ネタバレや腐臭発言が混じるらくがきメモ
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2008年09月08日(月) ドラクエ3
サイモンとボストロール。オルテガが火口に落ちてから2年後。
なんかサイモンは痩せた剣士のイメージです。昔攻略本で見たガイアの剣が細身の剣だったからに違いない。
本日のテーマ。「なんでサイモンは囚人のくせに牢獄に武器持参しちゃってるの?」
そもそもあのほこらの牢獄は、オリビアの呪いがあると行くことができない場所、というのがゲーム上重要なポイントなので、サイモンがどうやってあそこに渡ったのかも謎なのですが…。ここでは「かつてはサマンオサ←→ほこらの牢獄直通の旅の扉があったんだよ」という設定でいこうと思います。
あのほこらの牢獄はサマンオサの牢獄の一部のようなもので、そこに通じる旅の扉もサマンオサの地下牢の奥にあった。だがある日、王と入れ替わったボストロールはサイモンをここにおびき寄せ、他の魔物たちとともに奇襲して旅の扉に落とし、大急ぎでこの扉を封印して使えないようにしてしまったのだった(サイモンは強いので普通に殺そうとすると勝てない)。だから剣ごとあっちに行っちゃったんだよということで。
公式ではサイモンはオルテガが火口に落ちるより前に牢獄行きになってたような気もするのですが…まあいいや。
さて、ここのオリビア岬はかなり昔から呪われてるんですが、呪いが始まったのが最近という設定の世界ならば、サマンオサ東の教会の神父さんが言っていた通り、サイモンがあの教会から旅の扉をいくつか経て船に乗ってほこらの牢獄に行ったというのも可能でありそれはそれで魅力的です。この場合サイモンは足に鎖とかつけて、見張りの兵士が「さっさと歩け」とか罵りながら同行します。この兵士が賄賂を受け取ってたとかサイモンに恩があったとかで、帰り際にこっそりガイアの剣を渡してくれる…という流れ。
しかしサマンオサからあの島は地図で見るとえらい遠さで、なぜこんなところに囚人を送る慣習があるのかという疑問がわきます。そこで浮上するのが「旅の扉を利用した世界規模の囚人封じ込めシステムが存在した」説である。サマンオサの旅の扉から行けるということはロマリア・ポルトガ国境のあの旅の扉からも行けるということで、つまり始末に困るような囚人たちは、国籍問わずあの島に送られていくというわくわくする展開がそこにあった!
でも岬が呪われた後は行き来不能になって、島にいる囚人はみんな死んでしまうことを考えるとわくわくどころではない気もするんですよね
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