『とりたて』は解けた。もはや売り買いに不自由することはないぞ」
「そうですか……」
 気のせいかもしれないが、少し体が軽くなったようだ。これで一段落、と思わず息をついた時、広間に王様の声が響き渡った。
「皆にも聞いてほしい! わしは勇者ロギンに詫びねばならぬ」
 まさか。内心慌てた。ロトの装備を貸したというのは嘘だった、と言い出すのかと思ったからだ。が、王様の口から出たのはそんな話ではなかった。
「今回わしがしたことに対して、内心穏やかではなかった者も多かろう。借財を暴くことで、わしはアレフガルドの誇りである勇者ロトの名を汚したのだからな」
 集まった人々がざわめいたが、それは王様の言葉を否定するものではなかった。俺に同情していたマイラの村人や、ロトの装備が盗まれたことを教えてくれたラダトーム城の兵士のような人々は、どうやら思っていた以上に多いらしい。
「だが、そうせざるを得なかった。勇者の称号を持つ者の旅のために…」
 苦しそうな表情で、王様は話し続けた。
「勇者の称号を与えられた者は死しても蘇るが、何度も死ねばその心が耐えられず、気がふれてしまうという。かつてはそれを防ぐ術もあったが、今のこの国ではその使い手を見つけることはできなかったのだ…」
 穏やかじゃないにも程がある内容だった。俺はもう何度も死んでるんだが。
「だが、かつての勇者ロトと、今回勇者ロギンにかけられた術。借財で心を縛る術には、死から心を守る力がある。だからこそいかに心苦しくても、あの借財を明らかにせぬわけにはいかなかったのだ」
 本当かよ……と思ったが、そういえば最近会ったリムルダールの鍵屋の老人が、俺がしょっちゅう死んでいることについて何か言いたそうにしていたような気がする。うさんくさい話ではあるが、嘘というわけではなさそうだ。
「そうだったのか、そんな理由が」
「陛下もおつらかったのだな……」
 人々がささやき合っている。
(…ああ、そういうことか)
 王様が人々を呼び集めたのは、ここで大々的にこの話を明かして、批判を打ち消すことが狙いだったらしい。そう思うと王様の沈痛な面持ちの中に、してやったりの思いが見え隠れするような気もした。考えすぎかもしれないが、いまいましい。つい白い目で見た王様の表情が、急に改まった。
「だがロギンよ! そなたはロトの汚名を見事晴らし、かの伝説を歴史の表に蘇らせた。そして自ら竜王を討ち果たすことで、伝説を継承する者となったのだ!」
「……おそれいります」
「偉大なる勇者よ! そなたこそ、この国を治めるにふさわしい!」
「はっ?」
「わしはそなたに王位を譲ろう。そなたが救い出したこのローラとともに、立派にこの国を治めてくれい!」
 驚いてローラ姫を見たが、姫も目を丸くしている。どうやら初耳のようだ。やはり勝手だ、この王様は。しかし俺が姫を救い出した経緯があるせいか、見ている人々も王様の言葉にあっという間に盛り上がった。
「ばんざい、王様ばんざい」
「ロトの勇者、ロギンばんざい」
「アレフガルドに栄光あれ」
 危ないところだった、と思う。旅立った時のままの状態でこんなことになったら、どう断ればいいのか分からなかっただろう。あの時と同じように流されて言うなりになったかもしれない。その後でひょっとしたら夜逃げでもしたかもしれないが、そうなれば追われる身だ。アレフガルドを出るまでにもどれだけ苦労するか分からない。
「お待ち下さい、陛下」
 歓声に負けないよう、なるべく大声を出した。王様と違って、俺はこんな大勢の人々の中で話すのには慣れていない。今さらながら緊張してきた。
「ありがたいお言葉ですが、お受けすることはできません」
「なんと!?」
 王様は心底驚いたように声をあげた。周囲も大きくざわめき、それから静まりかえった。
「何を申す、ロギン。そなたの他にこの国の王にふさわしい者があろうか」
「いいえ、俺では駄目です。陛下からお借りしたものをまだお返ししていませんから」
「たった今、全て返済を終えたであろう」
「ロトが借りたものではなく、俺がお借りした……」
 広間は静かなままだった。居並ぶ人々全てが王様と俺のやりとりに耳を傾けているのが分かる。
「ロトの剣、鎧、盾。そしてロトのしるし。竜王を討伐するために必要だろうと、旅立ちの後に貸していただいたラダトームの国宝のことです」
 王様が目を見開いた。広間がまたざわめき始める。
「申し訳ありません、陛下。旅の途中で不覚を取り、魔物にロトの盾を奪われました」
「……む、そうであったか。しかし……」
「竜王と戦う前に盾の行方を聞きました。残念ながら盾は海を渡り、今は他の大陸にあるとか」
「なんと……それは……」
「盾と鎧を返さなかったのがロトの汚名につながったのならば、俺が同じことを繰り返すわけにはいきません。取り戻すまで、汚名を晴らしたとは言えないかと」
 王様はしばらく黙ってから口を開いた。
「アレフガルドを出る、と申すのか?」
「はい」
 俺は立ち上がり、ロトの剣と鎧を装備から外した。
「剣と鎧、それにロトのしるしは先にお返しします。長い旅になるかもしれませんが、盾もいずれ必ず取り返してまいります。どうかそれまで、ご健勝で」
 もう一度頭を下げた。あまり長居はしたくない。すぐ立ち去るつもりだ。
「待ってくださいませ!」 
 その時、ざわめく広間に別の声が響いた。
 ローラ姫だった。声と同時に駆けてきて、王様と俺の横に立った。
「あなた様のその旅に、このローラもお供しとうございます」
「な!?」
 王様が大声をあげた。周囲の人々もいっせいにどよめく。
「どうか、どうかわたくしもお連れくださいませ!」
 王様の目が断れと言っている。断ってもいい場面だ。姫の希望がどうであっても、危険な旅だという理由で十分だろう。だが、俺は気づかないふりをして姫の手を取った。
「喜んで。つらい旅になるかもしれませんが、必ずお守りします」
 また広間に歓声と拍手が沸き起こった。王女が国外に出てしまうというのに。どうもノリで盛り上がってる気がする。冷静になられる前に早く旅立ってしまおう。王様は呆然とした顔をしているが、今までの態度を変えて許さないと言うつもりはなさそうだった。俺は道具袋から例のメダルを出して、王様に渡した。
「これもお返しします。姫からお借りしていました」
「ローラが、これを……」
「ラダトーム王家の宝とお聞きしました」
 王様はメダルに刻まれた王家の紋章に視線を落とし、悲しそうに言った。
「わしはそなたを、ラダトーム王家に迎え入れたいと思っておるのだ。盾を取り戻してここに戻った後、王位を継いでくれる気はないのか?」
「いえ……ありがたいお言葉ですが、いつ終わるか分からない旅です。王位を継ぐ者がはっきりしなければ、混乱の元になりましょう。それに……」
 深く考えたわけではない。ふと頭に浮かんだだけだった。しかしそれが俺の、勇者としての最後の言葉になった。
「もし俺が治める国があるのなら、それは自分自身で探したいのです」

*                     *

「姫。俺は……」
 竜王の城があった後の砂地で、俺はこれから先のことを始めて口に出した。
「俺は、アレフガルドを出ようと思ってます」
「…………」
 息を飲む気配がした。が、ローラ姫は何も言わなかった。
「ガライの町から船で行くつもりです。あの町なら船はありますから」
 あると言っても、アレフガルドの外に行くための船ではない。漁船や、海岸づたいに他の町に行くための船だ。精霊ルビスの加護を受けたアレフガルドから離れれば、魔物に襲われる。何があるのかもわからないのに船出した命知らずはこれまでにもいたが、誰も戻っては来なかったという。
 だが、竜王を倒すことができた今の俺なら、魔物にひけをとることはないと思う。さすがに竜王以上の魔物がごろごろいるとは思えない。
(なんとか古い船でも、安く手に入ればいいんだが)
 外海への航海に耐えられるかどうかは不安だが、ルーラがあるから難破しても死ぬことはないだろう。失敗したらやり直せばいい。
 計画とも言えないようないい加減な予定を思い描いていたら、メダルから声がした。
「そうですか……。夢を、叶えられるのですね」
「夢、ですか?」
「昔お会いした時にもおっしゃってました。海の向こうに行く、と」
「……ああ」
 覚えていたのか、とつい苦笑いした。この旅が始まるまで、俺は忘れていたことだ。
「言われてみればそうですね。あの時考えてたのとは、だいぶ違いますが」
 あの時は、ただ海の向こうを見に行きたいだけだった。今は……。
(いや、そんなに違わないか)
 ロトの盾が海の向こうにある。竜王に卵を託された。今の俺にはアレフガルドを出る理由がある。だが、こんなにあっさりと出発を決めたのは、子供の頃の夢がいくらか蘇ったからでもあると思う。何も分かっていない子供の戯言だったと、長い間忘れていた夢だった。 
「一度ラダトームに戻られて……その後すぐに旅立たれるのですか?」
「はい。外に出るのなら、こっちに長くとどまっていても意味はありませんので」
「では、今がお話しする最後の機会になるのかもしれませんね」
 言われて、はっとした。
(そうか。そうなるのか)
 最後の500ゴールドを返したら、できるだけ早くラダトームを立ち去ろうと思っていた。だったらラダトームで最後の返済をする時も、王様ともローラ姫とも、最低限の挨拶だけで済ませた方がいい。姫はそのことも分かっているようだった。 
「ロギン様。色々、ありがとうございました。それから、ごめんなさい。どちらも、こんな言葉では言い尽くせませんが……」
 ローラ姫とは、もっと話したいことがあったと思う。姫はきっとまだ負い目を感じているのだろうが、俺はもう恨んでなんかいないということや、それから昔会った時のことも。
(そうだ。そういえば、あの時)
 俺とローラ姫は、もう一つ約束をした。俺はそれを、海の向こうに行く夢と一緒に長い間忘れていた。思い出したのはつい最近、確かラダトームの南にある洞窟で迷った時だったと思う。
 海の向こうに、一緒に行くという約束。
 ローラ姫は、覚えているだろうか。覚えているかもしれない。海の向こうに行きたいと俺が言っていたことも覚えているのだから。だがこの旅の発端を考えれば、たとえ覚えていても姫の方からその話を持ち出すことはないだろう。
(……覚えてるか、聞いてみようか)
 だが、それを聞くのは、なんだか他の意味も持ちそうだった。よけいなことは言わない方がいいとも思う。ただ聞きたいだけだ。しかしなぜ聞きたいのだろう。
 旅が始まった時の怒りや情けなさ。その前までは、ただのいい思い出に過ぎなかったあの約束。久しぶりに会った姫は、あの時と同じように本当に嬉しそうに笑った。
(けど、あの後は)
 メダルを通じて、かなり話すようにはなった。しかし、ローラ姫があんなふうに笑ったのを見たのは、あの洞窟で再会したあの時が最後だった。
「ローラ姫」
「はい」
「一緒に、行きませんか」
 俺の口から出たのは、約束とかそんな話をすっ飛ばした言葉だった。 
「……え?」
 しばらくの沈黙の後に呆然とした声が聞こえた。俺も自分が言ったことに驚いて固まっていたが、我に返ってあわてて取り繕った。
「いや、あの時……海の向こうに一緒に行こうなんて話を……」
「行きます!!」
 言い訳にメダルからの声がかぶさった。
「え、ちょ、姫!?」
「嬉しい……私……私はあんな……だからもう無理だって……」
 メダルから嗚咽が聞こえてきた。とんでもないことを言ったという実感があっという間にわいてくる。そのくせ、後悔は不思議なほどなかった。
「覚えてたんなら、言ってくれればよかったのに」
「だって、私は約束を破ったのに……そんなこと言えるはずないわ」
「そっちの約束が守られてたら、こっちの約束は守れなかった。どっちか一つしか守れない約束だったんだよ。だから、これでいい」
 本当にいいのかな、と思わなくもない。実際のところ、俺はローラ姫のことをよく知らない。ただ、色々あって、色々話して、それで。
(……あ)
 その時、ようやく気づいた。
(いつからだ?)
 もしかしたら、7年前のあの時からだろうか。さすがにそれはないか。
 俺は、ローラ姫のことを。
(言った方がいいかな)
 メダルを見ながら考えた。
(いや、これはいつか、顔見て言おう)
 こっそりそう決めた時、メダルからまた姫の声がした。
「本当に、つれてってくれるの?」
「うん。一緒に行こう」
 どこかで聞いたやりとりだと思った。何だったかと考えた時、ローラ姫が小さく笑った。それで俺は、全く同じやりとりを7年前のあの時にもしたことを思い出した。

*                     *

 今度はきっちり靴を用意していたローラ姫とのんきに徒歩の旅をしてガライの町に着き、そこから先は船での旅になった。結局、船を手に入れるのに金は使わなかった。

 町に着くとすぐ、竜王を倒した勇者として歓待された。生まれ故郷で歓迎されるのは妙な気分だ。ロトの子孫ということが知られてからは、ここは俺にとって別の町になってしまったようだ。俺がローラ姫とアレフガルドを旅立つという知らせもすでに届いていて、妙に早いなと思ったら王様からの使者が先に知らせに来たという。歓迎の宴も一段落した頃、その使者が王様の言伝を持って訪ねてきた。
「船と、装備?」
 使者はガライの町に船で来たのだが、その船を俺に使ってほしいというのが王様のご意向らしい。それだけではなく、ラダトームに返したロトの装備の代わりになる武器や防具を、俺に下さるという話もあった。
 一体何の魂胆が、と思ってしまうのはやむを得ないことだろう。王様もそれは分かっているらしく、使者が持ってきた手紙に色々と書いてあった。
 船の方は、もともと勇者ロトのものなのだそうだ。ロトが初めてこの地に立ったのはラダトームの西にある小島で、当時そこに住んでいた男はロトを一目で気に入り、船を進呈した。魔王を倒した後、ロトは男に船を返しに来て、それはあげたものだと言う男と軽く押し問答になった。結局ロトは船を置いていったが、男はラダトームにそれを知らせ、王家はロトの船としてこれを預かることにした。当時は遠洋航海などできそうもない船だったが、今は修復と改造を施され、小さいながらも長い航海に耐えられるようになっているという。
 それから装備だ。アレフガルドの店で買える一番高い武器と防具だった。手紙には、これは別にそなたのために提供するのではなく我が娘ローラの身の安全のためであり娘への贈り物だと思ってもらいたいなどと書いてあった。
 少し考えたが、ありがたく受け取ることにした。これを受け取ったことで後で何か言われることは多分ないだろう。あの王様には色々含むところはあるが、目的が竜王討伐だったことは間違いなく、そして竜王は今はいない。しかし念のため、この手紙は大切に保管しておこうと思う。

「すみません、親方」
 いずれまた商人の修行させてくれなんて言ったくせに、結局中途半端なまま出て行くことになった。他のことはともかく、これだけは悔いが残る。
 だが頭を下げた俺に、親方は面白そうに笑って言った。
「いいじゃないか。今のお前には、どんな商人にもできないことができるんだろうからな」
「…俺に?」
「海の向こうで何か見つけて、また戻ってくることができりゃ、そいつは大きな商売の種になる」
 今までにも、命知らずな連中が海に出ていったことはあった。というのも、近海の潮の流れから考えて、そう遠くない場所に大きな陸地があるだろうと考える者が少なくなかったからだ。今のところは誰も戻ってきていないから真実は分からないが、何かの理由で戻って来れないだけで向こうで暮らしている奴らもいるかもしれない。
「俺の知り合いにも、海に出た馬鹿はいたよ」
 会ったらよろしく頼む、そしてこっちと商売できるようにしてくれ。親方はそう言ってまた笑った。

 そんなこんなで、今俺は海の上にいる。ローラ姫と、竜王の卵と一緒の旅だ。卵は預かった時に比べるとやや大きくなったようだ。
「いつ頃、孵るのかしら?」
「当分先みたいだよ。卵が大きくなってから孵るって言ってた」
 卵はたいていローラ姫が持っている。船が魔物に襲われた時には俺は戦って、姫は卵をかばいながら船室に隠れている。今のところそれほど苦戦はしていないから、姫も卵も危険な目にあったりはしていない。
 卵を預かったいきさつを聞いても、姫は竜王ゆかりのその卵を恐れたりはしなかった。そっと触れて俺に聞いた。
「名前は決まっているの?」
「いや、竜王は何も言ってなかった。というかそもそも、竜に名前ってつけるのかな」
 竜王も本名がありそうな感じはしなかった。この世界には他に竜はいないらしいから、必要なかっただけかもしれないが。
「勝手に名前を決めてはいけないかもしれないわね。でも、それなら何と呼べば……」
 ローラ姫はしばらく考え込んでから小さく呟いた。
「…リュウちゃん」
「ぶっ」
 思わず吹き出したが、ローラ姫は真剣な顔だった。
「怒るかしら」
「さあ。孵った時に本人に相談かな」
 一体どんな顔をするだろう。楽しみなような、少し不安なような。竜王と同じような性格だったら嫌がりそうな気もする。
(世界の半分をお前にやろう)
 甲板から水平線を見ていたら、その竜王の言葉をふと思い出した。
 あの時竜王が言っていた「世界」とは、アレフガルドのことだろう。自分が生まれた世界に帰ることをあきらめた竜王は、どんな気持ちであの言葉を口にしたのだろうか。
「あら? 陸地じゃないかしら」
 ローラ姫が弾んだ声をあげ、雲にまぎれた水平線の上の影を指さした。
「お! ついに来たか」
 ガライの町で、陸があるとしたらこの方角ではないかと聞いていた。ついにとは言ったが、陸だとすると思っていたよりもずっと早い。
 さあ、ここからだ。竜王が言った「世界」の外に、一体何があるのか。
(……竜王。これもある意味、お前がくれた旅だけど)
 だが、竜王を倒すために旅をしていた頃とはまるで違う。今の俺は間違いなく、この旅を楽しんでいる。
(卵、早く孵らないかな)
 この旅で俺が見るものを、この卵の中にいる竜にも全部見せてやりたい。そんなことを考えている間にも、船はその陸地に少しずつ近づいていく。


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